ディレッタントの美術史

fig.1 『猿猴図』 2017 年
W 博士蔵(O大学客員研究員)


文・画像 服部洋介

 〈信州三大悪文家〉というのがあるらしい。一人目はもちろん私で、二人目はもうチョイ高齢の方らしく、最後の一人は誰だか知らない。もともと答えようのないことを問うような文章というものは、書いてる本人も問いの答えを知らないわけであるから、ハイデガーやデリダのように、何を言っているのかわからんような文章になるのが本当である。もちろん私も、自分の書いていることの意味がよくわからない。フッ、マジかよ、コイツら。アホか?
 ところで私の肩書は、そのへんにいる布衣の市民である。にもかかわらず、それでは他人に紹介のしようがないということで、〈美術評論家〉というククリで呼ぶ人もあるが、コレは便宜的なもので、チョット正しくない。実をいうと、芸術作品のナニがいいだの、悪いだの、私にはどーでもいいことで、俺さえ面白けりゃそれでエエ、というレベルの認識しかない。芸術作品について真に言明すること、つまり、一意かつ定量的に述べることができるのは、せいぜい「しかじかの作品が存在する、またはしない」ということと、あとは「ソレっていくらなの?」ということくらいで、だいたいからしてカネの話が出てくるあたりで、カネのない者のヒガミってえのもあって、こちとらアンマリ気分のいいもんじゃねえから、たいがい文句になる。これまで『ブランチング』紙に書いたものにしても、芸術の話よりもカネの話ばっかりだから、ほとんど芸術はカネのオマケみてえなもの、不純なことこの上ない。
 

fig.2 『三海女図』 2004 年

それにしたって、「芸術家でござい」つっても、自称じゃあんまりアレなんで、現代の消費社会の規準でいけば、それでメシを食ってるってことが、つまり「芸術家でござい」ってことと等値なわけで、せまい屋根裏部屋でアタマをかきむしりながら生活苦の中で死んじまうなんて芸術家の〈貧乏神話〉は、たとえロマン主義の時代であったとしても、本人が死んじまった後じゃねえと成り立たない。まァ、私なんかも、自分の好きな作家の作品についてグタグダ書いちゃいるけど、だからって作品が売れるよーになるとか、作家の評価が上がるとか、そんなこたァ一切ない。ただ、2、30年かそこらかして、誰かが昔の作家のことを調べようってことになったときに、よーやく資料としての価値が出てくるって程度のものでしかない。「ヘェ、こんな作家もいたんだ、フゥーン」てワケだ。いや、みなさんはそんなことにならないように気をつけてほしいものである。
 しかし、そーゆーナマぐせえことよりも、美術にしても音楽にしても、おもしれーと思うことをやるのが、一等健康的だ。かっこよくいえばディレッタント、悪く言えばトーシロだ。ウィーン・フィルなんてのも、もともとはディレッタントの集まりで、プロは入れねえキマリだった。ウィーン・フィルの「フィル」ってのに音楽的な意味はコレっぽっちもねえから、気をつけな。まァ、しょせんトーシロなんで、生活のためにやってるその道のエキスパートから見りゃヘッタクソだったんだろう。ブラームスが来て半分くれえプロに入れ替えちまった。そのうち、素人は素人らしく素人の集まりに分離されちまった。まったく、つまんねえ。
 しかし、音楽なんてのは、母校の管弦楽班の定演でも十分聴けるけど、素人の絵ってえのはチョイと気になるね。てのは、音楽は、作曲家がシッカリ曲さえ書いてくれればどーにかなるが、絵ってのをイチからぜんぶ自分で描くってのは、案外と創造性がいるモンだからさ。まァ、曲がつまんねーと、どんな名演でも聴く気がしねえのと同じで、どんなに上手くても、つまんねー絵はつまんねーということもある。だったらいっそ、ブッとんだ絵を描くトーシロのほうがイイってんで、日曜画家のルソーみたいな奴も出てくる。
 

fig.3 『大楽父母仏之図』 2006 年
N 博士蔵(S 大学名誉教授)

そこへいくと、こちとらヘタッピもいいとこのトーシロだが、ムダに長生きしちまうと、遊びで描いたよーなアレがたまってきちまっていけねえ。同じ趣味でも、下手な俳句なんかはかさばらなくてイイが、素人の絵ってのは、置き場に困って家族が迷惑するってのは、絵画教室の生徒さんにゃ身に覚えもあるだろう。まァ、私なんかは、かさばらないように工夫して、完成品は人にクレちまうようにしてるから、もうチョイがんばれば、かなり片づいてくる。テナことで今回は、『ディレッタントの美術史』と題して、ふつーの教科書なんかにゃまず載らねえだろうガラクタをいくつか紹介してみようって魂胆、美術館あたりで誰でも見れる安いやつと違うから、見れるときに見とかねえと後悔するぜ。別に迷惑する奴もいねえだろうから、前回まで連載してた『存在と偽装~超複製技術時代の芸術作品』はお休み、夜露死苦な。
 さて、美術作品なんてのは、まァ、たいがい見りゃあそれでオシマイってなモンだろうから、別に説明もいらねえだろうけど、笑える話もあるから、ちょっと書いとく。たとえば、図2だが、アンマリ俺も知らねえ話だけど、もとになった絵を明和電機の誰かが見て「この腰のブーメラン、なによ!?」とウケたらしい。まァ、あえてブーメランの説明はしねえから、気になる奴はネットで類似画像でもググってみな。
 次に図3は、理学博士のN先生の所蔵ってコトになってるが、先生の研究所の応接室(テカ、応接室すなわち研究室なんだが)に飾ってあるのは、別エディションのやつ、さすがに学者先生や企業関係者と打ち合わせする部屋に、オ●コにチ●ポ、ウ●コベロベロみたいな絵ってえのもいかがなもんかってこともあって、一部をチョット隠したりして納品さしてもらった。もちろん、額装はいつものモリヤさん、コリャ、ここらあたりじゃ業界のテッパンだね。てなワケで、トーシロもプロもわけへだてないN先生には、イロイロとお世話になっちまッてまサ。まァ、『ブランチング改』ならよかろってんで、今回は最新エディションのを掲載することにした。それでも、教育によくないアタリには、チョイとモヤをかけてみた。イヤ、何を憚ったというよりも、そのほうが見た目にシックリきたから入れたまでなんだケドさ。しかしまァ、わが日本国は扶桑東海の粟散辺土とは云ふ定、本師如来のまします大乗相応の地なるべけんや、そのならいとて、こんな仏画なんてのも描きたくはなるわナ。何も知らねえ門外漢からすりゃア意味深だが、儀軌もヘッタクレもねえバッタモン、そのうち無間地獄に堕ちまするぞッて話だが、コチトラ天下無頼の一向一揆、来世は極楽、こんな下界なんざ二度と生れてくる予定はないからそのつもりでいやがれバロチキショォってコトでね。ご利益あるのはジンジンジンジンナカムラジンさんに頼みやがれって話だよ。まァ、私もこないだ思わず戸倉の蕎麦屋さんでナカムラジンさんの倶利伽羅不動の刷り物ってのを買っちまッてね、お不動さんと空海に私淑してる知人の娘さんの部屋に飾られてるはずだよ。ヤッパリ本物は違うね。

fig.4 『妙音辨財神王図』 2006 年
豊野一向一揆公界衆蔵



 次の図4てのも、アラレもねえやつだな。だいたいからして、こんなんバッカリだから、モリヤさんがアート蚤の市なんて開いてトーシロもまぜてくれるってときには、迷惑かけまくり、まったく、子どもが楽しく見るモンでもなんでもねえからやめちくりって話にもならァけど、そいつは偏見ってもんで、寺子屋師匠でトロンボーン楽団の支配人をしてる葉子先輩って御仁は、この手の大股開きが大好きときて、弁天さんを便天さんと呼んで、豊野の谷口三無斎和尚の寺に祀って、大股小股からウ●コベロベロ、便通に効くありがたい水がジョキョボ~と涌き出づると、たいそう信仰なすっちまって、インド哲学の研究をなすってる京大室町寮のご子息にも送りつけちまったッて次第、さすがボーンより太いイチモツが大好きな女傑、何を隠そう高校時代、数研の巣山をたばかって、職員室の灯油をチョロまかし、あちこちのクラスに配り歩いていたのは、この先輩って話、グレート無茶議員もおどろく無茶なオナゴでございますヨ。聞いたとこじゃ、いまロマ美で夏季企画展をやってる疋田義明大先生に今井あみ大先生も、若かりし頃に世話ンなったって話だぜ。
 そんな陽物くらべの話ついでが、その次の図5ってやつ。これがまたイワクつきでね。まァ、誰だって、こんな現代アート(?)でお縄になんかなりたかないから、いっそお蔵入りになりかかっていたところを、当時、信大の教育学部で美術を教えてたK先生が、シリーズまとめてもってってくれたって次第、ところが何年かして、東京で松田マッツン朕佳さんのからみの展覧会があったとき、たまたまK先生と居合わせて、今度は御作の図録をいただいちまッたって話は、前にもした。まったく、縁だねェ。さすが「ながのご縁」の長野市だよ。だが、この年になって世の中ってモンがわかってくると、なんてェか、マッポってのが妙に怖え。まさかこんなチンケなトーシロのアレで御用もねえだろうけど、今さら「これはポルノではなくアートで御座えます」なんて言い訳したところで、「おまえ、そこらのトーシロやないケ、芸術ちゃうやろ」と言われたらそれまで、ただの猥褻物チンレツ罪でございますよ。そやさけ、アンマリ美しくはねえが、チャンとモザイクは入れなアカン。ま、こういうヘタレなところがトーシロなんだな。


fig.5 『MR. KEISUKE HONDA』シリーズ 2013 年K氏蔵(S大学名誉教授)
左上 MR. KEISUKE HONDA ENAMELED
右上 MR. KEISUKE HONDA globalized/Shaved his pubic hair
下 MR. KEISUKE HONDA as a supper object Sherrie Levine’s-like

 と、アブねエのはこれくらいにして、また古くせえ昔の絵みたいなモチーフで恐れ入谷のナントカって話だが、図6ってのは竹林図だよ。笹3本で何が竹林なんだよッて話だけど、おかしすぎて特に言うこたァねェよ。まったく、ここまでくるとマガイモンの日本美術史だよ。ウソモンの日本美術の教科書が作れるくれえだよ。まあ、絵の方はうまかねえから、ダメだけどね。こちとらめんどくせェのが昔から嫌いで、だいたいッからして描くのがめんどくせェ。だからみんなインチキってワケ。しかし、ホンモノばっかり集めた歴史なんてのは、ソリャ片落ちってモンでね、ホンモノは永遠に見られるからありがたくもナントモねェが、ニセモンはここでしか見られねェから貴重だぜ。そのうち歴史から消えるからさ。
 

fig.6 『少女竹林図』 2006 年

そうそう、それともう一つ。いろいろ考えてみたんたが、「美術史」って銘打ってんだから、油絵も一つくらいのっけとかなアカンわな。で、見っけてきたのが図7よ。オイオイ、幼稚園児が絵具でナンかしちまッたのかよってな絵だが、俺はけっこう好きだね。まァ、学生時代、のちに画家ンなった友人から「クレヨンでも描けるね、コレ」ってバカにされちまッたけどね。いよいよアタマでもバクハツしちまッたのかよって感じだが、これがモトモトで、オトナになってからパチモンの日本美術史に転向しちまッたってワケだな。もっとも、そんなの全体の何分の一でしかないワケで、トーシロには一貫性ってモンがないからね、飽きたら別のことに手ェ出して、いつまでたってもヘタクソなままってワケだよ。まったくバカだねェ。
 と、こんな具合で、アンマリとりとめもねえから、そろそろシメエにするよ。旧『ブランチング』がつぶれたのは、わっちが長げぇ文章のせすぎたからだって話もあるから、ヤクザだねェ。ま、こんなモンにいろいろゴタクを並べたってしょうがねえ、ディレッタントの美術史なんてモンは永遠でもなんでもねえ、そんな崇高なものというよりは、どこまでも美的でしょーがねーモンでいいんじゃねえのってえのが、今回の結論だね。
 てなワケで、どーもご退屈様っした。

fig.7 『nega-Domino』 1997 年


服部 洋介 Yosuke Hattori
1976年、愛知県生まれ。
長野市民。
yhattori@helen.ocn.ne.jp
http://www.facebook.com/yousuke.hattori.14