腕落ち

文 / 町田哲也

遠い時の向こうに顎を寄せ頭骨が髪生際の皮膚を薄膜へと骨を透かして張りつめる耳の裏に歯をたてた憶えはある ー が名を忘れてしまっている女が恰も自らの股からひきずりだして放り ー 色塊を吐いた口元のカタチが細い顎喉に残され ー そして離れずに獣の一部のように蔑んでみつめる裏腹な距離を意固地に保ち向こう岸のモノよ小さな叫びを加えてから今一度自らの血肉を整えて拒絶するかの女の累々の女たちの、ー 出来れば誰もいなくなってから隠れて持ち帰って ー 赤い舌に強かに陰る淫猥な滴りの乾いた斜視瞳がそっくり男の目玉に宿り、あるいは裏側から抱いた女よりも昏い記憶か黒骸の女親から無用が移り遺ったと幾度か払ったことのある面倒に似た違和ばかり発疹のようなしきりに痒い重い瞼を、瞑ろうとも瞬きもせずにぐったりとたっぷりとそのままに立つ恣意を昂らせる気配が役者のようでもある皮肉を輪郭に微動させる男の、ぽかんと項垂れて落ちた腕を眺めている姿は無表情を頼りにしていた。

散々こんなモノ見てきた。こんなものに感けるよりも歩まねばならない。呼気を淡くさせたが眼は下に落ち脈動は途切れた筈だがいまだくっきり膨れ皮膚を卑猥に巡る血液の巣穴管の膨らみを件の宿女の目玉が腕の裏側にまで届くように反復し奇異と欲望を米粒に集めるかに眉間熱く灯るばかりとなって氷の中から融けるということはあるのか肉の反転した躯に男は戸惑う。笹の葉が脹脛を浅く長く幾筋も切り裂いた傷口に腰から流れ乾いた肉塩が染み込み黒く乾いているがそこばかり酷く痒いのでやや膨れた風な陰茎をつまみだし落ちたモノのよこへ小便を細く長々と湯気を白くにおわせ垂らすと錯誤を紛らわせるよりむしろ奇怪が疼きと融け混じり半身が徐々に黒くなる変異を男には眺め下ろすように感じるのだった。顎をやや上げると地も森も辺りの景色の深さが浅く薄い切絵の層と近づき交互に薄っぺらに重なり弱くかさかさと動くので雨でも降ってくれれば世界は一枚に張り付くと男には見える。

走りはじめて峠のような起伏を幾つも越え腰迄沢に濡らし一度墨闇の農家納屋に忍んで葉の萎れた大根を懐に掴み入れまた走り歩きもした峯の近くの岩の陰で味の抜けた塊を根から浮いた歯で砕き袋に詰め込むように腹に入れ二日経ったかと西を振り返っていたが日を繰り返した覚えはなかった。どこかに速い流れを使った回り道があってこちらを薄笑いで待ち受ける追手らが一列に並ぶ幻影はいよいよ頭瘤となり諦めを隣にみえるようにしたまま躯の肉のあの先へと都度そのことばかりを対に立て思うでもなく動いていたことを憶い起こし眉間の灯火に加えるように自らもが景色の薄紙となった侘しい心地でやや広げた落ちた腕の指を宿りの抜けた目玉で辿りそういえば夢をみる眠りもなかったと言葉がこぼれた。

あと二日走れば海にでるだろう。山々の連なりの途切れた北の隙間から垂直を切り開く紺碧を臨むと前後が淡くなりこのまま彫像となる樹液と落葉で埋もれた石人を旋回する俯瞰の髪が揺れる。海をみればどうにかなると知るわけでもなかったが流離いの示しとなった幼子の示唆に満ちた波音地味た声が歩みの底や走りの首筋の喘ぎの下しきりに聞こえあれは誰の子だったか。耳を澄ませば消えたが子たちだったか。待ち伏せがあったとしたら事前に悟り別の筋を探せばいい。いかにも簡単に折れてしまう気楽を爪先で転がし高みから駆け下り突っ伏して溜まりの泥水を呑み干し立ち上がると足元に腕が転がっていた。熔けた青銅が固まるかに燃え尽きた赤い放心の心地と軀で腰を下ろし背負った袋から千切れた布を取り出し泥水に浸して絞り首から肩を拭い今度は両膝を折り座した両手で上澄みを掬おうとするとおぉ。溜め息が震えて零れ腕はこの自分のものだったと気づくのだった。意味の符号の得心がこの状況景を巡ると中心の者の力根元が切断され停止する。男は風に吹かれた枯枝のごとく地に崩れ泥濘んだ土に頭顎を沈め喉に泥溜りが流れ込むと安堵の味となり少し眠ろうか。瞼が乾いた目玉をようやく覆ったが見下ろした時の訝眼の隙間はそのまま残った。

サトルと自らを名で言葉にする小さな男は子供のような背丈であったが歳は横たわる者の倍はありそうな成熟を蓄えた丸い鹿目玉を棒状に男に向け異人の風格で横に座り湯気のあがる器を差し出す動きに呼応し小さな手のひらが幾つも背を支え男の重怠い半身を起き上がらせた。目覚めてから夢をみることもある。器へ唇を尖らせどちらでもよい。熱い香りの濃い汁を短く幾度か啜り胸から腹の中への糸巡りを確かめると怯えを失くしている。まだ白く濁った割れた胡桃頭でさきほどの走りの止まった叢の足元に転がった腕が浮かんだ。

「お前を喰ってしまってもよかった。ソノがやめろといった。殺めの香りがする腕はほれみてみろ婆が繋いでみたぞ。指など動かぬかもしれぬ。フジが精汁をこしらえてくれるから喰え」

目玉を反らし小声を転がすサトルが男の腿を手で掴み立ち上がりげぇと腹から音をもどして小さな歩幅で歩み去ると背後から男の口元へ別の杓が寄せられ咽せるものを唇にあてがわれ一口飲み干してから細い干し草のようなもので縫われている動かぬ腕を見る。草叢を束ねた獣巣のようなものの中に男は居る。炉の向こうには女がふたりと子が五人黙座している。幼子三人は女で下は歩き始めの小さな体だか瞳は丸く漆黒の豆と輝く。ソノと指差された十二三を越えたあたりか女子供はモノに突き刺すような眼差しを隠さず下の二人の男子供の口を開けたままの呆けた表情を切り裂く目元は性の萌芽への憤怒を外へ見境なくあからさまに向けている。ただ子らは皆言葉を知らぬかに黙し細った白髪も見える老女の細かく動かす指先の紡ぎものに度々目が寄せられる。若い女は臑をさらして横に投げ座り俯いて暗がりに表情を隠し小さな黒い瞳の子を獣のように胸に抱くと子は指で器用に乳を探った。
子供らは長く丸く細くと特異な顔つきなので湯気の汁物を全て腹に入れ終えても横にならず男は草叢の者共と同じ目付きでみつめ血の子らでないと判る。右腕の肘上あたりが麻糸で縫われていたが痛みはなくあぁ落ちていた腕をあの指で繋げたかと白髪頭の女の指先へまた男子供を真似てみつめた。

水袋のような兎を裂いてから籠から四本の太綱の蛇骸を取り出したサトルは顎先で年上の娘の前にひとつ放り投げるとふたりは尖らせた枝の先で器用にしぃと音を立て皮を剥ぎ腹を縦に裂き同じ枝先で臓をこすり落とした。男子供のひとりは蛇皮を指に巻いて遊ぶ。兎の皮を鞣しながら俯いたままサトルはやはり小さな声を零す。

「皆盗った。俺に子種がねえかフジの子宿が壊れた。気にいらねえと愚痴るから生まれたばかりを下へ降りていくたび狙ったがフジはテメエの腹を呪う貌となったがほれ乳はでる。肉がないからしゃぶる」

男は自分の右腕が肩口から肘まで深々と躯にぶつかるように刃で切りつけられ裂け辛うじて繋がったモノをぶら下げたまま痛みなどどこかに落として走ってきたのだと白髪の女の小さな吐息を数えながら顛末を忘れるためにつむじ風地味た暴れの光景を憶いだした。フジと呼ばれた若い女は白いのっぺりとした面を光の下へ出してヨネは縫いものがうまい。花びらの唇が添い寝の夜を求めるように男に向かってつぶやいた。鉄釜に葱やら芋を煮た汁の中に丸まった蛇肉の細骨を吸うように喰う子らの尻には鼬の毛皮が敷かれサトルは蛇汁を口にせず茎のようなものをしゃぶりながら虫骸の混じり浮く白濁した酒を呑んでから男にも酒器を渡し兎を焙る。

「お前の腕は千切れたわけではなかった。ただお前は長いこと色の変わった腕を眺めて倒れていたがその訝しい瞳の黒く広がった瞼を閉じなかった。怪しんだが鼾が聴こえたので寄ってみれば腕が落ちたと寝言を漏らしていたわ。ふぉふ」

親指と人差し指で楊枝をつまむまでは動いたが他の指は丸く手の平の中に固まったまま黒い色をしている。男子供と皮を剥き火をおこす大蒜から岩穴の住処へ移りつつ冬を越え乳の匂いが消えるまでフジは時折近づいてその大方腐った手首を膝に置き拾ったものに投げる同じ目つきでテオチと小さく囁きながら幾度も撫でるのだった。此処でも波の音はよく聴こえる。半身の黒くなった男は耳に手のひらを重ねる。

町田哲也 Tetsuya Machida 1958年長野市生まれ
ブランチング企画責任 トポス統括 バエイカッケイ開発統括 クマサプランニング主催
iam@machidatetsuya.com
枝間ノ闇
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TOPOS
トポス高地回遊 町田哲也展
9/2~9/17 ギャラリーアンデルセン
9/18~9/30 アリコ・ルージュ
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