文 / 今井あみ
線引きする必要はないかもしれないのに、
わたしは線を引きたがる。
グレーゾーン
ぼんやりと融合しそうでしない。
それらはあえて交わらず存在しているんだろうか。
意識ない”グレーゾーン”は、もはや従来から言われているグレーゾーンとは意味が異なる気がする。
しっかりとした白と黒の境目の間に位置するゾーン。これが、今まで言われている共通認識のグレーゾーンであろう。
しかし最近、定義するのを怠り、ぼんやりとさせておきたい。あるいは、定義することが面倒なものも”グレーゾーン”とされてはいないだろうか。
意識あるグレーゾーンと、意識ない”グレーゾーン”との間に、線を引きたい。
しかし、相手の(”)グレーゾーン(”)に対する認識と、こちらの認識にズレはないかと確認したいが、「そんなことはどっちでもよい」と、これもまた”グレーゾーン”にて、終結する。
たしかに、お互いにズレはあるのか、ズレの度合いはいかほどかという確認はグレーゾーンで納めておくのが賢明かもしれない。
白黒はっきりさせずに一旦保留することや様子をみることは、人と人との関係、また、ジタバタしてもどうしようもない事柄に対して必要な場合もあるから。それは、わたしが実際にその恩恵を受けているから、そういうふうに考えるのかもしれないが。
線を引きたい。
線を引かない。
生命は絶妙なバランスで成り立っているそうで、過剰になったら境目を越えないように調整して、また、不足したら境目を越えないよう調整しているらしい。我々は知らず知らずのうちにグレーゾーンの中に存在しているのかもしれない。
わたしは安定を目指し意識して線を引く。しかしその行為は俯瞰してみると、安定とはいえない白でも黒でもない、境目も曖昧な”グレーゾーン”の中での出来事だ。
それが、自然の流れで、自然の公式だとしたら。
わたしは、自然の公式に従う。
使い捨てコンタクトレンズをつけたまま、うたた寝してしまった。
そしたら、目に張り付いてとれなくなってしまった。
それじゃ困るからどうにかしてはずそうとする。
今井あみ Ami Imai
1990年長野市生まれ
表現する人
表現することをつづけるため、まいにちを過ごしている
imaiami1990@gmail.com
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