大都会3

文 / 納和也

 

夜は物音がしない。冬は何も居ないから気配もなく音がしない。それが心地よく人も動物も気配なく暗闇に自分の意識が変容する。何か意識が情報によって消耗することもなく。年が明け雪が解け陽が長くなって来た。朝3時位には鳥が鳴き始める。意識はそれによって被害を受け心が落ち着かなくなる。人の歩き声がする。窓から薄ら白い光が差し込んでくる。ああいやだ!そのまま落ち着いていた意識はさらに不安定になる。渡哲也のショットガンの音を冬の間聴いて過ごしショットガンによってすべての物が消えたような冬を過ごしてきた。ショットガンの精度が春の音連れによって緩んできたことに怯える。そう、僕は基本的に何かに怯えている。渡哲也の冷酷さは大都会3がピークだ。その冷酷さは正義だ。それはとても冬の暗闇に似合う。人を殺して煙草をふかし日暮坂が流れる。渡哲也を操る石原裕次郎よ、ありがとう。夜霧よ今夜もありがとう。冬の無音さは周りに何も居ない事である。春の短い無音さは眠りである。眠るという事はそこに居るという事である。何かがそこに居るのだ。鳥がいる。熊がいる。木が居る。木の葉っぱと太陽が怖くて遮光カーテンをこの間買った。擬似的に暗闇が実現される。その中で渡哲也のショットガンをiphoneでならす。でも部屋の外から朝3時から鳥の声がし始める。うう、辛い。人の声がする。山の中での人の声はとても怖い。石原裕次郎のフィギュアの拳銃の銃砲を声の方へ」向ける。そしたら声が遠くなった。誰かがフィギュアは人型だから縁起が悪いと言って来た。売ろうかどうか迷い始めフィギュアを箱にしまったり出したりを繰り返す。そしたら頭がおかしくなってきた。頭痛がする、不安だ。それが極限までたっし一睡も出来なくなった。裕次郎は悪魔か?天使か?その事が意識を縛りこみ悪霊の蛇が体内に入って来たような心地だ。ある朝脳梗塞と心筋梗塞が同時に来たような症状が起きる。死にそうだ。とりあえす安定剤を飲み暗い部屋から出たら日ノ出の眩しい光が突き刺さった。もうふらふらである。隣で人の声がする。鳥が鳴いている。意識が遠くなる。もう何も考えたくない。そう思ったら症状は良くなって来た。新宿駅南口で柱に括り付けたベンチに座って何時間も過ごした。人の声がする。でも意識はそれを喜んでいる。ここでは人の声は無音のように暖かい。如何わしい女が老年の男に声をかけている。やばそうだと思っていたら道を聞いていただけだった。新宿は平和になったなと思った。今夜も嘘くさい春の無音のなかでiphoneで渡哲也にショットガンを撃たせよう。日暮坂。可動フィギュアのポージングは大変だよ!

納和也 Kazuya Osame クリエイター
1971年埼玉県熊谷市(旧妻沼町)生まれ
http://osamekazuya.com