若げ

文 / 山本正人

「だいぶ、すっきりしたな。」

南向きの窓ガラスをいっぱいに開けてうらうらとした春の日差しを取り込みながら、さも未練がましい心を切り捨てるように歪な8畳ワンフロアのアパートに残ったここ数年の記憶を整理していた。箸やらマグカップやらCDやら、片付け始めると思っていたよりも彼女の匂いや面影があちこちに残っていた。いろいろ考えるのも女々しいと、目に付くそれらを片っ端からゴミ袋に放り込んだ。

それでも、ついこの間まで一緒に住んでいたこの安アパートは彼女と2人で選んだ部屋だったから、自分だけになった空虚感がどうしても消えなかった。

「やっぱり畳よりフローリングが良いよね」
「なんか隠れ家っぽくて好き」

まだ親の仕送りに甘える大学生の分際では当然自由に好きな物件を選べる訳もなく、予算のごく限られた中で、それでも少し遠くても洒落た雑誌で見掛けるようなセンスある雰囲気の間取りをなんて2人でこまっしゃくれながら、一見デザイナーズマンション気取りのこの部屋に辿り着いた。
日頃は“占いなんて気持ちの弱いヤツに付け込んだ詐欺商売だ”などと意地を張っておきながら、「日当りが良い南窓」とか「水回りはどこそこ」なんて中途半端にかじった風水を頼りに彼女と探した記憶が、めったやたらに甦ってきた。まだ洟垂らしの僕らが背伸びした初めての同棲だったから、尚更かもしれない。

粗方の整理を終えて一息つこうとコーヒーを落としながら、かなり殺風景になった部屋の真ん中に座り込んだ。

掃除機の音が消えて辺りが静かになったせいか、コーヒーメーカーのコポコポと湯が落ちる音とカーテンが微かに揺らめく情景が妙にありありと飛び込んでくる。窓から頬を撫でる柔らかい風は先日まで冷たかったはずなのに、今日はやけにポカポカとして心地が良かった。

彼女と初めて会ったのは私が大学2年生の春、ちょうど今日のような新芽の季節だった。いや、同じ科で一つ上の学年にいたから正確にはもっと前にすれ違っていたのかもしれないけど、ずっと女子寮生活だった彼女はそちらの付き合いで忙しく、科の集まりに全く顔を出していなかったんだ。

あの日、単位のためと仕方なく受けていた気怠い講義が終わり何時ものごとく溜まり場の研究室に入るとそこに、ラベンダーを思わせるような淡い紫色の髪をした彼女が座っていた。

「あれ?・・こんちわ・・」

こんな子居たっけ?と入学から今までの記憶を隈無く辿ったが見当たらなかった。というより、もし一度でも接していれば忘れるはずがないと咄嗟に思った。
私は瞬く間に魅了されていた。

「山本くん、この子可愛いでしょ〜」

隣に座っていた溜まり場常連の4年女子がまるで自分の宝物をひけらかすかのように発した言葉に、彼女は少しはにかんだ顔を見せる。その控え目にゆかしい表情を目にした私は、恥ずかしさも忘れて真顔で返事をしていた。

「うん。」

・・・・

「コフォッコフォーーーッ」

コーヒーメーカーの最後の蒸気が勢いよく吹き出す音に呼ばれてふと我に帰る。
急かされるようにコーヒーを注ぎながら、兎に角じっとしていると情けなくなるから何かやる事はないかと思考を巡らしてみるが、ちっとも思いつかない。勢い余ってなみなみとしたマグカップを片手にまた床に座り、タバコに火を付けようと近くに転がっていたマイルドセブンを手繰り寄せると空っぽだった。
小さく舌打ちしながら、空箱を捻り潰す。

「なんか腹減ったな・・コンビニか。」

友達を誘うのも億劫だし1人で外食も面倒だから、タバコを買うついでに近所のコンビニで済まそうと腰を上げると、示し合わせたように携帯が鳴った。
大学1年の時、成り行きで何度か深い関係を持った同級生のA子からだった。

山本正人 Masato Yamamoto 1976~
群馬大学教育学部卒 長野市在住