文 / 備仲臣道
庭一面を埋めつくしている、何千とも知れない白い花が、夜更けの少しの風に揺れている。風がくると流されるようになびいた花たちが、風のこないときには元の所まで揺れもどって、砂浜に打ち寄せては引く波のようである。
地面と茎や葉は夜の気の中に沈んでいるから、花だけが浮いて美しく光り、白いチュチュをふうわりとひるがえした、何千というバレリーナが踊っている姿に見える。誰か調子を取る者がいるのでもないのに、音楽に合わせて動いているとさえ思われる。
花はマーガレットで、とりわけこの花が好きというのではないけれど、ここへ移ってきたときに、庭のあちこちに少しずつ咲いているのを見たから、百坪はあると言われているこの庭を、マーガレットで埋めてみようと思ったまでである。いまでは路地を入って門から玄関までの、幅が七、八十センチばかりの道を残して花で埋まっているけれど、こうなるまでには三年の月日を要した。散らばっているのを植え替えたり、ちょうど良い季節には挿し芽をしたし、家の外から持ってきたりもした。
庭が花で埋まってからはじめての満月の夜、折りからの心地よい風に乗って、花がことごとく和紙でできた風車になり、くるくるくるくると回りながら、明るい光を辺りに散らかしているのを見た。それが夢や幻なのか本当のことか、いまでも定かではない。
こんなに広い庭になんにもなかったのは、この家が元は手漉きの和紙を作っていたからである。漉き上がった和紙は天日干しにするし、楮や三椏の枝を水に漬けておく池も必要だったから、庭は広くなければならなかったのだという。
その昔はこの町のほとんど一軒残らずが、手漉きの和紙を生業としていたのだけれど、機械漉きに押されて市場を失い、今日ではトイレットペーパーを作るような大きな工場が二、三あるだけで、手漉きはまったく姿を消してしまった。それにしたがって町も過疎化が進み、若い人は町の外に勤めを持って、日中の町は年寄りばかりである。
あちこちに空き家が目立ち、白い壁土が落ちて中の竹と縄が露出している蔵がいくつもあるこの町で、私が借りた家も家賃はただに近かったが、十数年は空き家だったという、廃屋同然のものであった。赤茶けてしまった障子は紙を貼りなおし、畳は何回となく雑巾で拭き、庭の雑草は抜いて焼き捨てた。けれども、台所の隅の天井板が剥がれて、半分くらいぶら下がったのや、壁の染みは手の施しようがないから、そういう形のままで一つの景色だからと、これでいいことにして無理にも納得した。池は埋め立てられて跡形もないけれど、隅にある井戸はポンプで汲み上げて、近所の何軒かで使っているというのも面白く、ここを気にいった要因の一つであった。
風車を見てからというもの、月の明るい満月の夜には濡れ縁に座って、風に揺れる白い花を、飽きることなくいつまでも見ているのが習慣になった。むろん、脇にはお銚子が二、三本置いてあり、蚊遣りの煙が花のなびくほうへ流れている。
満月の下で、たくさんの花はひときわ白く輝いて、辺りを隅々まで明るくしていた。月が白いから花が白いのか、花の明るさが月を照り返しているのか、それは判らないけれど、花の上ではねた月の光はますます輝いて、この庭を白銀の世界にしてしまったようである。
そのとき、強い風が急に吹いて花の上を渡っていったら、風上のほうから一つ一つの花が折鶴に変わったと見るうち、みんな茎から離れて、空の彼方へ飛んでいってしまった。
備仲臣道 Binnaka Shigemichi 1941~
韓国忠清南道大田生まれ 著述業
甲府第一高等学校卒 山梨時事新聞記者 月刊新山梨編集発行人
2006年、第6回内田百閒文学賞優秀賞受賞
著書 『蘇る朝鮮文化』(明石書店)『高句麗残照』(批評社)『司馬遼太郎と朝鮮』(批評社)『ある在朝日本人の生涯』(社会批評社)『内田百閒文学散歩』(皓星社・2013年8月)ほか5冊。
kazenonagune@yahoo.co.jp
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