文・写真 / 山本正人
水草茂る水槽を眺めながら、その葉姿、色味、成長速度といった尺度で各々の栄養具合に思いを巡らせる。
淡水水景には、南米アマゾン川流域からアフリカ原産、はたまたタイやベトナム原産の水草が入り乱れながら主張し合う。
彼らの故郷は、気候も違えば水温も違う。ゴツゴツと剥き出しの岩肌を削り流れるミネラル豊富な硬水もあれば、鬱蒼と茂る木々を縫うように流れ、落ち葉を取り込み倒木を乗り越えて多量の有機酸を含む軟水もある。
pHも硬度も違う環境から来た者達を競演させ、分け隔てなく生き生きとした容姿に導くには、それなりの良質な知識と確かな熱意が必要だ。
「・・マグネシウムか・・・硝酸は多い」
まるで神の手を持つドクターさながら、顔色の悪いものに処方していく。
ガラス面に顔を近づけ注意深く目を凝らすと、視覚と併せて独特の香りが漂ってくる。
水槽にも個々の香りがある。
魚が安閑と遊泳し、エビは絶え間なく胸脚を口に運び、水草がどうだと言わんばかりに色気を出す水槽には、芳醇な腐葉土のフレーバーをベースに、甘いエキスを垂らしたような香気がある。
私はその芳しさにほっとするのだけど、そこに硫黄絡みの臭気が混ざると要注意だ。
硫黄は植物の必須元素に数えられ、水草も例外でない。そして土壌にも硫黄化合物が存分に存在する。
とはいえ固形体としての硫黄分にさして問題はない。
嗅覚に突き刺さる硫化水素やジメチルサルファイドといった揮発性に化けた途端、その美しい水世界が根底からガラガラと音を立てて崩れ始める。
魚は毒に侵され、水草は枯れ落ちるのだ。
これら揮発性硫黄化合物を造り出すのは、通性嫌気性細菌に属するバクテリアである。
酸素がない環境であっても硫酸塩呼吸を行うことで生存する、太古の生命体が持ち合わせた能力を今も受け継いでいる。
この硫黄還元菌は酸素でも硫酸イオンでも呼吸できるわけだが、酸素は補助的であり、硫酸塩呼吸によって本来の力を発揮するのだ。
ましてや嫌気環境では我々哺乳類はもちろん魚類、甲殻類、爬虫類といった大半の生き物が死滅し、生き残るは彼らと同じ細菌類、そして微生物と古細菌の一部しかない。
そんな硫黄還元菌の起こす水景の崩壊は憎むべき所業として忌み嫌われるのだが、果たしてそれが真っ当な見地だろうか。
いや、そうではない。彼らはその環境に身を委ね、世界がそう変わったから生きたのであって、生きるための至極当然の振る舞いである。
ではなぜ嫌気性細菌が優位となるか。
それは水槽底床に積もる汚泥層である。
魚類や甲殻類の排泄物、水草の古葉が好気性細菌に分解され堆積した汚泥層は、量を増すごとに密となる。好気性細菌はそこに一時代を築くが、繁栄するほどに自ら酸素を使い果たし自滅していく。これが嫌気環境を生む顛末である。
つまり、万物の神のごとく水世界を作り差配する者のさじ加減ひとつで、如何様にも変わるというわけだ。
私は水景を食い入るように見つめながら、漂う水槽の香りに眉を開いた。
山本正人 Masato Yamamoto
1976年長野市生まれ
群馬大学教育学部卒 長野市在住
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