焚書<極東>Far East SCULPTURE carving / modeling / movement / Mass Date: 2015 素材:焼かれた「デミアン ヘルマン・ヘッセ 新潮文庫」事務机 標本箱 たんぽぽの種子 場所:伊那市 伊那文化会館
文・作品 / 北澤一伯
それは元型へ旅といってもいいかもしれない。
私の日常を、羊の群を追って移動している旅にたとえてみる。羊には美術という名がついている。そして、その名にふさわしい方向へと歩む。仕事。現実の細部。歴史の中。思想の辺地。生素材。再現的表現の中止。出来事をつくる。廃虚。窮地への傾斜。「丘」をめぐり、そして超えていく。
しかし、進む地平は牧草地とは限らない。当然、羊は飢える。だから、私は働いて、私自身と美術という名の羊の糧を得ながら年を重ねてきたのだった。つまり、ここで語られるところの糧を得るとは、「これしかないけれど、これさえあれば」生きてゆけると感じられる何かと出会うことであると、私は思う。
例えば、D.J.サリンジャー「フラ二−とゾーイー」の「ゾーイー」最後の数ページで、ゾーイーが精神的悩みをもつ妹フラ二ーに亡き長兄シーモアの言葉として語った内容のこと。
小説の中で、彼は子供時代ラジオ番組に出演していた頃、兄は彼に「放送の前にラジオの向こうの『太っちょのオバサマ』のために靴を磨いていけ」と言ったという。
そして、ついにゾーイーは『オバサマの正体=キリスト』を明かすのだが、その前に「シーモアの『太ッちょのオバサマ』でない人間は一人もどこにもおらんのだ。それが君にはわからんかね?」(新潮文庫p229野崎孝訳)とフラ二ーに語る。
この対話によって,劇的に彼女の苦しみは去り、ベッドに入った彼女は「深い、夢もない眠りに入っていった」のだ。
「残侠の家」制作は14年の年月を必要とし、その展開は、「白」「黒」の決着のつかないまま自らの潔白のみを主張する土地係争者の暗い内面に触れることだった。そして、時間の経過とともに係争地は廃園と化し、私は漠然と沈黙する存在を「しずかな敵」と命名する奇妙な発想を生んだ。
「しずかな敵」を、物語と呼ぶより他ふさわしく伝える術を思い当たらないのだが、ただそこには次のような言葉とつながっていると思われるのである。・・「太ッちょのオバサマ」の正体と。
美術という名の羊の糧。それが少し共通の構造として物質化される時、いわゆる美術のクオリティーとは異なった精神のlandscapeの「丘」に待ち受けているようなもうひとつの表現の始源になると思う。
北澤一伯 (きたざわ かずのり)
1949年長野県伊那市生れ
発表歴:
1971年から作品発表。74年〈台座を失なった後、台座のかわりを、何が、するのか〉彫刻制作。
80年より農村地形と〈場所〉論をテーマにインスタレーション「囲繞地(いにょうち)」制作。
94年以後、廃屋と旧家の内部を「こころの内部」に見立てて美術空間に変える『「丘」をめぐって』連作を現場制作。
その他、彫刻制作の手法と理論による「脱構築」連作。2008年12月、約14年間長野県安曇市穂高にある民家に住みながら、その家の内部を「こころ内部」の動きに従って改修することで、「こころの闇」をトランスフォームする『「丘」をめぐって』連作「残侠の家」の制作を終了。
また、生家で体験した山林の境界や土地の権利をめぐる問題を、「境(さかい)論」として把握し、口伝と物質化を試みて、レコンキスタ(失地奪還/全てを失った場所で、もう一度たいせつなものをとりもどす)プロジェクトを持続しつつ、95年NIPAF’95に参加したセルジ.ペイ(仏)のパフォーマンスから受けた印象を展開し、03年より「セルジ.ペイ頌歌シリーズ 」を発表している。
2015年7月、韓国水原市にVoid house(なにもない家)を制作した。
|