眼の中の女

文 / 備仲臣道

 目尻に近い辺りに、黒くなにかが見える。たとえば、日中に一人で部屋の中を整理しているとき、あるいは、やっと手に入れた本にじっと見入っているとき、それとも、陽向の暖かさにぼおっと上気したようなとき、視線を動かした拍子に右か左の一方に、きっと見えるのである。
 見えると書いたけれど、なにかがいると言ったほうが本当に近い。幽霊とか霊魂や精霊の存在を信じてはいないのだが、目の隅になにかが住んでいるというのは、信じていいことのように思えた。
 彼は──彼女かも知れないけれど、いつも隅のほうにいて、まん中へ出てくるということはない。慎み深いのか、恥ずかしがりやなのか、それは知らないけれど、隅にじっとしている。邪魔にはならないし、いけないことをしたり唆したりはしないし、だからと言って役に立つことがあったためしもない。しかし、必ずいるのである。
 正体をつかもうと思えば、その刹那に消えてしまう。ちょうど蜻蛉のようにすっと音もたてずにいなくなって、視界の外へ出てしまうのである。ひょっとすると、あの夏の午後、なんとかいう用水の澄んだきれいな流れのわきの、濡れた石にとまっていた蜻蛉が、眼の中に棲みついたのかも知れない。それとも、大地震のあとに、古い大きな百姓家の庭から這い出してきて、道に長くなっていた蛇かも知れないとも思ってみるけれど、どうなのだろう、はっきりとは判らない。
 そのうち、それが見えるときには、どこか懐かしく恥ずかしくて、くすぐったいような思いに誘われることに気がついた。なぜなのだろうと眼をつぶってみたら、ずい分と昔に別れた女の面影が浮かんできて、なかなか消えない。別れたというのは、しかし、きれいごとに過ぎるような、捨てたと言ったほうが似合う、わがままな終わりかたの恋だったのに、いまごろになって、なぜ気になるのだろうと不思議であった。
 額が秀でていて鼻筋がすっきりととおった、黒い瞳が大きな人で、なにより気に入っていたのは長い黒髪がふさふさと美しいということであった。その黒髪の中に顔を埋めてじっとしているのは、至福の時と言ってよかった。暖かくやわらかな髪の森の中で、いつまでもこうしていたいと、長い時を過ごした。髪の香とともに立ちのぼってくる、かぐわしい肌の匂いの中で、心地よい春風に吹かれ、陽の光を浴びているように思ったのに、どうして捨てるように別れてしまったのか、いま考えてみても判らないとしか言いようがない。
 その黒い髪の女が、眼の中に棲みついたのに違いないと思った。はじめは自分でも少しばかり疑ってみたりもしたけれど、だんだんに信じられるようになって、絶対の真理に変わるまでには、それほどの時間はかからなかったようである。
 そんなある夜、布団に入って眼を閉じたら、まぶたの裏の闇が、あの女の長い黒髪になっている。その中に顔を埋めた気になっているうちに、いつしか眠ってしまったようで、夢の中でも髪に顔を埋めて長い時を過ごした。もうなんにもいらない、ずうっとこうしていたいと何度も何度もつぶやいていた。どのくらいの時間が経ったのかは判らなかったけれど、これは夢なのだ、夢の中なのだということを意識するようになってきて、そうっと眼を開いたそこは、夜明け前のうす闇の中と思ったのとは違って、深い鬱蒼と繁った森の奥に、一人で立っているのであった。檪や欅の根元には藪が生い繁り、人の踏み固めた道などはないから、足許の確かなところを選んで歩いていた。踏み迷うこの先になにがあるとも思えないような、うっすらと暗い森の気をふるわせて、あるかなしかの風が流れ、かぐわしい黒髪の匂いがむせぶばかりである。

備仲臣道 Binnaka Shigemichi 1941~
韓国忠清南道大田生まれ 著述業
甲府第一高等学校卒 山梨時事新聞記者 月刊新山梨編集発行人
2006年、第6回内田百閒文学賞優秀賞受賞
著書 『蘇る朝鮮文化』(明石書店)『高句麗残照』(批評社)『司馬遼太郎と朝鮮』(批評社)『ある在朝日本人の生涯』(社会批評社)『内田百閒文学散歩』(皓星社・2013年8月)ほか5冊。
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