フェイスブックに半公開日記的な日々の雑感を投稿している。この三か月ほどはコロナ禍に翻弄されたりされなかったりの投稿だった。



文・写真 / 金森信昭

20200314

 雨。家から一歩も出なかった。午後部屋でゴロゴロボーっとしていたら「ナァ…」という動物の鳴き声がした。猫に近い鳥の声。カラス程けたたましくはなく、猫ほどはっきりしない。呟きというか、つい出ちゃったため息に似てる空虚な鳴き声。その「ナァ…」というくぐもったやる気の無い鳴き声が一遍でると、暫く間を置いてまた「ナァ…」と鳴く。忘れた頃というのでもなく規則正しくというのでもなく、なんとも腑抜けたタイミングで鳴くもんだから、掛け時計の秒針を睨んでみた。10秒、20秒、5秒、40秒、5秒、5秒みたいな不規則な間隔で、鳴き声自体の質、量は変わらずやる気なく「ナァ…」。なんか妙に気になり、気になりだすと耳に付いて離れない。暫く「ナァ…」に囚われた。
 いつの間にか「ナァ…」は消え、寝っ転がって本を読んでいたら「雪だってさ」と言う家人の声がした。カーテンを開けてみると、ひらひらと雪が降ってた。
 桜の開花宣言が明日にもというのに雪か。窓を開けると寒い冬の空気が入ってきた。「さっぶー」と一声発して窓を締めた。
 「ナァ…」は素っ頓狂な降雪を知らせる鳥の世界の「困ったもんだ…」の知らせだったのかもしれない。

20200329

川崎市。雪がクラスターでオーバーシュートしてロックダウン中。

20200406

 不要不急の植木の剪定はどうなるんだ。テレワークでブロックを積めってのか。
産廃屋も自粛だろう。ってことは穴掘っても土を出せないってことだ。国会前にダンプアップとか発想は面白いけど、ドテルテだったら一発でぶっ放される。アベてくださいとか泣きを入れてもお縄は免れまい。横道にそれたけど、造園屋は自粛して補填されるんだろうか。何しろ土方はほっとけって感じだろ。ちゃうんか。
 いや、そりゃあ自粛して家にいたい。皆様と歩調を合わせたい。しかしだよ、働かなきゃ食えないシステムになってる末端労働者はウイルスかぶってでも働くっきゃないだろ。
国民の皆様には自粛していただいて感染拡大を阻止して頂きたい。そのことを強くお願い申し上げたい。我々土方は粛々とですね、不要不急の穴掘りをするしかないわけであります。土は現場に山盛りに、当面はこの山を超えるまでは山盛りも致し方ない。もちろん不要不急の植木の剪定は、毅然として断固おこのうものであります。
 でもさあ、やって1週間てとこじゃない。植木だって剪定した枝葉を捨てるとこなきゃしゃあないもんな。ど~すんだろう。
やはりここでちまちま仕事しても信用無くすだけかもな。社会がウイルスと戦ってるわけで、自分とこだけ仕事してますってのはお客さんだってなんだかなと思うでしょ。やはりここは潔く休業補填をしてもらって自粛するしかないのかな。

20200408

 いい眠りでスッキリ目覚めた。晴ればれ。
 ヘイシャは緊急事態宣言で変わったことはなく通常営業ということになってた。朝の検温とマスク着用、手洗い励行は前からやっていたので特に変わりなし。
 近くの建材屋も客が来ればやると言うスタンス。近くの残土処理屋が1軒自粛休みしているが、少し足を延ばせばある。植木の発生材(ゴミ)も清掃局で処理出来る。何のことはない、何処が「緊急事態」なの?って感じ。
 移動中に町の様子を見ていると、建築、土木、造園、植木の現場は普通にやってるな。
  道路が空いてた。その分仕事が捗る。
 わたしは今日は、一人で会社の置き場の産廃処理をやった。貯まりにたまったゴミをトラックに6㎥積んだ。荷台にベニヤ板を立てて。めっさきちゃない。重い。
 ビニール類の軽いものを乗っけてからタイルなどの重いものを乗せる。荷台に乗っかって足で踏んだりして詰め込む。
 最後に枕木の長いのを荷台のベニヤ板越えして持ち上げた。血管浮き出た。
 産廃処理屋は通常営業で、マスク着用と入場後の手洗いを要請された。
 その後残土処理。アルミ処理。疲れた。
 帰宅時の町の様子は居酒屋は意外とやってた。牛角が休みだった。一軒ラーメン屋が店終いしてた。
 本屋はやってたけど人は少なかった。その辺はやっぱり影響が出てる。
 帰りの電車はまあまあ空いてた。調布から地下路線を抜けて多摩川に向かって地上に出ると、真っ赤な月が出ていた。サッとカメラを出してシャッターを切った。月の影が多摩川に映ってた。
 帰宅したら冷凍のマグロの目玉!が届いてた。ありがとうございまーす。

20200410

 世間じゃソーシャルディスタンシングとか言って、人と人の距離が開いてる。でも心は閉じ気味。ちょっとよそよそしく、ぎこちなく。ウイルスが介在する距離感が蔓延している。
 一昨日だったか、二十代前半の清々しいカップルが手をつないで歩いているのを目撃した。住宅地の一車線道路を屈託なく談笑しながら歩いていた。マスクもしてなかった。何か珍しいものを見ちゃったなって感じ。悲壮感もやけくそ感もなく、日常、普通、当然て感じ。コロナの影は微塵も感じられなかった。愛だよな。愛すら意識しない愛に満たされてた。コロナが割って入る余地はなっかた。若さよのう。というかこの二人よのう。

20200417

 晴れ。
 文京区の保育園にて水抜き穴を三箇所明けた。サクサクッと午前中に終わるかなと思っていたが、フェンスを外し、水はけの都合で花壇のレベルを下げ、植栽をやり直したりなんだりかんだりで三時までかかってしまった。園の先生に最後に確認してもらったら、子供が手を突っ込むからフタを着けてくれとのこと。急遽現場対応で目皿を買いに金物屋に向った。
 暫く行くと何か見覚えのある道路で、去年の11月に死んでしまった友達の家の前を通った。ダンプカーを止めて降りて写真を撮った。
 タカハシが見ていた風景を何枚か撮った。イチョウ並木で、ちんまい葉っぱが出ていた。生前はここに来ることはなかった。気持ち的にはほぼ兄弟みたいなもんだったのに滅多に合わなかった。
 いつの間にか俺の知らないところでフーさんと呼ばれていたし。「あたしさぁ、フーさんて言われてんの」かすかにはにかんで、ちょっと嬉しそうに誇らしげにポンと言葉を投げ出した。タカハシもフーさんの世界で生きてんだなと思った。ずいぶん昔の話。
 今日は全く意識していなかったのに、何故かタカハシのことを思い出して、めちゃくちゃせつなくなってた。不思議なもんだ。
 現場がタカハシの住んでたマンションの裏の方の歩いて行けるところだったってのにも気付けたし。タカハシdayだった。
 今度またこの現場に来たらまた寄るからな。面白いとこ案内してくれよ。「はいよ〜キンさん」て声が聞こえる。

20200419

 自粛の窓辺。ものすごい青空。雲ひとつない。視界を横切るものはカラス一羽。飛行機の音はすれど見えない。チッチと鳴く小鳥も。ざわめく風も。見えない。
 この青空を汚すのはメガネの汚れと、眼球内部のゴミぐらいのもの。かな。

20200426

 昨日は一番コロナ感染を疑われている同僚と一緒の現場だった。目と顔が真っ赤で時々咳き込んだりしてひと月以上になる。本人曰く花粉症なのだが、誰も信じない。皆んな彼をコロナ感染者扱いだ。
 3週間ほど前一度現場で具合が悪くなって早退し、医者に行っても診断は下されず。保健所に問い合わせても、熱が無いので検査対象にならなかったそうだ。それからはずっと擬似感染者としていじられている。
 彼自身も、コロナに感染しているかいないか確証が持てずにいる。ただ、一緒に行動した周りが症状が出ていないので、自分も違うんじゃないかなと思ってるってことだ。なんとも人の命で計るギャンブルチックなやり方だが、他に選択肢は無いだろうな。検査してくれないんだから。
 そういう擬似感染者の他者に対する責任の心的負担も大きいし、さらに他者からの差別による苦痛も大きい。
 気の毒だ。
 気の毒だが、やっぱり意識してしまう。もしや万が一感染してたら感染しちゃうんじゃないかと。
 現場に向かう車の中でも当然マスクをし、窓は全開、会話はほとんど無し。弁当も離れて食う。仕事上の会話は離れてやる。ハンドルやチェンジレバーは交代の度に消毒し等々。
 そんな配慮をお互いにしていても、感染することもさせることもある。何しろ無症状感染者というやつがいるわけで、それが俺じゃないないなんて誰にも言えないからね。擬似感染者だらけだ。

20200505

 散歩した。
 裏山の遊歩道を歩いた。けっこう急な山道で未整備なところもあって楽しめる。樹木の根っこが足掛かりに成っていて、木にしがみつきながら登ったり下りたり。足を踏み外したらヤバい。妻を誘わなくて良かった。降りて出口近くの農家のお爺さんに呼び止められた。
 タケノコ狩りでずいぶん捕まってるから気をつけなよと。どうもお巡りさんがうろちょろしていると思ったら、緊急事態宣言の外出自粛の呼びかけではなかったのか。タケノコだったのねと唖然とした。
 まあ自転車の無灯火の取締もそうだけど、そういう軽犯罪をやいのやいの言って、うざいったらありゃしない。でも、犯罪の抑止力にはなるんだろう。あながち無駄なことでは無いのかもしれない。
 しかし、だ。市の遊歩道のタケノコ狩りぐらい、のびのびやってもいいんじゃないか。せせこましい世の中になったもんだ。
 その後暫く細い川沿いに歩いていくと、長い急な石段がある。その上が子の神神社。ずいぶん長いこと神社仏閣は鬼門にしていたが、数年前からたまに散歩で訪れるようになった。社殿にはけっこう腕のいい彫師の彫刻が施されている。それをぼーっと眺めるだけで気持ちがいい。
 人っ子一人居ないつもりだったのに、若い女の人が足早にやってきた。静かな境内で二人になるのも何か申し訳ないなと思った。昔なら一言声をかけたかもしれないが、今はだいぶん分別がついて、そういうことはセクシズムに当たるのでやらない。だいいち今はフィジカルディスタンスの時代に入ったわけで尚更だ。
 なるべくジジイの威圧感を与えないようにしようと思っていたら、そんなのはいらぬ心配だった。その人鳥居で礼をし、手水鉢で作法正しく手と口を清め、社殿の前で礼、パンパンと見事な音を立てて二拍一礼した。祈りと言うのか願いと言うのか頭をぴたっと下げたまま長いこと動かない。すご、と思った。じろじろ見ていたわけじゃなく境内を歩きながらそれとなく見ていた。やおらひょいと体を起こし、また境内に鳴り響く二拍一礼をした。そしてまた足早に去って行った。プロプレイヤーだわな。
 その間、その人わたしの方には一切顔を向けなかった。神しか目に入らないという感じだったな。
 神社といえば初詣とかお祭りとかのイメージしかなかったけど、ひとつの信仰としている人もいるんだなと。しかも若い人でね。
 その後、たらたらと石段を降り、ぷらぷらと散歩して、コンビニに寄ってプリンを買って帰った。

20200525

 今朝、現場の前が幼稚園で、道を挟んですぐのところが入り口だった。ちょうど登園時間で、親に連れられた園児が続々とやってきた。先生数人が満面の笑みで迎えている。「みのりちゃ〜ん、おはよー、ひさしぶりいー」とキラキラ声で叫んでいる。園児も「せんせーおはよー」とテカテカしてた。親も「おはようございますう」ニコニコ。
 最近耳にした言語音声の中では最高級の輝きがあったな。
  緊急事態宣言以来の久しぶりの登園だったのかもしれない。今日からまた園が再開したのか。子どもたちの歓声が凄まじく、先生も負けてない。それがずっと続いてた。
 お昼前だったか、さよならの時間になった。「今度は六月ねー、待ってるねー」と先生の声がした。
 あら、またしばらくお休みだ。お試し登園だったのか、あるいは週一とかだったのかな。
 何れにしろ、また来週、六月に入ったら「ひさしぶりいー」だな。

 夕方、地元駅を出て、横断歩道を渡ってすぐのところに咲いてた。お出迎えか。芙蓉。ふーさん。花になったか。うふふ。

20200526

 今日の仕事は公園と緑道の落ち葉清掃だった。この仕事の楽しみは、適度に身体を動かす心地よさと、綺麗に掃き清める気持ちよさ。それと公園や緑道を行き交う人から声をかけられたりかけたりすること。ごく短いものだけどね。「ご苦労さんですねぇ」「きれいになりますね」とかそんなもの。
 ミニダックスフンドニ匹をベビーカーに乗せて、一匹をリードで散歩させてる奥さんと「かわいいですね」「もう年寄りなんです」「犬って笑うんですか」「わかりますよ、口角上がるし。悪巧みしてる顔とかもw」など話した。話してるあいだ、犬はリラックスしてた。笑うかなと思ったけど笑わなかった。雰囲気は楽しげだったけど。笑ってたかもな。
 花壇のレンガに腰掛けて休んでいたウバーイーツのめちゃイケメンのお兄さんと目があって、何故かお辞儀をされ、わたしもお辞儀を返した。掃除の邪魔になってると思ったのかもしれない。疲れてるんだろうからゆっくり休めばいいのに、気を使うんだよな、優しいから。もしかしたらミュージシャンか役者さんのアルバイトかもしれないな。「ウーバーイーツはどうですか」とかちょいちょいと言葉を交わして「大変だね、がんばって」と小さなエールを送った。公園奥の方を掃除して、振り向いたらもう居なかった。
 夕方、小雨が降ってきた。

20200527

 昨日公園の落ち葉清掃をしていた時に、すごい少年に出会った。
 公園の植栽地に手のひらぐらいの大きさの葉っぱの低木がずっと植わっていて、その前を履いていたら、小学校低学年の男の子と少し年上の男の子(たぶん兄弟)が、何やら葉っぱを睨みながら横へ横へと移動している。
「何やってんの〜、虫探してるの〜」って声をかけたら「カナヘビ」って一言かえってきた。とほぼ同時に弟が「いたー!」っと叫びノーモーションでフワッと葉っぱに向かって飛びついた。「やったー!捕まえたー!」と大はしゃぎ。
「すごいじゃん!」と言ったら見せてくれた。ピンクがかった茶色のトカゲ、カナヘビと言うらしい。二人とも嬉しそう。「よくつかまえられたね。タンジロウ(鬼滅の刃の主人公)みたいだったな」と言ったら、ちょっと誇らしげだった。
 扱いに慣れているようで、すべり台の上を歩かせたりしていた。
「捕まえたの三回目なんだ」と言ってもう一度見せてくれた。




20200613

 先日の都内公園で見た風景。木陰で人々が一つのシートの上で談笑している。懐かしい雰囲気(今年は桜の花見はコロナ禍で出来なかった)。笑い声が響く。いつまでも続くといいな。

20200622

 強風で大雨だった。
 夕方小降りになってから散歩に行ったら、公園のユリノキの葉っぱが散乱してた。ユリノキの葉っぱは大人の頭ぐらいある。青々としたそれがバサバサ落ちてるんだから、けっこう迫力あった。
 散歩に出たのは終日部屋でゴロゴロして本読んだりしてたからで、近所の滝の音を聴いて癒されようと思った。普段と比べると水量がいくらか多かったので、滝の音も力があった。いい音してた。
 ほぼ毎日、帰宅途中でこの滝の音を聴く。ザザザザザーって音がいいんだな。ただぬぽーっと突っ立って聞いていてもそれなりの風情はあるけど、やっぱり橋の欄干から覗き込んで聴くと全然違う。フレッシュでストレートでピュアなんだわ。ザザザザザーってね。
 脳味噌が耳から目から鼻から癒されるんだよ。
 この滝、落差2メートルぐらいだけど、弛まず毎日落ちてる。この滝の側に住んでる人はずっとこの音を聴いていられるんだから、羨ましいなと思う。
 たまに白鷺とか鴨とか来るし、鯉やウグイもいる。夕日もきれいだし。朝日に鳩が戯れるのも滝の音と相俟っていいもんだ。
 そういえば、滝壺のすぐそばの草むらにひと月ほど使い捨てマスクが絡まってた。ちょっとずつ位置を変えながらもしぶとく白く引っかかってた。あんまり風情のあるもんじゃないけど、コロナの世相を反映しているようで面白かった。しくった、写真撮っとけば良かったな。
 ここの滝の音は他じゃちょっと聴けないよ。秘密にしとこうと思ったけどつい言っちゃった。

金森信昭 Nobuaki Kanamori
1958年生まれ 川崎市在住
川崎市民
https://www.facebook.com/nobuaki.kanamori.7