文 / 松下 幸
photo by Koh Matsushita
「新嘉坡で本がエロモン浸しになるの巻」
8月頭にシンガポールに引っ越してきて驚いたのは、こちらがさほど暑くないことだった。
6月に数日間だけ娘の幼稚園探しで来た時には、正直もうここには二度と来たくないと思うぐらい暑くて、湿度が高くて、湿っぽくて、蒸し暑くて、湿っぽくて、湿度が高くて、蒸し暑くて、気が狂うほどの不快指数であり、特にスコールが上がったあとの炎天下なんかもう、筆舌に尽くしがたい苦痛であった。3日滞在した間の平均湿度は90%。いっそ私を蒸しあげて欲しいと切に願った。
渡星前には会う人会う人、初対面の人にまで、自分がそんな蒸し器の中みたいなところに引っ越すこと、それがどのくらいの苦痛を伴うかということについて語り、不快さをわざわざ増幅させるようなことをしていたのだが、来てみたら拍子抜けするほど暑くない。
実は、8月というのはシンガポールで最も過ごしやすい時期なのだそうだ。
テレビで世界の天気予報を見ていると、東京が地獄のように暑いのが分かった。正直あんなに8月の気温が高いのは、中国の一部と中東とアフリカと日本ぐらいのものである。シンガポールより東京のほうが5度も高い日すらあった。
ちょっと晴れた日の昼なんかにシンガポーリアンに会うと、「今日は暑いね!」「こっちは熱帯だからね。東京から来たんだったら辛いでしょ?」と言われるのだが、「いや、東京の夏のほうが暑いよ」「でしょ?シンガポールは暑いのよ!」「いやいや、8月でいえば東京のほうがずっと暑いです。死者が出ます」「え?東京が暑いって言ってるの?まさか!」「いやいやほんとに」なんてやり取りが続く。彼らは本当の暑さを知らない。
ということで、シンガポールへの旅行を計画される方には、8月辺りに避暑に来ることをお勧めします。世界3大ガッカリと言われるマーライオンは、期待せずに行くとそこまで悪くはありません。私と同じ40才のマーライオンさんが、中年の体に鞭打って盛大に水を吐く姿をぼんやりと眺める夕暮れも悪くはないものです。
さて、40代に突入するにあたって、酔った勢いでおじさんにベロチューされたことをきっかけに三度目の性徴期を迎えようとしている私は、同じ40代の友人とその言い表しがたい熱望のようなものに「エロモン」という名前をつけた。8月からこっち、エロモンについて議論を続け、理解を深めるため切磋琢磨する日々なのだが、シンガポールに来るなり根本的な、深刻な問題に直面した。これはけっこう致命的なのだった。
それについて私は「誰がかっこいいか分からない問題」と名付けた。きっと(ほぼ)単一民族の国にお住まいの方には何のことやら分からないと思うが、想像してみて欲しい。
マレー語、中国語、タミル語、英語が公用語である多民族国家がある。そして人口の25%は外国人滞在者である。そこには黒人以外のあらゆる人種がいる(何故か黒人は見ないが何故かはいまだに分からない)。欧米人ではアメリカ系、ヨーロッパ系。ヨーロッパ系は南方系、北方系、ひと通りの系列が揃っている。多数派であるアジア勢ではマレー系、タイ系、フィリピン系、インドネシア系、中東系、インド系、華僑系、日本&韓国系。と、これだけの人種が集まっている。北方系と思われる白人というのはめちゃくちゃに背が高い。180センチ超の妻と190センチ超の夫が柳の木のようにゆらゆらと歩いている横を、150センチ台のマレー系の丸っこい女性が転がるように歩いている。色の濃淡も、顔のバタ臭さも、民族衣装も様々すぎて、もう何がなんだか分からない。背が高いのは美人の必須条件のように言われるが、その背の高い欧米女子がえらくガッチリして何だかおっさんくさく見える現象にも襲われる。
例えると、千と千尋の神隠しの湯屋に似ている。妖怪大集合みたいな状態だ。ここには「おしゃれ」もなければ「かっこいい」もない。きっとそれは民族によって違うものなのだ。と悟ったのは自分が「誰がかっこいいか分からない問題」に直面しているからで、誰がかっこいいか分からなくなってしまうと、エロモンの向けどころもなくなってしまうらしい。
これは目が慣れるのを待つしかない。きっと周りをよく観察して、それぞれの民族の違いがわかるようになれば、自分のなかでの美男美女の価値基準が再構成されるに違いない。そしたら、この地で新たにエロモンが分泌される土壌も作られるかもしれない。その時に、「どういう相手、シチュエーションであれば分泌が促進されるのか」という問いへの答えも出るかもしれない。
こうしてエロモンの分泌は停止方向に向かったわけだが、かといってすでに出たものが無くなってしまうわけではないようだった。それがどういう性質のものか分からないまま、やり場に困るという困った状態に陥った。男性のように「性交(もしくは自慰)すれば治まる」というタイプの衝動なのか、つまり性欲と同じものなのか、それとも、また違った心境と体内変化を表すもので、その何かが満たされないとコンフリクトが解消されないものなのか。よく分からない。
ただそういう性的な場面に身を置くと、女というのはきれいになるものだと昔an-anという女性誌で読んだ(あまり知られていないようだが、女性目線での性交に関する一般的な情報はan-anが詳しい。易しい文献なので一読をお勧めする)。いざ新たな相手と性交を日常的に行う場面になったら、たるんだ腹が自然に引っ込んで肌が潤いを取り戻したという、友人からの信じがたい報告も得た。これは、今後(できれば身を持って)研究したほうがいい課題である。
こうしてエロモンについて議論を交わし、自身でも考え続ける日々を送ると、想像ばかりが膨らんでまるで耳年増の中学生のような状態になる。40代のおばさんが揃いも揃って耳年増談義。非常にみっともない。できれば他人には知られたくない。さらにひどいことに、相手がいないものだから過去の相手を引っ張りだして妄想の種にするという、まことに情けない日々を送っていた。せめてもの救いは、もう使い古した遥か昔の男ではなく、わりとフレッシュな、しかも未知の部分がふんだんに残っている、渡星直前にひと悶着あった美容師の男が妄想の相手だったことである。
その男は名をホンダと言った。中目黒あたりに生息し、仕事は夕方以降しかしない、ホームレス風ファッションのフリーの美容師。はっきり言ってお高く止まったいけすかない相手である。しかしそのいけすかないホンダと自分が性的な間柄になるとすれば話は別だ。
それは「相手と同じ土俵に上がる」ということだ。今までは全く違う地域に生息していた、ヒエラルキーがあるとすればすごく上と下のところにいた男女でも、いざ恋愛や性交となれば(これが同じ括りのものであるかどうかの考察は別項に譲る)、一気に「同じランク」になる。ひとつだけ例外があるとすれば、それがレイプであった場合だ。いい悪いは別にして、ヒエラルキーでの位置取りに圧倒的な差ができ、半永久的に埋まることはない。
で、私は途中まで、正確にいうとキスの先だが全裸にはならないという程度のところまで、このいけすかないがなんだか魅力的なホンダと性的な行為に及んだ。これは私が「隙がある」というのがどういう状態か試してみた結果である。そしてホンダの態度を見て、隙とは何かシンプルに理解した。ホンダはこちらをバカにしているような態度もとるが、それは別にいい。私にとっても、魅力は感じているが愛情は感じないという、都合のいい相手なのだった。今の時点で好きになりそうな相手を行為の遡上に乗せると、エロモンが何かという話ではなくただの恋愛話になってしまう。
私が拒絶したことでホンダとは気まずい終わりになってしまったが、なんとか今後に繋げて、シンガポールで考察を始められるまでのつなぎにならないか?この楽しい妄想を実現しようとした場合、どういう過程を経ればいいのだろうか?そういう想像は快く、日々の潤いになるものだった。
しかし。
ひとつだけ、ひっかかっていることがあった。行為前の儀式的な「食事と飲酒」という行程を踏んでいるときに、ホンダが言ったことである。その内容は、自分は過去にあるライターと共著に近い形で恋愛に関する本を出したことがあるのだが、それは読んだか?という質問だった。
そう言われるまで私は本の存在を忘れていた。人づてに聞いていたのに忘れていた。ホンダは強烈な女たらしで、大学卒業後就職した会社であっという間に部署中の女性に手をつけ、居づらくなって辞めたという噂も忘れていた。それらが奥歯にくっついたメントスのように微妙に気にかかっている間に、またホンダのほうからぽつんとご機嫌伺いのメールが来た。返事を返しながら、本の内容が強烈に気になり始めた。それで、Amazonにてレビューだけ読んでみたら、もう、鬼畜の所業を見たとしか思えないようなひどい感想が並んでいた。
本は絶版になっていたので、中古で入手して読んだ。
読みながら、鬼畜の所業で怒り心頭というより、「この男は何かトラウマでも抱えているのかな?」とハラハラしてしまった。
具体的にいうとホンダは本のなかで、女として下等だと思われる「地味でブスな」女性ばかり狙って、優しくしておだててさも特別な相手であるふりをして性行為に持ち込みながら、相手の女性が気持ちを求めてくると、内心でひどくバカにしながらソフトに捨てるという行為を繰り返していた。こんな歪んだ性行為の赤裸々な告白私ははじめて読んだ。で、本当に自分好みの相手が出てきたら、急に常識的で丁寧すぎる態度になって、真剣に「お付き合い」を始める。そんなホンダが理想の女性と出会って結婚するところで本は終わる。クソ忌々しい話だ。
そこで出てくる単純な疑問は以下の一点に尽きる。
「もしかして、この本を読んだかと私に聞いたということは、私がそういうバカにすべき女の一人だと示したかったからなのかな?」……ない話じゃないな。本の話を自分からしたことには何か当然意味があるはずだ。何で本の話になったんだっけ?その前に何を話してたんだっけ……確か酔っ払って、自分が過去に一番モテた時の武勇伝を話したような……こういうタイプの男だったら速攻落とす自信があるんです~とかなんとか……私ってまあまあ可愛いじゃないですかぁ、とかも言ったような。いや言ったな。言ってしまったな。何であんなこと言ったんだろうな?40女なのに。まあいい。酒の上での話だし。そんなことも言うだろう。それは置いておいて。そしたらホンダが「いい加減にしろよ」とか笑って私を叩いて…なんか、グーで叩いたな。けっこう痛かった。で、唐突に本の話になったんだった。
やっぱり流れからいうと、そういうことなのかな、なんて、冷静を装いつつ相当クラクラしながら読み進めていると、中に「鼻もちならない女」という項が出てきた。ホンダが最も嫌うタイプで、絶対に性行為に持ち込んだ上で相手を辱めてやると執念を燃やす相手でもあった。曰く、
「そこそこの容姿、そこそこのセンス、そこそこモテる。だから勘違いして、地味でどうでもいいランクのくせに、まるですごく有能で、美人で、モテモテであるかのように振る舞う勘違い女」。
私はこれを読んだとき、使い古された表現だが、目の前が真っ白になった。そして、恥ずかしさのあまり寝室へ飛んでいって、布団に潜り込んでしまった。
勘違い女……。
頭の中で自分の勘違いな振る舞いがどんどん再生される。
何が「都合のいい相手なのだった」だ。
何が「隙とは何か試してみた結果なのである」だ。
何が「私ってまあまあ可愛いじゃないですかぁ」だ。
辛い。誰か助けて。自分が痛すぎる。
いや、普段はそこまでひどくはないかもしれない。だが、私は基本的にこのジャンルの人間で、微妙に色々勘違いしながら幸せに生きてきた。悪いことに飲酒と食事のあいだ基本聞き役に徹するホンダに何を話していいか分からず、どんどん話が大きくなった結果、勘違い度が100パーセントむき出しにしまったかもしれない。つまり浮かれてのぼせ上がっていたというわけだ。
そういう女に出会ったときは、持ち上げて持ち上げて行為に及ぶが、絶対に奢らないしホテルなど費用のかかる場所にも行かず、自分からは何のサービスもせずに強引に始めるだけ始めてあとは奉仕させる、と書いてあった。確かに割り勘にしたし、行った場所も誰もいなくなった美容院であり、レイプされてもおかしくないぐらいの勢いだった。しかも「奉仕」させようとしていた。
恐ろしい。もしあそこで押し切られていたら。今、恥ずかしさのあまり、死んでしまったかもしれない。恥ずかし死にしたかもしれない。そんなことで死ぬということ事態がまた、恥ずかしすぎる。七代末まで祟られる恥ずかしさだ。あの時の自分よ、目を覚ませ。もう飲むのをやめろ!
が。
日頃の行いがいいので神様が助けてくださったとしか思えない。いい子にしててよかった……。
忘れてはいけない。ここは強調すべきところだ。私は途中でホンダを拒絶することに成功しているのだ。相手の好きにさせたわけでは決してない。
さらに奇跡的なことに、偶然とはいえ最高の打撃を与えていたのだ。いや本当である。これから私が書くことを、目に刻み込んで欲しい。
私はしつこく行為に及ぼうとするホンダに、
「もしかして、私のこと好きなの?」
と真剣な顔で質問してやったのだった。
ホンダはそのとき、「はぁ!?」と、心底心外であるというような声を出した。私自身、何でそんなことを聞いたのかよく分からなかった。なんとなく口からこぼれ出ただけだった。
ホンダにとってこんな散々な結果があるだろうか?もし私を貶めてやろうとして行為に及んだなら、その相手に、自分が惚れているから迫っていると勘違いされ、拒絶される。「あなたを友達としか思えない」という風に。
これは、相当、屈辱。
グッジョブその時の私。
あの時そう言えて本当によかった。もっとプライドを傷つけるために、飲食の代金は私が全部払うべきだった。それも「ここは私に任せて」と上からな感じで。
と、屈辱と怒りがないまぜになった混乱のなかで、さらに追い打ちをかける攻撃が出来ないものか考えた。考えに考えて、丸一日ほど考えて出した結論は、「完全に勘違いした女になる」ことだった。
「お客を紹介したいんだけどー、いつなら空いてる?」とぞんざいなメールを一本送りつける。返事がない。よしよし、癇に障っている。そこで追い打ちをかけて、
「ごめんね……ホンダさんの気持ちに応えてあげられなくて。きっと、連絡取ってると私のこと忘れられないよね?だから、もうここでおしまいにしよう」
とメールを送った。そしてブロックした。イエス。完璧。バーカバーカ、ホンダ!チンコ腐って壊死して泣け!!
腐れチンコの話から分かったことは、男は、相手に性的魅力を感じない状態でも性行為に及ぶことができる、つまり、勃起できるということだ。女性の身からしたら信じがたい話だ。
そして私は、「別に使い捨ての女だと思われていてもいいや」と思っていたものの、愚弄までされていると分かった場合は、いくら相手が表面的にはこちらを気分よくさせる相手でも完全に性的関心が失せてしまうという、まあ、当然の結果を理解した。
もうひとつ考慮しなくてはならない点も分かった。私はこういう相手の本心を見抜けずに、魅力すら感じてしまう、うすらバカだ。その点は肝に命じておかなくてはならない。
今回は結構な痛手を被った。当然ながら傷ついた。客観的にみれば、地味で冴えない40女がおだてられて調子に乗って痛い目を見たという話である。
これが現実なのか?これが私がこれからやろうとしていることの前提条件なのか?
そもそも私は何がしたかったのか?性交だろうか。擬似恋愛だろうか。ヒエラルキーを上げたかったのか。ちやほやされたかったのだろうか。
自分でもよく分からないまま進んでいるというのがさらに痛いところだ。それでもやはり、やめるわけにはいかない。
私のエロモンは依然としてまだそこにあり、出口を求めてさまよっているのだから。
松下 幸 MATSUSHITA KOH ※ペンネームです
1972年福岡市生まれ コピーライター
略歴(概略)フリーター→主婦→会社員→フリーランス
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