『「丘」をめぐって〜』物質誌 拾遺

物質誌Far East SCULPTURE   素材:廃材 土 コンクリート 金属版 場所:伊那市富県 自宅

物質誌<極東>Far East SCULPTURE  
素材:廃材 土 コンクリート 金属版
場所:伊那市富県 自宅

文・画像 / 北澤一伯

 「場所」とは、世界の意味を知りたいという欲求を満たしていく時に出会う思索の水脈に、精神と制作を透して浸っていく空間だと私は考えてきた。
「生きる歓び」はその事態に共振して感じられるすべてである。

 山梨県北巨摩郡白州町横手(現在は北杜市)における『「丘」をめぐって〜』制作の頃の事で思いだすことがある。
 1994年5月初旬、「アートキャンプ白州 風の又三郎」準備中の出来事。
 すでに数軒、制作候補に上げた廃屋を借りる事を断られた後、どうしても作品にしたい物件を見つけることができず、途方にくれつつ自転車に乗って白州町横手地区の集落を通り、ラベンダーの花畑脇の小道を進むと、・・この道の先にかならず廃屋はある、なければ美術行為など嘘で無意味だ・・という感情が俄かに昂り、私は対処できないくらいに心がはやる気持ちにかられたのだった。そして、その感覚のまましばらく進むと、確かに小さな空き家が在った。まさに、出現したといってもよい。廃屋と呼ぶのにふさわしい家だった。
 道路脇の、あまりいい立地条件ではなかったが、ある予感とともに探し当てた家であり、候補の一軒として展覧会企画担当者に報告し交渉を依頼すると、他の候補は断られたにもかかわらず、その家屋だけは承諾を得て簡単に借りることができた。
 それから2週間後、家の内部を片付け庭を掃除している時、玄関の表札に目が止まった。その表札には『大久保丘郎』と墨書されていた。
 「・・おおくぼおかろう・・」
 私は制作現場の家の表札に、「丘」という文字があることを、かなりの不思議な気持ちで見上げていた。
「—!」 
突然、私はなにかに打たれた。うなり声が出た。
 私が、廃屋を私の苦悩の内部に見立てて改修し、私の心の再生と再誕を意図とした治癒プロジェクトの現場の家を建てた人物は『大久保「丘」郎』というのだ。
 つまり、あらかじめ、『「丘」をめぐって~』というタイトルで廃屋の仕事をしようと企画して物件をさがし、承諾を得て借りた家の世帯主の名が『大久保丘郎』といい、私は、丘という文字の書かれた表札の家で『「丘」をめぐって~』という内容に沿って,自分に見立てた家の再生を始めていたことを発見し、再生し繰り返す場所に出会い、体験する空間の厚みの中に佇んでいたのだった。
 大久保家は、1945年3月10日東京大空襲で悲惨な体験をし、戦後新生活を志して、家族で白州町横手地区に移り住んだという。
『「丘」をめぐって~』連作に、大久保家の苦闘の物語が交叉し、制作中には、大久保家とともに入植した高齢者数名が亡霊のように現れて開拓当時の辛酸の<記憶>を連綿と語って帰っていった。地霊が人間に宿って泣いているとも思われた。
 あの時、目前の光景の背後にある、日常の言葉だけではとらえることのできない世界に、私は確かに触れた。表現の「丘」とは、のりこえるべき難問群の小山のことであるけれど、場所の力によって、一切はあらかじめ計画的な道筋に沿って成り立ち繰返すという、循環の観念が編み込まれた世界が立ち上がったようだった。

 ・・もしも。
現代美術など知らない限界集落のさみしい山裾で、失われた物事の奪還をテーマにしたプロジェクトが、くりかえし同じように企画され、そのプロジェクトには、作者が持っている問題や苦しみを解決する複数の試行が仕組まれていて、その場に居あわせた人の中に、その人が持っている問題が解決され、もしくは問題が解決できる課題に変容されて、その人はなにかのかたちで満たされる、としたら・・。凶兆への抵抗であり,現在への介入である思考を更新できるだろう。遁走はしないだろう。
 場所の力に沿うことは、美術による地域活性化などという綺麗な言葉を語る人々の黒い下心を見抜く能力をしっかり身につけた少数の人との、強い連帯とともにあるものだ。この悪い時代の元凶が明確に予感される時、およそ四半世紀前から現在までのすべてが意味を持つべくつながって、しかも未了であることは無念なことだ。
 忘れることも、終えることも、できないのだから。

北澤一伯 Kazunori Kitazawa
1949年長野県伊那市生れ
発表歴:
1971年から作品発表。74年〈台座を失なった後、台座のかわりを、何が、するのか〉彫刻制作。
80年より農村地形と〈場所〉論をテーマにインスタレーション「囲繞地(いにょうち)」制作。
94年以後、廃屋と旧家の内部を「こころの内部」に見立てて美術空間に変える『「丘」をめぐって』
連作を現場制作。
その他、彫刻制作の手法と理論による「脱構築」連作。2008年12月、約14年間長野県安曇市穂高にある民家に住みながら、その家の内部を「こころ内部」の動きに従って改修することで、「こころの闇」をトランスフォームする『「丘」をめぐって』連作「残侠の家」の制作を終了。
また、生家で体験した山林の境界や土地の権利をめぐる問題を、「境(さかい)論」として把握し、口伝と物質化を試みて、レコンキスタ(失地奪還/全てを失った場所で、もう一度たいせつなものをとりもどす)プロジェクトを持続しつつ、95年、NIPAF’95に参加したセルジ.ペイ(仏)のパフォーマンスから受けた印象を展開し、03年より「セルジ.ペイ頌歌シリーズ 」を発表している。2015年7月、韓国水原市にVoid house(なにもない家)を制作した。