平面の可能性

未題(部分)oil on canvas/F100/2015

未題(部分)oil on canvas/F100/2015

文・絵画 / ごとうなみ

始まりは、錆びれた漁港の足許に広がった路面のシミと、死の匂香を孕み終期のエネルギーを呈する花弁の貌だった。シミは、己もしくは他による働きによって残された痕跡に、花弁の貌は、途絶えゆく消息のさなかに忽然と現れる生命への光明さに、私は美を感ぜずにはいられなかった。天然の自由が織りなす現象を享受し、形象化したい。その希みを見つめる仕草で、私は平面の制作を始めた。それは「現象を残す」ことと「描くという行為」との間に潜む表現への模索だった。
ジャクソン・ポロックは絵画的要素や画家の意図を画面から捨て去り、アクション(行為)の集積を繰り返し、ただ描くために描き、絵の具や塗料という物質をもって自然とつながろうとした。ポロックが露わにした物質が放つアクチュアリティーを、私は現象に変えることはできないか。そして更に、(人工的に)描くことで(自然な)現象を生み出すことはできないだろうか。そしてそれをもって天然の自由と人の意識を凌駕する表現が生まれないだろうか。この期待のような幻想のような模索を行うに、油画は適していた。

 「芸術の美と天然の美、それぞれに感応することは、相互的に依存関係にある。美しいものはありのままの自然を思い出させてくれ、さらに、それによって、私たちすべてを取り巻く、脈打つものも無生命のものもいっさいを含む現実の、まったき広がりや豊かさを感受する力を刺激し、深めてくれる。これを洞察と言えるなら、この洞察には歓迎すべき副産物がある、美がその揺るぎなさを、その存在の不可避性を再び獲得し、私たちのエネルギー、共感する心、そして感嘆する気持ちの多くの部分を納得して受け入れるのに必要な判断の基礎となってくれる」(スーザン・ソンタグ著 同じ時のなかで 美についての議論 より抜粋)

現象を辿ると物事の相似にあたった。たとえば粘菌に観る繁殖の様は、衛生から送られてくる都市の画像のようにもみえる。紙パレットの上に拡げた油絵の具が弾かれる様は、顕微鏡で拡大されたウィルスのようだ、という具合に。そして更に、現象は目に見えるものに限らなかった。ヘーゲルの言う「日常的な意識の感覚的確信から発し、時空全体を見はらかす絶対知に至る意識への旅」のようなものが、目の前の極性をしばたき、まるで錯覚に落ち入るような、うらはらな現実を私に垣間見せる。

自分の簒奪さを自覚しながら恐れを無くして言えば、できることなら私は1000年先まで残る絵を描きたいと思っている。私は信仰心を持つ無宗教者だが、輪廻転生を想像し、何生も経て後世に生きる未来の私へ投げかける想いで絵画を制作している。1000年後、人は存在しているか。国や文化や芸術はどのような様になっているか。宇宙外の宇宙が発見され、さらなる時空に人は辿り着いているか。1000年後の次元に、二次元の中に描かれた三次元的現象絵画が美を保ち価値を放つ事ができるのか。或いはその表出の形を稚拙と捉えながらも、懐かしい感情を見出すのか。そして、若しくは今と殆ど変わらずにあるのか。分からない。
ただ私は、歴史や体験や経験を残す為の絵ではなく、今在る現象を描き残す事で、平面の可能性を未来に放ちたい。

ごとうなみ 美術家
1969年生まれ長野市在住
http://namigoto.com

2015 11/1~12/10 個展 @萱 by Blanc 坂井銘醸
2015 11/21~12/19 「紙と鉛筆」 @FFS_lounge gallery