文 / 服部洋介
小林冴子における〈風景の崩壊〉がいつ始まったのか、それははっきりとはわからない。しかしそれは、被注察感(自分が何者かに常に見られているという主観的体験)とともに始まり、彼女に特異なヴィジョンをもたらし、作品の形態にも大きな影響をもたらしたといわれる。この強制されたヴィジョンを、彼女は現実の体験そのものとして捉え、その表象を作品として視覚化した。「理想的なもの、美しいものを描くのではなく、今の自分が感じているものがすべてだった」(*1)。理想的なもの、美しいものを思い描くのであれば、あるいは、一定の距離を保ちながら取り扱うことのできる外的な風景を描くのであれば、それは観念的で能動的な行為である。一方、私たちの意のままになることのない侵襲的なイメージや感情といったものは実在的なものであり、私たちはそれらを観念的に取り扱うことはできない。そこで私たちは主体性を失って受動的な存在へと転落する。私たちは、日常の安定した風景(シュトラウスの用語でいえば〈風景的空間〉〔landschaftlicher Raum〕)に慣れ親しむあまり、世界におけるこの実在性を忘却する。世界のあらわれが幻視という形をとるとき、皮肉にも私たちは、自我の統覚が棄却した〈実在〉の開け放ちを取り戻すのである。今や視るものと視られるものの境界は汚染され、主客関係によって基礎づけられる通常の認識関係やコミュニケーションの枠組みは無効化され、意味づけられることのない原初的なイメージのプロトタキシック(prototaxic)な侵襲により、表象機能自体が麻痺状態に陥ることになるのである(*2)。大学在学中の2005年、小林は入院によって画業の中断を余儀なくされる。
大学の頃は、精神的な自分の気持ちとか、考えていること、心理みたいなものを描きたくて頑張っていたんですけど、大学三年で入院した時、その時の病状が重くて、それまでの自分がゼロになっちゃったんですよね。それが絵にも影響して、描きたいものがなくなっちゃったんですよね。(*3)
不安や焦燥感だったり……そんな感じで死ぬまで絵を描くのは無理だろうっていうのも自分の中ではあったんですね。そんなこと考えていたらちょっとした事故に遭っちゃって……。タイミングよく、ではないですが、あのままの気持ちでいなくてよかったとは思います。絵を描く時間はあるのに、描きたいものがないのは切なかったですね。そういうドロドロした気持ちもリセットされちゃったんで(…)。(*4)
入院と治療を機に〈風景の崩壊〉は停止する。家族のすすめもあり、彼女は身近な自然や風景に目を向けることとなる。その傾向は2014年頃まで持続したと考えられる。平和、平穏なところに身を置きたかったと小林は言っている(*5)。これは、投影的であるよりも構成的(*6)であることのほうが描画における心理的負荷が少ないという臨床的知見(*7)と想起させるものである。この時期を経て、小林の表象機能は回復し、自己の心的イメージとの対決が再開されるのである。
Fig.1
2013年、小林は『This is my fight.』と銘打った表現主義的なキャンペーンをfacebook上で開始する。彼女は記事上で「しばらく自分のために描く、優しい絵は描けないな、って思いました。新しい日にたどり着けるまで」「これは私のアートであり、戦い」と書いている(*8)。このキャンペーンは7月5日まで続いた。
絵についても自分も、もっと変わらなければいけないと、思ったことからこの制作が始まりました。もっと自分の中身を知らなければ変われないのでは、と考え、それと共に焦燥感が増幅し、自分の腕を切りに行くスピードで描き始めたのだと思います。とても青臭いし、恥ずかしいし、でもそれも愛さなければならないし、人にもっとコンプレックスを見せなければいけないと、躍起になっておりました。持病や無職であること、美術に携わっていってよいのか、恋愛観、人とのつながり方、外への接触の仕方、などなど色々考えられましたが、結局自分の糞をfacebookを通じて投げていたことも然りで、全然自分は変わらなかったと思います。ただ描いている最中の快感は、この絵を描いている快感は、それだけは自分の中で常に新鮮で楽しいものでした。(*9)
のちに小林は「SNSを見た人の中には引いてしまった人もいたみたいで。(…)引いた人もいるけど、その後自分の制作姿勢も多少変わったりして(…)あの時期後にやった個展では自分史上一番売れた展示だったりして、いい転換期だったんじゃないかと思います」と書いている(*10)。2015年の『景色の消滅』シリーズを経てあらわれた『ときめき』という主題について、小林は「以前のようなテーマが戻ってきた」と言っている。それはあたかも雲を思わせるような投影的なイメージの湧出から始まった。ここから再び始まった〈風景の崩壊〉は、しかし、以前のような一方的な崩壊ではない。形態の外見上の崩壊は、同時に世界を修復し、不断に更新するために欠くことのできないプロセスの一部を担っている。現実の世界を解釈し、意味づけるために作品世界が壊されなくてはならないという、この奇妙な補償関係は、作品が夢と同じ想像的空間であることを物語っている。バタイユの定式でいえば、この不毛で非生産的な世界のありよう(それを私たちは小林にならって〈コンドーム的〉と呼ぶ)こそが、現実の、生産的で有用な(ハイデガー風に言えば〈道具連関的な〉)世界のありようを救っているのである(*11)。いわばそれは、ワインを搾り取る際に廃棄される蒲萄の皮や滓のようなものである。それは確かに不要なもの、無用なものである。だが、その外果皮なくしては、蒲萄は果汁を蓄えることはできぬであろう(*12)。小林は言う。
最近は、特に日常で感じたことを掘り下げたいと思いますね。結局、そのとき自分がどう感じたか、この気持ちを表現したい、というのが描いてて一番しっくりくるということに気づきました。悲しくて、怒りで描いたものもあるのかもしれない。その時、気持ちを落ち着かせて昇華させるために描いているので、負の感情というものはないですね。(*13)
この表現的な志向は、2014年の恋愛体験を機に加速したもののようである。恋愛そして失恋の体験は、「自分の中の母性や潜在意識のようなもの」(*14)へと彼女の主題を深化させ、2015年にシリーズ化された作品群を生み出すことになる。その過程で付け加わった乳首、女性器、コンドームといった表象は、自身の女性的身体性をナルシスシスティックに写し出した鏡像といえよう。自己を外在(モノ)として超出する働き、それがある種の没落、侮蔑、汚辱を伴う規範逸脱的なやり方(バタイユの言葉を借りるなら〈裸体化〉といってよいであろう)によって遂行されるとき、それは哲学的ナルシシズムの要件を満たす。それは生産的なやり方で社会的評価を売ることを目的とした行為ではない。そこで生み出されるのは、汚らわしく、犯罪的な響きを伴う不毛な魅惑なのだ。小林自身、それが他者には受け入れがたいイメージであることを認めており、作品としてどのように表現すべきか模索を続けていたという。しかし、ここに至って、かつて他者から〈視られる〉ことを恐れていた彼女は、自らの意思で自らを〈視られる〉モノへと開くための第一歩を踏み出したといえる。その過程で彼女は、〈裸体化〉した自らの身体に作品を纏った写真をSNSにアップするというパフォーマンスを公開している。
Fig.2
『This is my fight.』『ときめき』における自己暴露、そして絵を描くという行為自体が一つの〈裸体化〉であるということを考えたとき、「ある種の自分の気持ちよさを表現して知らない人にまで見られるかもしれない可能性」のリスクと快感について、それは「一種のコミュニケーション」であると小林は言う(*15)。そこで表明される「自己を承認してほしい」というナルシシズム的欲求は、〈裸体〉的、倒錯的なものである。これは自己の生産的な能力を、つまりは道具としての機能を評価してほしいということを意味しない。これは、理解可能な〈意味〉に還元されることのない、実在としての自己のありようを、ありのままに表現したいという不毛な、コンドーム的欲望の発露なのである。
そのような中、2016年7月26日に起きた相模原障害者施設殺傷事件は、小林にも大きな衝撃を与えた。犯人とされる元施設職員の男は、特殊な優生思想のもち主であり、その道具論的な観点から重度障害者を社会的に無用のものと見なし、施設の襲撃に至ったといわれている(*16)。ここでは実在としての人間は否定され、ある種の観念に従属する記号としての人間というものが前景化する。この事件を受けて、小林は「「怖いなあ、本当に殺されちゃうな」と他人事には思えなくて、衝撃」だったと語っている(*17)。この時の衝撃を描いた作品が『Don’t kill me』である。
Fig.3
実在としての自己を再発見すること――今やそれが哲学的ナルシシズムの核心であることをわれわれは了解する。では、自らの〈自己〉(それは身体であり、感情である)を見慣れた日常の、言い換えれば〈信頼性〉〔Verläßlichkeit〕において与えられた道具的な意味連関の世界から、それらを取り去った実在世界へと放逐すること、習慣的な〈自己〉を〈不気味で途方もないもの〉〔un-geheuer〕へと還元し、いわば作品世界を開けて立てることによって、かえって〈自己〉を「「現れてくる」〔hervorkommen〕ようにさせる」(ハイデガー)(*18)ことは、〈自己〉と〈他者〉のかかわりにおいてどのような意味をもつのであろうか? もし、彼女が自らの裸体を一つの性的対象として定立するならば、そこにはセクシュアリティの一形態としての、つまりネッケ(Paul Adolf Näcke、1851~1913、ドイツの精神医学者)とエリス(Henry Havelock Ellis、1859~1939、イギリスの医師・性科学者)によって導入された性心理学のタームとしての性的ナルシシズムが成り立つといえるであろう。古典的理論において、自己愛は他者に備給されるべきリビドーが自己自身に備給された結果であると説明される。小林はナルシシズムの性的な位相については何も言及していない。もし、それが純然たる性的ナルシシズムではないとすれば、彼女のナルシスシスティックな欲望を湛えた絵画や写真が作品として公開され、SNSにアップされるという事態は、〈自己〉と〈他者〉のうちにコミュニケーションとしてのいかなる意味をもちうるのであろうか?
作品とともに自己を未知のものへと実在化すること——自らを〈視る〉ということ、そして、他者によって〈視られる〉ものとしての作品世界が開かれるということ。このコンセプトを尖鋭化したアーティストとして、マノン・ウー(Manon Uh、1991~、美術家)を挙げることができる。彼女は、自らの性的ナルシシズムを明確に否定する。「自撮り〔self-portrait〕の裸体を見て性的に興奮はないと思う。自撮りしてる最中とか撮られている最中は性的興奮しているけれども」「私の自己の身体に関する感覚、まだはっきりとはわからないのですが、おそらく他者という存在は絶対必要な存在で、他者がいるからこそ行われている行為ではあると思います」「カメラのレンズは実際には他者ではないですが、例えば私にとって〔他者としての撮影者がいる場合のように〕自身のエロティシズムを発露(…なんていうんだろう、解放というか、表現というか)できる人物がいない場合、カメラのレンズが他者の役割を担っていると言えるかもしれません」「撮影してくれる他者がいる場合、自撮りの意義は一度は低下するものと考えられます(…)。しかし、また自撮りには自撮りの独立した意味があるようにも感じています」(*19)。
Fig.4
次に示すウーの言葉は、〈自己〉に関わるために〈他者〉が必要とされるという逆説を物語るものである。「自画像を描くことと写真で撮ることは大きな地点から見れば確かに同じ意味のものかもしれないですね。私は、「私ってなんだろう?」が(…)テーマであると同時に、私が感じていること、感じたことをなんらかの形で他者に伝えることに強い喜びというか快感を感じるのですね。(…)やっぱり私にとって一番興味のある対象が私になってしまうんですね」(*20)。ここでは、小林がそうであったように、自らを視るために被注察的な状況(〈裸体化〉)をすすんで求める存在論的な〈露開〉〔Entbergung〕が要請される(*21)。ナルシシズムにおいて、自らの魅惑に目を開かれるのは、それが見慣れた日常の〈私〉であるからではない。そこにあるのは、道具的かつ歴史的連関から〈解体〉〔Destruktion〕された、実在的な〈私〉であり、〈他者〉は、その〈解体〉のために呼び出されるのである。〈②へと続く〉
〘小林冴子の作品をご覧になりたい人のために〙
▶『スーパードーターズ』
2017年10月30日~11月27日 Blanc Gallery(千曲市「萱」内)
10:00~18:00/無休
▶『シンビズム~信州ミュージアム・ネットワークが選んだ20人の作家たち』
2018年2月24日~3月18日 丸山晩霞記念館
9:00~17:00/無休
(*1)小林冴子、インタビュー、2017年1月26日。
(*2)伊集院清一『風景構成法 「枠組」のなかの心象』金剛出版、2013年、69頁。
(*3)小林、インタビュー、2016年11月8日。
(*4)同上。
(*5)同上。
(*6)「構成的」とは、既知の像を紙上の空間に再現させることであり、もとは絵画療法の用語。本来は写生を意味する語ではなく、川、山、田、道などの具体的な項目を挙げて風景画を構成させることを指す。本稿では、「投影的」であることを書き手の心理の自由な投影による描画の意味で(絵画療法における「なぐり描き法」(scribble technique)に等しい)、「構成的」であることを外的対象の再現の意味で用いている。投影的描画法において示されるのは内的空間であり、前ゲシュタルト的な形態が充満している。対して構成的空間は外的性質を帯びているといわれる(伊集院、前掲書、95~96頁)。
(*7)伊集院、前掲書、20~21頁
(*8)小林、facebook、2013年6月19日付記事。
(*9)小林、facebook、2013年7月5日付記事。
(*10)小林、メール、2016年11月24日。
(*11)ハイデガーにおいて〈道具〉は〈有用性〔Dienlichkeit〕のもとにある存在するもの〉、〈使用と必要のために制作されたもの〔das Hergestellte〕〉である(ハイデッガー『芸術作品の根源』関口浩訳、平凡社、2002年、28~29頁)。素材は〈道具〉の製造に際して使い果たされ、また道具自身も使用になじむほどに日常的なものとなり、自らその有用性のうちに消滅する。一方、〈作品〉は作品世界の中で素材を「現れてくる〔hervorkommen〕ようにさせる」といわれる(同書、60~61頁)。作品が作品として存在することは非日常的な何かである、とされる。「作品がいっそう純粋に人間に対するすべての連関から解き放たれているかに見えれば見えるほど(…)不気味で途方もないものが衝撃的に打ち開かれ、これまで安心できると思われてきたものが衝撃的に打ち倒される」(同書、97頁)のである。アートにおけるこの種のアプローチについては「耳のないマウス」の作品について考察した『存在の恐怖――人間を棄却する快楽』(服部、2016年)を参照のこと。
(*12)ユダヤ教神秘主義では、このような残滓を〈壊れた器〉(shebira)、〈貝殻〉(kelipa)にたとえる。ショーレムによると、後期カバリストのかなりの者が、穀物の種子が芽吹くために殻がはじけなければならないように、世界が生成発展するためには、同じように世界の種子が砕けなくてはならなかったと考えていたとする(ショーレム『ユダヤ教神秘主義』山下肇・石丸昭二・井ノ川清・西脇征嘉訳、法政大学出版局、355頁)。
(*13)小林、インタビュー、2016年11月8日。
(*14)同上。
(*15)小林、メール、2017年1月7日。
(*16)なお、元施設職員の男性には自己愛性パーソナリティ障害を含むパーソナリティ障害があったと見られているが、病理的ナルシシズムが誇大妄想や自己愛的憤怒、理想化転移による権威との同一化や英雄崇拝をその特徴とすることと哲学的ナルシシズムとを比較せよ。
(*17)小林、インタビュー、2016年11月8日。
(*18)ハイデガーの言葉。註11参照。
(*19)ウー、インタビュー、2017年8月7日。
(*20)ウー、インタビュー、2017年7月22日。
(*21)「冴子さんの「自分の中から出てきたものをそのまま出したいんですね。なるべく忠実に、なんなら自分の頭の中、体の中をコピーしてそのまま写したい」という発言には非常に共感するところがありました。(…)自分の心の中をそのまま他人の心の中にはめ込むことができるドラえもんの道具みたいなものがあればいいのにと思っていました」(ウー、インタビュー、2017年8月8日)
Fig.1 小林『布引大橋』2011年、キャンヴァスに油彩、116.7×91.0cm
Fig.2 小林、写真。facebook、2017年1月1日、23日、2月3日投稿画像より。
Fig.3 小林『Don’t Kill me』2016年、パネルにアクリル、45.5×38.0cm
Fig.4 ウー、2017年、写真
服部 洋介 Yosuke Hattori
1976年、愛知県生まれ。
長野市民。
yhattori@helen.ocn.ne.jp
http://www.facebook.com/yousuke.hattori.14
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