ご馳走

文 / 備仲臣道

 画家の貘先生は、ほら吹きとして知られている。貘は号であって、本名は佐藤義清というのであるが、先生はもっぱら絵を描くばかりで、歌はお詠みにならない。貘と号したのは「夢を食って生きる」ということのようであるが、実は貘が食うのは、夢は夢でも悪夢だということをうっかりしていたようで、どうもその辺りに先生の深い苦悩の因があるらしく、いつも眉間に皺が刻まれていた。
 ある夜、貘先生が私にご馳走して下さるというので、友人と二人で出かけていった。そのご馳走というのが、先生の酔余の話に何度も聞かされていた、蚊の目玉のスープである。先生のお宅は旧家で昔々の豪農であって、油屋を兼ねていた。私たちが高校生のころには、先生の家の裏庭を隔てた奥に大きな蔵がたくさん並んでいたのを記憶している。むろん、母屋はいまも豪壮なつくりで、森のような木々を背にしている。門から御影石の敷かれた上を歩くと、手の込んだ細工のガラス戸が見えるのが玄関で、那智黒の小石を敷き詰めた床を踏んで、分厚い欅の式台を上がると、奥の座敷に明るく灯がともって、くつろいだ格好の貘先生が座っていた。
 まずは一献ということでお酒を飲みはじめたが、先生は皿数が多いのがお好きということで、お膳の脚が曲がるほどにあれこれと並んでいる。とは言っても、見たところはいつもと同じで、ほうれん草の胡麻よごしや、トマトのざく切りという常連の顔ばかりであったが、少しお酒が入って先生がご機嫌になったころ、奥さんがお皿を運んできて、どうやらそれが蚊の目玉のスープであるらしかった。
「順序もなにもないけれどね」と貘先生が、いたずらっ子のような目をして言った。「これが、ご案内の蚊の目玉のスープさ。諸君は学問がないから知らないだろうが、もともとは中国の四川料理だから、干ししいたけとか、炒り子と言って、なまこを乾燥させたやつだね、そういうもので出汁をとってある。言ってみればなんの変鱈もないスープだけれど、ぱらぱらっと浮かせてあるのが蚊の目玉だよ」
 見たところは小さくて良く判らないけれど、なにか浮いている、これが蚊の目玉なのであろう。口に入れてもぷちぷちとつぶれるだけで、香りもなければ、おっしゃる通りでなんの変鱈もない。スープは確かに中華という気がする味である。
 蝙蝠は夜になると、群れをなして洞穴から外へ出る。一本の綱がよじれたようになったり、大きな布をひるがえした形で飛んだりしても、暴走族じゃあるまいし、無駄に競走しているのではない。精一杯開いた口に蚊を吸い込んでいるのだ──と貘先生は言う。
 暗い空を飛んで虫を捕らえる、しかも帰ってゆく洞穴というのが日中でも暗い。だから、蝙蝠は光のない場所でも目が見える、それは蚊を食っているからだ、蚊を食えば暗くなると目が不自由になる夜盲症をはじめ、目の病気に効果があるに違いない、という展開になったのだと言われている。だから、中国では古くから、蚊の目玉のことを「夜明砂」と言っているそうで、いまで言う薬膳料理が、蚊の目玉のスープなのであろう。
「しかし、それは違うな」と貘先生は、つまらなそうな顔で言った。私たちを斜に見て、ふんっと鼻の先で笑っている。「それだけのことで、こんな面倒なことをしてまで、蚊の目玉を食わんだろう。なんだと思うね」
「さあ」
「決まってるじゃないか。そりゃあうまいからだよ。そうでなくて、誰がこんなものを食うかね」
 その、こんなものを、いま私たちはご馳走になっているのであるが、貘先生のご高説は、人を黙らせておいて続く。かたわらで、さっきお皿を運んできた奥さんがにやにやしている。眼鏡の奥の細い目がなおさら細い。
 つまり、料理に凝るのは金持ちである。この世のありとあるうまいものを食い尽くして、まだほかにうまいものはないかと、いつも涎を垂らしているのは彼らで、しかも高等遊民とかいう暇人と相場が決まっている。暇人は本を読むから、なまじっか知識があって、だから、蝙蝠の生態なども知っていたりで、蚊の目玉に逢着したのである。
「そうだろう。そうは思わんかね」
 貘先生は目を鋭くして同意を求めた。
 蝙蝠は深くて暗い洞穴に棲んで、岩肌の天井からぶら下がっているから、下の床は糞だらけで、どろどろとぬかっている。この糞を小まめに集めて洗うのである。
「笊のような目の粗いものじゃだめだな。蚊の目玉は粒が小さいから、笊の目に詰まってしまう。内田百閒という偏屈な食通の作家がいてね、彼がシャンパンのおかずに、おからを合わせるという文を書いている」
「おからですか、あの豆腐を作ったときに出る」
「そう、おからを買ってきたら、まず袋に入れて水の中でごしごし洗うんだとさ。だから、蚊の目玉の入った糞も目のつんだ布の袋に入れて、川の流れなんかで、ごしごしと洗うんだと思う。そうすると糞は流れて、あとに目玉だけが残る。蝙蝠が食っても消化しないのは、目玉はチキン質とかいう物質だからだそうで、だとすると人間が食っても、ねえ、同じことだろう」そう言いかけて、貘先生は大口開けて笑った。「それを食いながら想像するというのは、あまり愉快なものではないね」
 そのとおり、私たちの前には、蝙蝠の糞から獲ったやつが、それぞれ並んでいるのである。
 どうやら、食通と言われる人種は、偏屈なもので面倒なことをすると、言いかけてやめた。蝙蝠の糞を集めるのも洗うのも、それを食う本人ではない。使用人か人夫か、それ専門の食材調達業者がいるかするのであろう。百閒のおからにしても、袋に入れて洗い、さらに炒りつけるのは百閒ではない、「家の者」つまり奥さんかお手伝いの女性か、貘先生にしてもスープを作るのは奥さんで、先生はパイプでカプスタンかなにかを吹かしながら、あれこれ口うるさいことを言っても、手は出さないに決まっているのである。
「ところで、小泉武夫という人が『奇食珍食』という本に書いているけれど、蚊の目玉のスープというのは、中国でも食堂の看板に出てはいるけれど、実は嘘なんだってね」
「え、嘘ですか」
 私は思わず手許のお皿に目を落とした。さっき、うっかり感心して見せなくって良かったと思った。これだから貘先生は油断がならない。
「目玉は確かに目玉なんだけれど、アミという蝦の小さいようなのがあるね、あの目玉なんだそうだよ」
 そう言われてみると、スープのどこかにアミのような味が、と思いかけたところで、貘先生が言葉をつないだ。
「でもね、今夜、諸君に差し上げたのは、これは本物だよ、本物」
 わざわざ二度まで言うところが、なんともくさいという気がする。どうも、手の込んだほらであるらしい。
「いやね、さる人から本物を手に入れたんだよ。信用の置ける人さ。だから本物だよ。私ともあろう者が、君たちに贋物をつかませるかね。第一、私は自分の舌を信じているよ。確かに本物」
「先生は前に蚊の目玉のスープを召し上がったことがおありなんですか」
「私は中国にいったことはあるよ。あるけれど、それは北のほうの砂漠でね、四川省のことなんて知らないねえ。大体において、君たちは学問がないものだから、そうやってすぐに人を疑うけれど、いけない癖だね」
 言いながら先生は、奥さんになにやら言いつけた。奥さんがすぐに持ってきたのは、小皿に乗せた大粒の黒い葡萄のようで、しかし、二つしかない。それを私と友人の前に置いて、貘先生は言った。
「これはソーセージのようなものだよ。アマゾンの現地人が食っていると、さっき言った小泉さんの本で読んだから、一度食って見たいと思っていたんだが、最近知り合った探険家にそう言って、やっと手に入れたんだ。あとは食っちまって二つしかないので、今夜のために取っておいたのさ」
 貘先生の、小泉武夫の本からの請け売りによると、これは蛭の牛血ソーセージだという。アマゾンの現地人が山に入って山蛭を捕まえ、持ち帰って牛の体にくっつけておくと、夜の間に牛から血を吸った山蛭は、球のように丸くふくらみ、ふくらみ切って地面に落ちる。それをゆでると血が固まって、いま目の前にある黒い球になる。アマゾンの奥地から、どうやって日本まで持ってきたのか、そんなことは貘先生は言わない。多分知らないのだろう。
「山蛭ですか。そう言われてみると気持ちが悪いけれど、しかし、どう見てもこれは葡萄の巨峰に見えますがね」
 友人と二人して手を出しかねていたら、貘先生が言った。
「君たちは疑り深いね。どこが巨峰なものか」
「いや、巨峰じゃなくてピオーネかもしれませんね」
 そのとき、貘先生の目が微妙に動いたのを、私は見逃さなかったつもりである。そうして、友人が黒い球体を箸でつついていたら、そいつが転がった拍子に小さな穴が見えた。房になっている葡萄の実が、茎につながっていた穴に違いない。
「や、君は余計なことをする」と貘先生があわてて言った。「そんなことをしないで素直に食えばいいものを」
「やっぱり葡萄じゃないですか。そうか、巨峰じゃなくてピオーネなんだ」
 そう言って友人とうなづきあっていると、貘先生は決まり悪そうにちろっと舌を出し、首をすくめてひっひっと笑った。
「ああいや、これはまいったな。こう簡単に判ってしまうとはね。君たちがどれくらいものを知っているか、ちょっと試したんだ」
 貘先生は奥さんを振り返って、小皿を持っていかせた。あとで房になっているやつをデザートに出すように言いつけている。
「それでさ」と貘先生は唐突に話し出した。「君たちは知らないだろうが、江戸時代の『豆腐百珍』という本に、いろんな豆腐料理が紹介されている」
 そのなかに「うつし豆腐」というのがあって、鯛の大きめの切り身と、これも大きめの四角に切った豆腐を鍋に入れて煮る。取り出した鯛は捨てて、豆腐だけを生姜醤油とすりおろした柚子で食うのだという。
「なんということをするのかね。鯛の香りを豆腐に移して、その味を楽しむというのは判らないでもないけれど、私なら鯛ごと食うね。鯛を捨てることのどこが粋なのか知らないけれど、こういう気取りはいただけない。粋だの通だのというのは窮屈なもんだね」
 貘先生は首を振りながら、口をへの字にして見せた。
「江原恵という料理人が『庖丁文化論』という著書の中でですね」と友人が言った。「そういうスノビズム、俗物根性が、江戸時代に幅を効かしていたところに、強いて言えば日本料理を衰退させた主因があると書いています」
「人を馬鹿にしていますよ。もっと素直に物が食えないのかしら。蕎麦通の男が臨終の床で、一度でいいから汁をたっぷりつけて、蕎麦を食ってみたかったと言った、あれですよ。下らない」
「そこがそれ、金があって暇人で、なまじ教養もある人種の度し難いところさ」
「石川淳に『おとしばなし 堯舜』という小説がありますが、豆腐料理屋をはじめる話が出てきます」
「ほう、どんな料理を食わせるのかね」
「それが、何十種類もの料理を上げて、結局は冷奴と湯豆腐の二種に落ち着くのですね。水に浮かべたのと湯に泳がしたのと、つまり、素の豆腐の味を至上のものとする、というのでしょう。そういう素直なところが一番うまいのじゃないですか」
「なるほど、君たちはなかなかの学者だね」
「暇人ですから、本は読んでいます」
「考古学者の森浩一先生がですね」と、友人がまた言った。彼は学者ではないが、考古学に詳しいようである。「九州の漁港へ発掘にいったとき、町にちゃんとした食堂がなくて、五人も入ればいっぱいの飯屋に入った。メニューもないから、二人いた先客が食っていたものを見て、なにか判らないけれど同じものをと言って頼んだというんです。これが鰹の腹皮というもので、飛び切りうまかったと『竹べらとペン』という本に書いています。森先生は外国へいったときなども、周りの人の食っているものをカンニングして注文するそうですが、知らないということに素直になれば、うまいものと自然に出会うのじゃないですかね」
「君たちもさっき、知らないということに素直になって、蛭のソーセージを食えばよかったじゃないか」
「それは先生。まあいいですけれど」
 やがて奥さんがデザートの葡萄を持ってきて、同時にお茶が運ばれた。貘先生がなにか言いたそうな顔をしている。自分の番まで待てない子どものようである。
「いけっ茶、また来いっ茶というのもあるがね、これは、そんじょそこらのお茶じゃない。学問のない人は、お茶と言えば緑茶、紅茶くらいしか知らないだろうが」
「ウーロン茶も知ってます」
ウーロン茶と言われて、貘先生がぎくっとしたように見えた。
「中国人はウーロン茶は暖かいのしか飲みませんね。日本人のように冷たいのは飲まないようですが、なぜなんでしょう」
「さあ知らないね。私は中国人じゃないから。それよりも君、人の話の腰を折っちゃいけない。小さいころお母さんに教わらなかったの。まあいい。とにかく、世の中で一番うまいお茶はね、これを猿茶という」
「えんちゃ」
「そう、猿の茶と書くね。中国も四川省は高い山や深い谷が多いから、めったに日が当たらない。たまにお天道様が顔を出すというと、びっくりして犬が吠えるというくらいのものだ」
 ある山の高い崖の上に茶の木があって、霧のかかる具合が絶妙だから、その木から採ったお茶がうまい。とは言っても人間業では登っていけないような急坂である。どうして味が判ったかはともかく、猿を訓練して、その葉を摘ませたのだという。
「それが、いまそこへ出したお茶だよ。お口に合わないかもしれないけれど、それで口をさっぱりさせて、狐の化けたような女に捕まらないようにお帰り」
「いまどき、この辺に狐が出ますか」
「馬鹿だね君は。狐の化けたような女と言っただろう。それだったら、その辺にたくさんいるさ」
「まあ、いいことにしますけれど、このお茶ウーロン茶じゃありませんか」
 貘先生は飛び上がるような顔をしたが、ぎょろ目を剥いて言った。
「猿茶と言っただろう。どうも君たちは素直でないね。どこかで悪い酒でも飲んできたのかね」
「はい、夕方からずっと、こちらでいただいています」

備仲臣道 Binnaka Shigemichi 1941~
韓国忠清南道大田生まれ 著述業
甲府第一高等学校卒 山梨時事新聞記者 月刊新山梨編集発行人
2006年、第6回内田百閒文学賞優秀賞受賞
著書 『蘇る朝鮮文化』(明石書店)『高句麗残照』(批評社)『司馬遼太郎と朝鮮』(批評社)『ある在朝日本人の生涯』(社会批評社)『内田百閒文学散歩』(皓星社・2013年8月)ほか5冊。
kazenonagune@yahoo.co.jp

備仲臣道・著『艶本ラプソディー』皓星社・刊、1400円+税。2016年6月29日発売。
江戸軟文学に魅せられ、艶本を刊行して50年、坂本篤の発売禁止、罰金、逃亡、入獄に彩られた70余年の生涯を描く初の評伝。
*書店にない場合は出版社にお申し付けください。
皓星社 東京都千代田区神田神保町3-10 03-6272-9330