Monologue II

文 / 丸山玄太

九月十七日

別れてしまいました、結局。

連絡を頂いた直後でしたので3週間ほど前です。

そうです、あちらから。

簡単に言ってしまえば、訳の分からないことで突然婚約を破棄された、という感じでしょうか。

他に言いようがありませんから。彼にしてもどうしようもなかった、と理解はしていますが。

はい。

あの日の朝から東京出張でしたので、駅まで送っていきました。

夜になってから、とりたてた用事はなかったのですが、どう?というようなメールを送りました。

いえ、翌朝になっても返信はなかったのですが、大学時代の友人と会うとも聞いていたので遅くまで飲んでいたのかな、程度にしか考えていませんでした。

その日の夜になって、翌日の迎えに行く都合もあったので電話をしました。その時にはもう消えていました、私。記憶というか、なんというか。電話口に出た彼は他人行儀で、まず自分の名字を名乗りました。

仕事先の相手と同席中かな、と思ったのですが、彼、お間違えではありませんか?と私に言ったのです。私が黙ってしまうと、重ねて、申し訳ないのですが、どなたですか?昨夜のメールからお間違えですよ。と。

不都合なタイミングでかけてしまったのか、むこうで何が起こっているのかまったくわからないまま、腹立たしさも少し混ざってとにかく明日迎えが必要なら時間をメールするように、ということだけ伝えて切ってしまいました。

あとで本人に聞いたところ、彼の携帯電話のメモリに当然私の番号は登録されていたのですが、誰かわからなかった。いつかどこかで少しだけ知り合った誰かが間違えているのではないか、と思っていたそうです。

翌日になっても連絡はありませんでした。ただ同棲していましたらから、何れにしても帰ってはくるはずだとは思っていました。不安は少しですがありました。

帰ってきました。いつも通り、というか。私にとってはいつも通り、彼にとっては…どうだったのでしょう。彼、部屋で待っていた私を見てとても驚いていました。目を丸くして。それで…どなたですか。って。

ふざけている様子はなく、いたって真剣な問いかけに、今度は私が驚いてしまって。

暫く何の言葉も出てきませんでした。彼も私を見て固まったままで。それはそうですよね、帰ったら彼女は不在で、見知らぬ女性が部屋にいた、と。泥棒、とは思わなかったそうですが、普通のことではないな、とは思ったそうです。

ようやく私が、どういうつもり?と尋ねました。その時は…怒ってはいませんでした。いえ、怒ってもいたかもしれません。何を思っていたとしても、私の目の前の彼は、すでに私の彼ではなかったのですよね。

申し訳ないけれどあなたが誰なのか分からない。どうして僕らの家にいるのですか。って。全く理解出来ませんでした。実際にあなたは私たちの家に帰ってきたじゃないの、って。それで分からないとはどういうことなのか、って。

暫く考えていましたが、やはりあなたを知りません、と。

彼女がいること、その彼女と婚約していること、週末には式場へ打ち合わせに行くことも説明しました。全部覚えているんです。その彼女が、目の前にいる私だということ以外。

私という人間だけが彼から消えてしまっていました。

分からない、と言っていました。名前も顔も出てこない、と。ただ仕草や声は私に似ているような感じはする、って。笑っちゃいますよね。

写真や色んなものを広げて。共通の友人にも電話しました。でも、結局、お互い、なんでしょうかね。彼も私も納得することは出来ませんでした。その時ははまだ一時的なものだと思っていましたし、もしかしたら病気かもしれない、とも思っていたので、彼が、一人になりたいから、と持ち帰った荷物を再び持って出ていこうとしたときには一人には出来ない、と抵抗しましたが、最終的には彼がそれで落ち着くなら、と折れました。

彼をとりまく状況全てが、私との関係を証明していましたから、彼も自分がおかしくなってしまったことを理解したのだと思います。二人でデートをした場所をまわったり、友人を訪ねたりもしましたが何も変わりませんでした。もちろん病院へも行きました。

2ヶ月ほどでした。その後、婚約を白紙に戻したい、と彼から言われました。

納得したわけではないですが、そんな状況で結婚も出来ないですし、負担ならば今はひとつでも減らせれば、と。いつか思い出してくれると思っていました。たとえ思い出せなくてもその記憶の相手が私だということは変わりませんし、その私を今の私で埋めれば良いと、どこか楽観的になってもいました。彼自身は変わっていませんでしたから。

彼にとっては大きなことだったのでしょうね…もしかしたら私の方が変わってしまったのかもしれません。

いつまでも待つと、一緒にがんばるから、と食い下がりましたがどうしようもありませんでした。

あれは本当のことだったのですか。

そうですか。ただそのことをもっと早く知っていたら…いえ、知っていてもどうにもならなかったでしょうね。どうせなら私の記憶も消してくれたらよかったのに。

丸山玄太 1982年長野市生まれ 東京在住 クリエイター undergarden主催