ピオリア

文 / 松田朕佳

Peoria : photo by Chika MATSUDA

機内食三食すっかり吐き出して、すっきり晴れやかに降り立ったシカゴ・オヘア空港はどんより曇り空。
ここで合っているのか分からないバス停で待つ。同じく確信のなさそうな人が数人同じ場所で待っているというのは心強いのかどうか。5分、10分遅れでバスが来た。ここでよかった様子。一安心してバスに乗り込む。みんな乗り終わって、さて出発、、と思ったら女の子がもう一人、ばたばたと乗り込んできた。携帯電話片手に中国語でしゃべっている。電話を切ったと思ったら「あと5分待って、友達がくるんです!」と運転手に頼み始めた。「このバスはもう遅れているんだ、待ってられないよ!」と怒鳴る運転手。「あと3分だけ。お願いです!」と泣きそうな女の子。「だめだ、だめだ、早く座席に座れ!」「1分でもいいから、お願い!彼、お金がないの!」ドアは閉まりバスが出発した。渋々そのこは席に着く。そして再び立ち上がり運転席へ。「私、降ります。止まって!バスを止めて!」バスは空港から出て国道に出る手前。「バスは動いてるんだ!危ないから座ってろ!」「お願い、彼は一銭も持っていないのよ!下ろして!」あっけなく、バスは女の子にハイジャックされ空港に逆戻り、同じバス停へ。バスが止まりドアが開く。女の子は携帯でなにかしゃべっている。「いま友達がこっちに向かっています、あと3分で着くから!」運転手も乗客も諦めた。数分後、その友達が乗り込んできてバスは再び発車する。やれやれ、と乗客全員が心を撫で下ろしたのも束の間、運転手の携帯電話が鳴る。バス会社からの様子。電話を切って車内アナウンス「別のバスが満員で乗れない人が出ているからもう一つの空港へ寄ってそいつらをピックアップしてから終点に向かう」とのこと。別に1時間くらい遅れることはかまわない。というのも実は私が家を最初に出発してから既に2週間が経っているのだ。

これまで何度か学生ビザなどで長期滞在することが多かったので、毎回入国審査というのは書類の不備があるのではないかという心配がつきまとった。ただ、今回は3ヶ月の滞在。短期旅行者。複雑なことが起きるはずがない。オンラインで簡単にビザの申請をして、何の心配も不安もなく成田空港へ向かった。チェックインカウンター。私の頭はこれから10時間の機内での時間つぶしのことを考えるのに忙しかった。「このパスポートは自動読み取りバーコードがないので別にビザが必要です。今日のフライトには乗れません」想定外の出来事は起こるよう。昨夜、別れを惜しんだ家族と友人の住む家に翌日帰るのも気が引ける。東京の友人宅に一泊させてもらい、ネットでビザの申請を始める。どう考えても手続きに10日はかかるようす。はずかしいけど家に帰るか。もう部屋も片付けたし、必要な人に別れも告げた。この場所で私の役割はもう無いのだ。ぼんやりと、執行日を延期された死刑囚の気持ちを思い浮かべてみた。その場所からいなくなる覚悟が整った。その後に与えられる猶予。新たな執行日は伝えられていないため、それが明日なのか来月なのか、もしくは来ないのか、見当がつかない。掟の門前。成田空港チェックインカウンター。国境というのは簡単に超えられてはいけない境界のようだ。

結局バスは通常2時間のところ3時間半で到着。ピオリア。
住居は郊外の一軒家。数人の作家との共同生活。アトリエは工場地帯にある古いレンガ造りの工場を改修した建物。隣接してエタノール生産工場があるため、辺り一帯はウイスキーの匂いが立ちこめている。滞在中、このアトリエに毎日送り迎えしてくれるスタッフがいて9時〜6時、月〜日曜日というスケジュールで規則正しく制作する。タイムカードに出勤、退出時間を記入し時給制労働者のようにアトリエに通う。片手間にアーティストなんてやっていられない。私たちは一日8時間、週7日働いているのだ。その間、制作しようが昼寝をしていようが誰も文句は言わないのだが。到着して数日、まだ暖かいし自分がどのような場所にいるのか知る為にも自転車で近所を散策。アトリエの前はワシントン通り。そういえば半年程前、このアーティストレジデンスが決まった頃、私はワシントンに行くものだと思っていた。友人にワシントン州?ワシントンDC?と聞かれ、ワシントン州だと思う、と根拠無く答えた。この2つは地図上だとアメリカ大陸の西端と東端で距離にすると2500マイルほど離れているらしい。車で1週間くらいかな。日にちが近づき、飛行機のチケットを取ったりする頃になってようやくそれがイリノイ州、ピオリア、ワシントン通りであることに気がついた。 その3つのワシントンはどれも私にとっては平等に見知らぬ土地だったし、そのときは 行き場があることに安心していて、その場所がどこにあろうと差し当たって重要ではなかった。自分と対象の距離は、距離であるだけで遠くもなく近くもなく、そのぶんだけそこにある。目と鼻の先がいつまで待っても縮まらないようなものだな、と思う。

ワシントン通りに立ち並んでいるのはレンガ造りの古い工場で、その半分以上は廃屋。キャタピラーという大手重機メーカーの拠点があるために町の経済は潤っている、と言うわりに見かけはゴーストタウン。初日にお気に入りの中古品屋をみつける。総入れ歯の店主は初めゲイかと思ったが、それはこの辺の人々の訛りというか話し方なのだということに何日かして気づいた。初日に、今週末で閉店するかもしれない、と告げられ、その後毎日通った為に、この店で作品作りに必要な材料と道具はほとんど揃った。1950年代製造の足裏マッサージ機、3ドル。探したこともないが、見つけたときに、これほどに探していたものは無い、と思うものがこういう店にはある。結局店は月末に移転が決まったらしく、最初の週のように値引きはしてくれなくなった。

ピオリアでの最初の作品「言葉以前の記憶」は舌が舐めたテープをこの店で50セントで買ったカセットテープデッキが巻き取って行く。

松田朕佳 Matsuda Chika 1983年生まれ 美術家 
アメリカ合衆国イリノイ州ピオリア在住
ビデオ、立体造形を中心に制作。2010年にアメリカ合衆国アリゾナ大学大学院芸術科修了後、アーティストインレジデンスをしながら制作活動をしている。
www.chikamatsuda.com