文 / 丸山玄太
89年製のクラウンは最後の怒りを爆発させると白煙を上げその動きを止めた。運転席の男は顔色を変えず惰性のみで細い林道を走ったが数百メートルと進めはしなかった。軋むドアを開け下車するとそのまま笹藪の中へと消えていった。
翌朝、老人が運転する軽トラックが林道を塞ぐ車に何度もクラクションを鳴らしたが、それはただ木々の間に広がり消えていくばかりで、暫くすると来た道を戻っていった。その日林道に入ったのはその軽トラック1台だけだった。夜半過ぎの通り雨でクルミの花が落ち、ボンネットに毛虫のように張り付いた。翌日の夕方を前にして漸くパトカーがやってきて、警官はレッカーを呼ぶと早々に引き上げた。
放置車両は盗難されたものであった。所有者は8年前に他界した他県の男で、存命ならば82歳になる。子息の話では、昔父親が乗っていたような記憶はあるがその頃は家を出ており車にも興味が無かったので判然としない。あったことすら曖昧なものに盗難届など出せない、ということだった。盗難の届出があったのは、車両が放置された場所とも所有者の居住地とも縁遠い海辺の町になっている。盗難届に記載された電話は不通であった。所有者の息子も聞いたことのない名前だと言っていた。首を捻りはしたものの盗難車の放置自体珍しいものではなく、この件は殆どルーティーンのように警察署の奥へと追いやられた。
そのまま忘れ去られるはずだったものが、翌年の春、賃借人の部屋に血痕があるという古アパートの大家からの通報があった現場で押収してきた車の鍵が、盗難車のものであったことから再び日の目を見ることとなった。水道局から当該の部屋で1ヶ月以上も水道を使った形跡がないとの知らせを受け、確認のために大家は何度か部屋を訪れたものの反応が無く、合い鍵で入ったところ血痕を見つけたとのことだった。血痕自体は大した量ではない。紙でも切ろうとして思わず指を深く切ってしまったか鼻血かとでも言えるもので、実際、シンクの上にはまな板と身が錆色に染まった魚が残されていた。部屋に争った形跡もない。警官は現場の状況から事件性は無いと判断したが、職業的な勘が働いたのか、玄関に置かれた車の鍵といつだったかの盗難車が偶然のように結ばれた。鍵があったからといって即ちその部屋の住人が車を盗難し放置した者であるということにはならない。何も決めつけることはできない、と思いながらも一応鍵を押収した。直感が当たっていたとしても、眼前に置かれる事実は行方不明の人物が所有者の既にいない盗難車の鍵を所持していたというだけで、結局、行方不明の住人を見つけなければ何も解決はしないし、きっと見つかりはしないだろう、と引き返すパトカーの中で既に経験から目算を付けており、事実その通りにしか事は運ばれなかった。
調べを進めてもこの行方不明者の謎が深まるばかりだった。ちょうど放置された盗難車の通報があった頃にアパートに引っ越してきた男は公的なデータベースに存在しておらず、同姓同名の人物はヒットしたものの、大家や近隣住民からの聞いた話しからすると年齢が大分違うようであり、連絡してみてもやはり本人ではない。保証人欄に書かれた人物も同様であった。殆ど他者との関わりを持っていない人物でもあり、唯一、多少なりとも実のある話しが聞けたのは、不明人物を雇っていたという建築業の男だけだった。
「あいつのことは殆ど知らねぇよ。ふらふら歩いてるとこを危うく轢きそうになったもんだから文句を言ってやったんだが、聞いてるような聞いてないような、まぁ暖簾に腕押しってやつだな。こっちも馬鹿みたいになって、そん時はそれで終いよ。でよ、釈然としない気持ちで家に帰ってきてみたら目と鼻の先にあるオンボロアパートに奴が入っていくじゃねぇかよ。それで何だ、この野郎と思ってまた頭に血が上ってよ、それで、何でだったかなぁ、細けぇことは忘れちまったけど、暇ならちょっと仕事手伝えよってことになったんだ、最終的に。罪滅ぼしとか何とか言ったんじゃねぇかな、たぶん。騙したわけじゃねぇよ、ちゃんと日当払ったしよ。ちょうどいつも使ってる若い奴が怪我しちまって人手が足りなかったんだよ。まぁ、素人にはちょっとばかりきつい現場だったんだが文句も言わずよく働いてたよ。そんなだから、たまによ、頼んでたのよ、人が欲しいときに。まぁでも数えるくらいだけどな。ここんところは呼びに行っても部屋に居ねぇのよ。朝方、自転車乗ってどっか行くとこを何度か見っけたからどっか働きに行ってんだと思ってたよ。まぁそれだけだよ。何かしたの、あいつ?まぁよく分からないやつではあったよ。一緒に仕事しててもよ、頷くばっかりでひとっ言も喋らないんだからよ。面白味はないよな。仕事はやってくれたからこっちはそれでも構わなかったんだけどよ。それくれぇだよ、俺が知ってるのは。」
あ、と思った次の瞬間、それが何だったか思い出せないようなものだ。大抵の場合、それは大勢にに影響はない。早く忘れ去ってしまった方が良い。頭の片隅に置いておくからこんなにも空しい余計な仕事をするはめになる。忘れるからこそ影響がない、と思えるのだ、言い聞かせながら、もう一度と、向かった車両が放置されていた場所で、雑草に覆われ始めてはいるが人がちょうど一人通れる程の獣道を警官は見つけるのだった
丸山玄太 1982年長野市生まれ 麻績在住 クリエイター
undergarden主催
2016 9月 Visual Echo @ FFS
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