トライアングル

文 / 大谷祐

 子どもの頃、トライアングルというパンが大好きだった。
 家から歩いて数分のところにあるパン屋さんにトライアングルは売っていて、パンを買いに行くと必ず買っていた。クリームパンのほうが大人っぽくていいのかな、なんて思ったこともあったけれど、トライアングルを見てしまうと、なかなか他のものは買えなかった。それでも、大人になるにつれて食べなくなった。本物のパンに出逢ってからは、買いに行くことすらなくなった。ああ、大人ってかなしい。バゲットをかじり、ライ麦のパンを香り、恍惚とした表情を浮かべたりしている。ああ、大人って残酷。

 トライアングルは昔ながらのパン屋さんに時たま置かれている三角形の甘いパンだ。三角形だからトライアングル。あんぱんともクリームパンとも違う甘いパン。彼らのようにスタンダードのパンにはならなかったが、その存在感はぼくのなかで未だに大きく、ときどき思い出してしまう。なつかしいな、どこでなにしているのかな、と思うと、突然現れる古い友人みたいにして、古びた看板の昔懐かしいパン屋さんに置かれていたりする。名前も変わらず、見た目もそれほど変わらず。その姿を見つけると、「あ、トライアングルだ」と心躍らせて、子どもの頃のパンの記憶に戻っていく。

なんといっても、トライアングルはサンドされているチーズクリーム(合っているのかどうかは知らない)がおいしく、外側のビスケット生地(正しいのかどうかはさておき)がサクッとカリッとしている。カリッとしながら、中はふんわりとチーズクリームがほどよく浸みて、もちっとしている。食感と甘さの誘惑。すぐに思い出せる味。パンの下には丸い銀紙が敷かれていて、三角から少し飛び出た丸みがなんとも愛らしい。今となってはノスタルジーと呼ぶべきか。
昔ながらのパン屋さんは、どれもこれも銀紙率が高かった。ツナやコーン、ソーセージなどの惣菜パンは然り、ほとんどのパンに銀紙は敷かれていた気がする。お弁当のおかずの下、ケーキの下、パンの下、あらゆるところで銀紙を見かけた。アルミホイルなんて、最近の呼び名だ。ハイカラだ。銀紙が一番しっくりくる。
トライアングルを食べているときに、銀紙ごと食べてしまったことだってある。母に言われるまで気がつかなかったのだが、手に持ったトライアングルの銀紙が一口分くっきりとなくなっていたのだ。どれほどまでに夢中で食べていたのか容易に想像がつく。楽器のトライアングルより先に、パンのほうを認識してしまうくらいなのだから仕方ない。
 今は正直なところ、トライアングルをほとんど食べていない。何年間も食べていない。前に食べたのがいつかなんて全くわからない。それでもトライアングルを思い出す。見た目も味も、まるで昨日のことのように思い出せる。もし、次に見かけたときは自分のパン歴史のはじまりのパンを必ず買って食べよう。そのときには銀紙は絶対に食べない。と思う。

大谷祐 Yu Oya
1989年群馬県生まれ
詩人
oya-u.com