障害者アートとしてのドラムサークル

文 / 塩津知広

 誰にとっても『”自分自身で在る”=”自分を表現する”』ということは生きていく上で不可欠であると思っています。
 生きるということそのものが”アート活動”でありこの世に息づく人々はみな”アーティスト”であるとも言えるのではないでしょうか。
 ”自分を外に向かって表現する=アート(芸術)”は、エンパワーメント(自分らしく生き生きと生きるチカラ)を高めていくためにとても大切なツールです。

 われわれが常日頃に(それとは意識せずとも)使っている表情や仕草や言葉、これらは”自己表現活動=アート(やコミュニケーション)”に欠かせない手段です。
 しかし、それらの行動が苦手な障害者の方々にとっては、自分を表現するためにこれらの手段に代わるものが必要です。
 ドラムサークルは、その表現活動のひとつとして、障害者支援現場より注目していただいています。

 ”芸術(アート)”として代表的なものは、絵だったり造形だったりします。つまりカタチに残るモノ、目に見えるモノ、そのままそこに在り続けるモノ。
 しかし瞬間的にその場に現れる音の響きや体の動き、いま見た(感じた)けれど次の瞬間にはもう居なくなってしまうキラメキ、それも”アート(芸術)”と捉えられるのではないでしょうか。

 具体的には、個々人の笑顔であったり歓声であったり喜びのあまり止まらない動きであったり、その場のエネルギーの高まりであったりみなで創っている居心地のいい空間であったり、発現の仕方はさまざまです。
 われわれが不自由なくできること(表情や仕草や言葉など)がままならないだけにあらゆる手段でキモチを外に向けてしようとする行為、限られた自由になる(カラダの)部分を精一杯使っての行動、それは時にわれわれ(あえて「障害者」と分けるなら)健常者を思わずのけぞらせるほどのチカラをもって目前に現れます。
 その様子を見た(日ごろ傍に居る)支援者は、口をそろえて「こんなことができるなんて思っても見なかった、驚いた」との感想を事後に語ります。予想を超えて感動をもたらす事象は、まさしく”アート(芸術)”です。

 こういうアートに触れ、感じ、その気持ちの高まりを共有する。それには、その場に参加していただくのが一番いいのは当然です。ですが、アート作品として残すために「なんとかできないだろうか?」と思い悩んでいるここ最近です。
 動画?写真?どういうカタチがいいだろうか?これからチャレンジしてみたいテーマとなっています(これをお読みいただいたみなさまより、よろしければアドバイスいただけましたら幸いです)。

 拙文、駄文、お読みいただきありがとうございました。

塩津知広 TOMOHIRO SHIOTSU 1965年福岡県北九州市門司区生まれ 長野県長野市在住 音楽講師 
1990~音楽教室講師として活動開始
2006年~「ドラムサークルながの」発足
drumcirclenagano@gmail.com
URL ドラムサークルながの