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							 文 / 大谷祐 
あるときしょうねんは 
ことばのことをポエムとよんだ 
たとえとしてではなく 
てをふり 
さけんで 
よんだのだった 
ことばはけっしてふりむいてはくれなかった 
しょうねんはかなしみともちがうふしぎなかおをして 
いえへとかえっていった 
そのひしょうねんはよなかまでなやんだ 
ぼくがおおきなこえをだしたから 
おどろいてしまったのではないか 
もうぼくのまえにきてくれないのではないかと 
ときおりなみだをうかべなやんだ 
でもしょうねんはなみだをながすことはしなかった 
めのなかになみだをためるだけにとどめたのだ 
そしてあくるひ 
いつもよりねぶそくなまま 
しょうねんはさんぽにでかけた 
てをふり 
さけんで 
よぶのではなく 
ことばがぼくのまえに 
そっとあらわれるときをたしかめるために 
いつもよりおおきなほちょうであるいた 
ためこんだなみだを 
あさひにむかってながすためにあるいた 
だけどことばは 
あさひになんていなかった 
しょうねんはあさひをせにして 
いえへとかえりながら 
しょうねんはいまではない 
じぶんじしんにむかって 
ゆっくりときこえないことばをつぶやいたのだった
  
大谷祐 Yu Oya 
1989年群馬県生まれ 
詩人 
http://oya-u.com 
							
									
							
							
								
							 
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