文 / 大谷祐
ミルフィーユ。
日本から遠く、仏(フランス)で生まれた菓子で、パイ生地とカスタードクリームの層になっているもの。意味はたしか「千枚の葉」だった気がする(調べたら合っていました)。正しくはフランス語で「ミルフォイユ」。いちごが挟まれているものもあって、それはミルフォイユオフレーズという名前になる。日本だとナポレオンパイ(ナポレオンもパイの名前になるとは思わなかっただろうな)。
と、このように少しだけ知識をひっぱり出してみたが、つまりはミルフィーユが好きなのです。
なんといっても、ミルフィーユの素晴らしきところはその見た目。パイとクリームの層が(パイが層であるにも関わらず)見事なまでにおさまっている。がしかし、それはたいへんにたべにくく、上からフォークをさすと、パイがずしゃっと傾いてしまう。最初の一手で崩壊する。本当は(だれが決めたのかは知らない)横に倒してからたべるのが正しいのだそう。お見合いには不向きな食べ物と、訊いたこともある。ってお見合いにミルフィーユを選ぶ人ってその時点でなんというか、周りが見えない人なんだろうなって思ってしまう。余計なお世話です。
子どもの頃、はじめてミルフィーユをたべたときのことをわたしは覚えていない。でも、ミルフィーユっておいしいな。と思ったことはなんとなく覚えている。それがいつなのか、そしてどこであるのかは全くわからないけれど。
ミルフィーユとはじめましてをしてから、ミルフィーユをたべる機会はほとんどなかった。近くのケーキ屋さんにあまり置いてなかったこともそうだし、大人になるまで(三十歳に近いころ)、好きだけど、特別選ばないでしょ、みたいな立ち位置にいた。安定感のある脇役といった感じ。どこのお店のものも味にそれほどの大差はないし、パイとクリームだし、当然おいしいよね。と冷めた態度。
ところが、とあるお店(東京と群馬のあいだ)のミルフィーユをたべたとき、こんなに本物は美味しいのか!と衝撃を受け、やっぱりミルフィーユ最高。となったのです。
と、述べてしまうとあまりに単純すぎて伝わらないけれど(伝えようとしてくれ)、つまりはそうなのです。本物は本当にあって、その本物に出会ったとき、ドーパミン出まくりになる。全身が解放され、世界が華やぐ感覚。
きっと、子どもの頃にたべたミルフィーユにも少なからず衝撃を受けたはずで、そうでなければ、ミルフィーユおいしいな、なんて思わなかった。おそらく今知っているミルフィーユとは違っただろうけれど、それでもわたしの意識の隅にずっとミルフィーユがいたのだから、ミルフィーユの存在感はやはりすごい。
これからは、ミルフィーユが好きだ。と胸を張って言える。たとえ、お見合いにミルフィーユが出たとしても、なんの躊躇いもない。正々堂々と向き合ってたべる。脇役だなんて思わない。もしもそのとき、お見合いの相手が手際よくミルフィーユを倒してたべたなら、それだけでドキッとして、ああ、この人はミルフィーユと真剣に向き合ったことがあるのだ、と見とれてしまう。しかも、それが最高に美味しい本物のミルフィーユであるならば、お見合いもなかなか悪くない。
そして、そのふたりが結婚したとき、毎年訪れる記念日に必ず「ミルフィーユ」をたべるのだ。
大谷祐 Yu Oya
1989年群馬県生まれ
詩人
oya-u.com
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