下山鉱物

文・写真 / 町田哲也

 落葉を攅 (あつ) めて身上の衣となし。枯れた唸り聲が潜み絡んだつむじ風となって襟元を渦回るように聴こえた。歩行独話の散策の中のゆらぎの、自らの喉元のからのものである確信がない。薮中の魍魎の発した呻きなのかしら。どちらでもよい気持ちの堕落がある。足音迄遠いような床を背に引き連れる惚けを軀の輪郭に纏わせた歩みだった。鈍さの波の先端で幻聴に幻視をともない裾をまくり汚れた臑を晒して走る人の足の裏がはたはたと否ややそスローモーションで視えることは夢の名残かもしれない。辺りのあらゆる音響が震えるようであるのは、一斉に地に鎮められる煙霧が降り落ちてくる寸前に足掻く事象の散乱運動もあるだろう。そういえば遠方から懐かしい男達の呼びかけもほらまだ聴こえる。間伐作業の者としても彼らを支える無慈悲に軋む強力(ごうりき)な機器の音は届いていない。樹の垂直に裂ける音が化けることもある。刻んだ瞬間を失せるように背後が都度消える歩きのまま国有地とされる入山を禁止された域まで来ていた。登山では毛頭ないがここはもう標高は。傾斜が厳しくなる手前までの登りでも東面山頂まで険しく刻まれたふたつある谷は垂直に近い勾配であるので、やや南へ回り込んで進む。大腿筋のような山襞は幾つもあって先人達の見極めた登山道は南と西に見出されている。北にもあるが此処からは南西同様にほど遠い。軈て樹肌に手を添え岩の隠れた隙間を危ぶむ足下に視線を落とした重い速度で烏鷺憶えの折枝に足跡をみてとって口元に千切った枝を銜え下って戻ろうと振り返ると、思いのほか高みに居る。半身が山頂からの白霧に包まれつつブレた意識は漸く肉の内へ戻ってくるように熱を帯びている。初雪があってから小春日和となる二日前には鉄錆の重々しく枯れ落ちた山肌が、遠方からの眺めでは紫にあかるく膨れた風に変わったのであれっと首を傾げていたことがあったから、近隣を道すがら歩む筋を変え、季節の終わりには閉じたものと距離をとった山に今一度と向かったのだろう。羽織るものは一枚脱ぎ捨てたようにやや軽めだった。山には山の師走というものがあるという震えに充ちている。実は引寄せる不安を半分抱えた熊払いでもある誤謬の独話をする男を山中で観たならば、人でも近寄りたくはないだろう。意識の外、抜け殻の喉、出任せの口元の奥ではしんねり逆さまの意識が異形の流れを汲む。散策ほど気持ちを前に置くわけでもない単なる歩行は身体の代謝を、観念を融かして生存に結びつける必要からの慣習と好んだ生活の時間だが、歩行で喪失した観念はある時点で鉱物のような個体をつくりはじめる。

 葉が落ちてから、みえるものを数えてみれば然程多くはなかった所作の断片をひとつの視界に並べ置き、宛ら深刻な事件の深層を追う探索者か刑事の査察眼で、手元には捌き済んでいなかった加工業者の違和の震えを呼び戻し、都度垂らし遺して静止した当惑こそ手がかりとなると睨んだ時間を屋根の下でこそこそと重ねていた。罪の詳細を独房で辿るようなことかもしれないと拗ねる気分を隠さずに、あるいは忘却と責任の放棄と恥を眺めることもあっても、私とはこの視野でしかないと緩い諦念が地這う虫かの継続を促し、時間と経験の撹拌で生じる現在に立つ合理をある種の辻褄と実感するのだからおかしなことだ。世故い言訳とも思える。混ぜ合わせるとはいっても折衷ではないのは、静止した夫々の時空事象は見える存在として、形象の凝固を崩さないので、むしろ静止の状況が決定的な結晶となる。併置視界が時空を斜めに横断しているというだけのことで、事実現在の所作の偏執と束縛が解ける。調子に乗って跳躍はこうした前提で行なわれるなどと弁えを離脱するエゴはまだまだ生まれる。但し注視の先端は綻びの状態へ促される季節か。

 惑星の自明より西へ向かう者は日没を追いかけ東へ歩む者は朝陽を迎えると見る楽観は歩みから導かれた。地勢の理に身を挺した人間の移動差異が人間的所作の遺跡、文明文化の証となった。立ち止まって定住した歎息が遺した形骸に降り積もった意識残滓の、竦みから硬直を解きやがて歩みだす方角に関心が擡げる。あるいは極北へ着込んで開拓、汗を拭い衣を脱いで南下し制圧へとも流れた移動史を幾度も乱暴に重ね、あぁ地軸の回転が移動に加担した東への移動は、極東のフォッサマグナという危うい亀裂の弓形で止まったかもしれない。カムチャッカへ、与那国へと移動の矛先を紆余曲折してもやはりその筋は澱溜まる「果て」のひとつの罅割れのようでもあるか。割れ口を砥の粉で埋める仕草が表象の成熟となったと世界は視える。暮れていく季節の葉の落ちた樹間を下り歩みつつ、地図を広げては色分けられた地質の図を、肉体には取り込めない時間の記憶として、やや遠くに、併し清潔なモノを眺める気分で思い返して、地質と人の移動を動的に眺めたいと思うその理由はとその「個体」を問うのだった。数日前の早朝にカルト勧誘の者がいきなり訪れ丁寧に対話をお断りしたがドアの隙間からこちらの生活を測るかの感想を「あらっ」と遠慮なく口にする若い女性だったからか、彼らの言葉に滲む差別的な物腰を、膝小僧をパンと叩いて払ってから、人気の失せた存在へ瞳を遠投する顔つきであの日も歩きはじめていた。この国のカルトとは限らない巫女的な生理、聖的な達観の、認識の形を一方的に提示する差別的傲慢に対して、青年の時分は憧れを感じたこともあったが最近は閉口する気持ちが嵩んでいる理由は、私自身の「虚構」認識の変容(探求的変位)にあるのかもしれない。私という肉体と精神が存在しなくなっても横たわる「頑然なる地勢」に対する自身の移動そのものを考察する内容や出来事が多々あるわけではないけれども、落葉を踏む度に、その音が小さく足下から放射状に広がる波紋を聴き取りつつ倹しい過去の移動へ記憶を遡るというより、確かに経験した一瞬がパシャっとふいに正面に顕われるに任せると、瞬間の破綻が実によく判るのだった。

 幼い頃から年に一度ほどではあったが海水浴には夏でも冷たさの色を示す海岸へと汽車で北上し揺られた。東の光に溢れる温暖な海岸とは違って真夏でも冷厳な海は幼い心身にとって意識の自立を迫るような気配が絶えず在る異質な世界だった。飛沫に融かされた膝の怪我の瘡蓋が剥がれ落ちた砂浜で痛みのぶり返しと海という快楽を天秤にはかった幼い気持ちに辿り着く。事実この海では千年に渡る拉致暴虐の歴史が横たわっている。山人にとっても距離的にはそれほど難なく辿り着くことのできる海だった。今では度々その距離を抱き寄せた風な妄想に駆られる。手頃な異質世界の海という距離の齎したフォークロア、カルチャル・アンソロポロジーは、寓話や神話をかき混ぜて検証の関心が加えられ、いずれこの山地から明らかにすることはあるだろうが、分析的な土俵でこの距離が記述されるより、おそらく「虚構(フィクション)」として、距離が幾度も新しい衣を纏う物語となることが、私にとっては瑞々しい響き(学び)と思える。地勢と人間の移動する距離と歩行というものをそのまま手前に置くことで、言語を辿る速度も、創作における状況の転じも、同様にありふれた時空の流れを、現在の自身の現実として露にする意思の実感に縋っているのかもしれぬ。

町田哲也 Tetsuya Machida
1958年長野市生まれ
藝術と思想
ブランチング企画責任 クマサ計画主催
iam@machidatetsuya.com
枝間ノ闇
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2018 11~
「ウィトゲンシュタインのペントミノ」
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2019 1~3
「或る削除」
TOPOS Public @ Kitajima Eye Clinic