不埒基本ノ地

080414 digital photo by Tetsuya Machida

文・写真 / 町田哲也

 90年代後半のゴルフ場建設の際に十三メートルの泥炭層は十万年前から其処に在ると調査観測された湿原には、逆谷地(さかさやち)という変梃な名がつけられている。界隈の流水はすべて東への山麓側へ流れるが、この湿原の水だけは西の山体側に流れだしていること(そのように伺える傾斜があること)がその由緒だという。地名も然る事だが、尾瀬は九千年、釧路の三千年、一万年前後のこの国の湿原と比較すると、湿原堆積の悠久は、四ヘクタールの小狭さだけでない絶妙な地勢によって保たれたのだろう。入口には今世紀になって説明板が立てられテラス状の遊歩道が拵えてあり、つまり侵入する場所を限定して自治体(県)が保全している。近くに県の環境保全センターがあってこの地を継続調査対象としている。湿原も施設もこちらの知る限り訪れる人は少ないが、施設の学芸員は近隣の各所と連携して獣個体や地勢植生などに対して真摯な活動を継続している。唐松や広葉樹に囲まれぽっかり広がるミズゴケに覆われた特異地は耕作や宅地には適さない湿原であったことから過去より人の手が伸ばされず、気象や天変にも流されずに遺されたが今後はゴルフボールが堆積に混入するかもしれない。その脇にわたしは生を横たえることになり、この十万年の堆積の横の草木に指を伸ばし背も伸ばし、風で折れ落ちた樹木の枝を拾って振り回し、投げ落とし蹴ったりもしてふらふらと歩き、近場の似たような湿地に好んで踏み入ることもあるからだろう、場所の印象というよりも場所そのものの醸す磁性のようなものが、時折加算飽和して圧縮された場の時空が一気に軀に浸透してくる、軀が場所の性質に浸食されてしまったかの体感を得る。季節によっては獰猛でもある場の力に慣れない頃は、なにやら軀を強ばらせ身を時空に投げ出す意気地が萎えていたが、がに股のリスが足下を走り抜け頭上をムササビが颯爽と落下する出会いなどが浸食に加担するようになると眇たる怖れが退いて、こちらがこの場に固有であるには如何にあるべきかと自らのトータルな意味での身だしなみを振り返ることになる。

 距離的には五百メートルほどだから窓から望める筈だが山襞の隆起と樹々が邪魔をして目視はできない「彼処」の気配に対して、地下を透視すれば時間の堆積を支えた構造があるに違いないと妄想の円錐地下断面図を勝手に往復し、焦点をアウトフォーカスさせる恣意のつもりで瞼を遠く放っては、また手元の作業に戻り、頤を頚に落とし添え弱く地中の溶解した植物が泥炭へと融けていった長大な時間に関心を屡々柔らかく奪われるように過ごす中、季節が雪に覆われていても、時間に追われるような作業の最中であっても、十万年という時間の何ものかに誘われて長靴か橇かを履こうという気持ちになる。夕暮れになればやおら夜空の光へ顎をあげ、あれは太古以上だと加え、タイムトラベルの実況生存かと呆れる始末を、生活の基本とする思索に従うことになる。
 湿原の時間の軀への浸食はなんのことはない飯を喰うようなことだから、殊更神妙に捉えるわけではない。但し長々と此処に生を横たえた訳ではないこの身では腹を下すこともあり、足が湿原のミズクサ死骸に未だ差し込まれていない浮身でもあり、机上のバイナリやデジタルの挙動に踊らされつつ、按手を真似て湿原やらに戻す工夫を重ねるしかない。必ずカメラをぶらさげた浸食の正体を見破る撮影歩行もこのところ何も持たない手ぶらが良いと巫山戯る風情が実は的を得ていた。ここ数十年の避暑別荘地開発される以前は、集落は形成されない高原で、炭焼きや鞣し作業の山小屋に独り現を抜かす山人が幻視できる程度であり、数百メートル標高を下った里には早くから田畠が広がり南北に走る交易路があり、つまり此処は謂わば人嫌いや罪人の逃げ込む地かもしれないと見回すと、近所付き合いの無い相応の余所者ばかり若干数が住まっている。

 下諏訪の友人の所から垂直に駆け上がる林道の途中には、太古から遠方へ運ばれ実用的に重宝にされた黒曜石の湧く場所があり、パンクに気をつけろと言われつつ幾度か昇り降りした八島ヶ原は確か湿原の南限だった筈だと憶いだす。逆谷地より更に六百メートル以上高い標高の地は、観測では一万二千年の堆積の高層湿原で、1939年に同地同様の車山、踊場と夫々個別に国の天然記念物に指定され、1960年に霧ヶ峯湿原植物群落と纏められた。そもそも植物の泥炭化は、寒冷地において腐敗分解が遅延する(あるいは分解しない)故の成立因がある。愚図愚図と冷ややかな気温で気の遠くなる速度の時間を引き連れて堆積が続く。淡水が植物を浸す湖沼状態の低層湿原を経て、水が腐植酸により酸性に変化し、やがて繁茂するミズゴケのブルト、シュレンケ(微地形複合体)が高層湿原の堆積層となるという。過去にはこの泥炭を掘り出し星空の下、可燃性に気づいて赤々と燃え上がらせた人々がいたかもしれない。あるいは貯水と葉緑の細胞が交互に並ぶ生体構造の内に潜むペニシリウムなどの微生物が治療を促進し吸湿性も加わり止血治療薬として使われた太古からの刃傷沙汰が湿原に浮かぶ。
 地中を北に走ると、ふたつの火山の間に鉄を多く含む鉱泉(炭酸泉)が至る所に出ていて、鉄を好む鉄バクテリアが繁殖し重炭酸鉄や硫化鉄を自らが酸化させて体内に褐鉄鉱を蓄積し、バクテリアの死骸が泥状の褐鉄鉱となって沈殿する鉱床が点在し、現在も県内唯一の鉱山として稼働している。なるほど春の水芭蕉の群生地の下は土も水も赤茶けている。褐鉄鉱は昨今のペットブームの脱臭に利用されているが、その色彩を顔料としても使われる。赤い河川の一見禍々しい眺めは実は浄化の作用があり、山麓には湧き水を求める場所もある。鉄に枯渇した戦中などは需要に応じた忙しさがこの鉱山にはあったという。産出物に照応した暮らしが山麓の柏原、古里にはあり鬼無里の麻同様田畠を離れる冬の副業として鎌鍛冶業が発達し鎌の生産が今でも続けられている。鍛冶は上杉の刀鍛冶がもたらしたという話もある。褐鉄鉱の浄化と高層湿原が重なり過去には鉱泉利用もあったこの地に身を置く以前は、太平洋に面した湾岸にて津波を怖れていた。

 鼓膜が破れた錯覚に陥る無音の静まりの中で、秀れた文節を響かせる文字を辿る白い季節になると、内省的な観相と腹を括ったつもりの抑えた学びであっても手元に集めた意識は雲散離脱して重力を解かれ上昇しているように舞う粉雪と成ってしまう奔放を戒める必要はない。見つめたか振り向いたかわからない喪失視座を散漫に揺らし、世界の他動と自動が入り交じったような遊戯の頸を傾げ、喉の奥妖しい文節を一呼吸で済ますような音読みが、なかなか発声に至らない。音響を加えると迷妄の穴へ吹かれ落ちてしまう幼気な怯えが消えないというのも悪くない。湿原の堆積層の時空の迫りと似た浸透が在る書物に出会い再会もする時彼らの言葉を扱って全うした記録をみると、大凡彼らの思索生活には多様な歩きの時間が挟まれている。卓上で照らし合わせる執着ひとつでは「現生」に創成する現場に、瑞々しい意識がなかなか灯らないということだろう。頓挫と歩行の反復が身体を緩め、あるいは呼気に侵入する季節や気配も慎重な思索を無邪気に野に放って、あるいは垂直と水平だけでない風のしなやかな曲線を含む寛容が、蓄積と反復を思いもしなかった状態へ連れ出すというわけかと湿原を振り返り、言語の観念堆積と湿原や星空の時間の浸食差異を測るつもりで、鉛筆を持ち、素描をはじめていた。

町田哲也 Tetsuya Machida 1958年長野市生まれ
藝術と思想
ブランチング企画責任 クマサ計画主催
iam@machidatetsuya.com
枝間ノ闇
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