タイトル:くりかえし対立する世界で白い壁はくりかえしあらわれる 「固有時と固有地」連作2006年〜13年 場所: 松代大本営地下壕跡 象山地下壕清野側4号出口 素材: 壁材(245cm×260cm) ガラス破片 鳩の羽 象山地下壕清野側4号出口付近の岩石の破片 4号出口周辺までの遊歩道 設置: 北澤一伯
文・画像 / 北澤一伯
真っ赤な嘘も、嘘嘘しい嘘も、もっともらしい嘘も、戦争を遂行しようとする者たちの平和に関する綺麗な嘘も、白い嘘よりは悪意は強いものの、物質化してみればペラペラの白い壁材のように見えることがある。露呈した資本主義の「邪悪」が透けて見えている。この恐るべき暴力性。
くりかえし対立する世界で白い壁はくりかえしあらわれる。
これは、2006年より13年まで、長野市にある松代大本営象山地下壕跡を人間のこころの暗部に、地下壕清野側4号出口付近を身体と身辺状況に見立て、『固有時と固有地』と名付けて「掃く」「はらう」「刈る」といった行為をおこなった後、壁材による物体を、地下壕清野側4号出口に設置した作品の題名である。
同地ではじめた、同じことを同じようにくりかえす当初の営為は、私と「いさかい」をめぐる模索を、場所論で解釈し視覚化し、歴史として記録しようとする試みだった。
私は土地係争の闘いが長い。自己正当化のため巧妙かつ隠微な嘘をつく邪悪な人たち。くりかえす表裏ある言葉と態度で、加害者を被害者として語り、物語を生成変化させていく。まるで彼らの不穏を隠し守る壁を構築しているかのようだ。
そして、その「いさかい」を思索することは、「白」「黒」の決着のつかないまま自らの潔白のみを主張する人の、曰く言い難い暗い内面に触れることだった。現在も、私の感情は癒えたわけではなく、それゆえ係争区域の風景は、土地の上空まで所有者の生き方と死生観で満ちた特殊な空間に観える。
境界は不思議だ。
そこには、人間の一生に対する見方考え方、他界観、哲学、土地の記憶、地域の歴史、霊的な場所と情念領域についての思考が、具体的に空間にさしだされている。
太平洋戦争末期、強制連行の朝鮮人労働者らが従事し、地元住民も強制疎開や勤労動員を強いられた、地下壕の戦争遺跡の前に立つ時、国家という組織的メカニズムの暴力が、やはり空間にさしだされていると、私は感じる。
この戦争遺跡が、痛切さとして日本語とハングルで記録される時、もしくは複数の異なる民族の言葉で語られて記憶される時、素材と行為によって美術として眼の前に壁が立ちあがる時、固有の時間の流れの中で実感された固有の場所は、「白」か「黒」かと、対立する世界と同様の出来事になっていく。
おれにむかってしずかなとき
しずかな中間へ
何が立ちあがるのだ
おれにむかってしずかなとき
しずかな出口を
だれがふりむくのだ
おれにむかってしずかなとき
しずかな背後はだれがふせぐのだ。
『しずかな敵 <いちまいの上衣のうた>から』
(石原吉郎詩集 現代詩文庫26 思潮社)
前掲の石原吉郎の詩『しずかな敵 <いちまいの上衣のうた>から』を読んだ時、私も係争体験を通して「しずかな敵」という不可解な発想を生み、私自身が、「元型としての戦争」の時局に直面し存在していることに気がついたのだった。それ以後、「敵」との対峙関係を不断に行う日常性がくりかえされる世界に、「敵」の敵として、私は生きている。
私が、戦争史跡で 場所の彫刻を構築した所以である。
そして何度でもくりかえす。現在は11・13後。
北澤一伯 Kazunori Kitazawa
1949年長野県伊那市生れ
1971年から作品発表。94年以後、廃屋と旧家の内部を「こころの内部」に見立てて美術空間に変える『「丘」をめぐって』連作を現場制作。その他、彫刻制作の手法と理論による「脱構築」連作。2008年12月、約14年間長野県安曇市穂高にある民家に住みながら、その家の内部を「こころ内部」の動きに従って改修することで、「こころの闇」をトランスフォームする『「丘」をめぐって』連作「残侠の家」の制作を終了した。また、生家で体験した山林の境界や土地の権利をめぐる問題を、「境(さかい)論」として把握し、口伝と物質化を試みて、レコンキスタ(失地奪還/全てを失った場所で、もう一度たいせつなものをとりもどす)プロジェクトを持続しつつ、95年NIPAF’95に参加したセルジ.ペイ(仏)のパフォーマンスから受けた印象を展開し、03年より「セルジ.ペイ頌歌シリーズ 」を発表している。
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