空を飛ぶ夢

文 / 備仲臣道

 1.
 忌野清志郎は歌っている。

  夜から朝に変わるいつもの時間に
  世界はふと考え込んで朝日が出遅れた。(「Junp」)

 しかし、今朝のことは、どうも、そうではない。
目をさましてすぐに窓を開けると、空一面べたっとした灰色であった。いつもならば五メートルほど西のアパートの壁と白く塗った雨戸に、朝陽が反射してまぶしいほどなのに、今朝はそれがない。空気が重くよどんでいるようで、辺りにめりはりがないから気づいたのは、木々にも電柱にも、一つの影もないということである。空だっていろんな形の雲が浮かんで、曇りの日でも深みがあるのに、今朝はどこか平板で高さを感じられないように思われる。はじめのうちは雲が厚いのかと思ったけれど、そうではなくて、すぐ手の届くほどの上に蓋をされた気がする。このペンキを塗りたくったような空の下で、耐え難いほどの圧迫感はなんなのだろうと思った。
 朝八時過ぎになって、テレビのニュースは、政府が空を禁止したと一斉に報じた。センセーショナルにではなく、淡々と読み上げられるニュースは、むしろ不気味に迫ってくるものがあり、アナウンサーは一ヵ所をじっと見つめているようで、無表情を通り越して泥人形のようであった。
 あちこちから少しずつ伝わってきた情報によると、あまりに反対が多いことを予測した政府は、実施するきょうの朝まで、ことの一切を伏せて報道管制を敷き、時間を決めて一斉に報道させたということのようである。
 大メディアは、とっくから御用機関に成り下がっていたし、フェイスブックやツイッターでの、このことに関する情報は、書き込まれる端から消されている。この日本で、まさかそこまでという、民衆の常識と甘えを見事に踏みにじって、政府は独裁的強権を振り回しはじめたのであった。
 
こうして、私たち日本の民衆は空を失った。
 失ってしまったからには、人々は夢の中ででも、空を飛んで見せるしかないであろう。
 ごく最近の、高名な心理学者能見晋三の信ずべき調査によれば、空を飛ぶ夢を見ない人は少なく、その割合は一パーセントに満たない。そうして、人の性格がみんな違っているように、空の飛び方もまた多様である。
 あるセールスマンは、スーパー・マンのように、体を水平に伸ばして空を飛ぶと言った。八十キロをはるかに超えた、丸太棒のような巨体で──と思うと、本当かねと言いたくなるけれど、巨大な鉄の塊である旅客機が、やすやすと飛ぶことを考えれば、そうも言えない。
 彼は上に向かってジャンプし、三階から四階の高さを飛ぶ。降りたいところで足を下げれば、ゆっくりと降下するらしく、飛んでいるときはいつも感動している。
 ムササビのように、飛ぶというよりも跳ぶと言ったのは、版画を専攻している女子大生である。彼女の場合はビルからビルへ飛び移るのだが、一度落ちてもまた風を捕まえるというのは、不屈の闘志があるからなのだろうか。
 浮くのに近いというのは、文学研究者の女性で、体育館くらいの高さを、立ったり横になっていたり、下がってくると体が上がるように念じて、元の高さになるそうで、彼女の場合は、一晩のうちに場所が移動して、上がったり下がったりを繰り返すということである。
 夢がはじまると、すでに空の上にいるのは、女性雑誌の編集者であった。同じ高さを保っていたり下降はするけれど、上昇はしない。
 眼下に広がる山も海も、いつも明るくて、まるでジブリ映画に出てくるアニメーションである。一度などはタクシーに乗ったまま空を飛んだけれど、どんなときも楽しい気分はなく、アンニュイに満ちて、灰色だという。
 中年の俳人の場合、飛べそうな気になってくると腋の下がむずむずとして、肩が広がって盛り上がる感じになり、やがて肩が羽根と化し、肩甲骨も羽毛に覆われる。
 それなのに、この羽根が重くて自由が利かないから、しかたなく高い岩山の出鼻を蹴って舞い降りるのだが、地面すれすれを滑るように進んで、息苦しさが続くのだと、あまり楽しそうではない。
 大学で西洋美術史を専攻した六本木のサラリーマンは、自分の肩ほどの高さを、自転車に乗っている感じで、日常的な風景の中を歩いている人に混じって飛ぶ。空を飛べるのは、スポーツと同じに練習した成果として、体をうまく使っていることになるのだそうである。
 子どものころ、中学生くらいまでは空を飛ぶ夢をよく見たが、あるとき突然に見なくなった。そのときは「これでもう空を飛べなくなる」と話しながら、家に近いゆるい坂を小走りに走ってぴょんと飛び、地上三十センチほどを浮きながら進んで、もう、これだけしか飛べなくなったと言って目がさめた。これは、女性の画家から聞いた話である。
 四十年以上も前に数回、空を飛ぶ夢を見たきりなのは、管理職の教員で、透明な飛行機に乗っている感じで地上を俯瞰していた。そのとき、眼下に金色の水が落ちている滝を見たという。

2.
人は空を飛べるのだろうか。
 中島みゆきの「この空を飛べたら」という歌は、その想いを歌っている。そうして、この歌には、つぎのリフレーンがある。

 ああ人は昔々
 鳥だったかもしれないね
 こんなにも こんなにも
 空が恋しい

 暗い土に叩きつけられても、こりもせずに空を見ているのは、空が飛べたら消えたなにもかもが、帰ってくると信じているからにほかならない。この歌では、失われた恋、冷たくなったあの人が、帰ってくるのを願っているのであるが、しかし、恋や恋人の代わりに、それぞれのいろんな想いと置き換えて、人はこの歌に共感しているのであろう。
 昔は鳥だったものが、進化して人になったというのは、暗喩としてならいいとしても、素直には受け取れないところがある。それは進化論の生半可な知識が邪魔をしているからで、しかし、ダーウィンが言うように、動物がこんなにも都合よく、自分の願望どおりに変身することができるというのも、信じられないことである。この際、進化論のことは捨ててかかることにするけれど、それは進化論が神への冒涜だから、などと言うのではない。
 はっきりと言えば、神という存在はない、神を騙(かた)る人のみが存在するのである。しかも彼らは、あろうことか神の名において人を殺させようと、善良な民衆を戦争に駆り立てている。キリストと言おうとアッラーであろうと、それは同じことで、仏教がそうでないのは、ただ単に影響力がないというに過ぎない。今日、とりわけ日本の仏教は、人が死んだときにのみ生き生きとしていて、ありもしない「あの世」での安穏を質にとって、法外な金銭を踏んだくることに血道を上げている。
 ところで、宇宙から見た地球が蒼いというのは、二十世紀の宇宙飛行士の発見ではなくて、すでに西暦紀元前四世紀の『荘子』のはじめに書かれていたのである。『荘子』の逍遥遊篇冒頭には、大鵬という巨大な怪鳥が、九万里の空に駆け上ったとき、高みに広がる天空の深い蒼さは、それ自体の色か、天地の隔たりが限りないためかと、そこには書かれている。鬼才と言われた思想家の荘周は、見下ろした地上が蒼いということを、瞑想の中で見出したのに違いない。だから、いまの人間が文明だと信じているものは、なんだこの程度のものかと、見くびっていい存在に過ぎないのを、このことは教えている。たとえば、仙人の張柏端に、三千里を飛ばせて桂花の花見をさせた石川淳は、自身では自転車にも乗れなかったようである。どこにあっても技術よりも想像力のほうが先をゆくのであろう。
 人が自身の力で空を飛べないことは、言うも愚かしいほどはっきりとしてはいても、人が自由に空を飛びたいと思っているのは、多くの人が空を飛ぶ夢を見ていることによって、証明できる。それが心の中、夢の中の空においてであるのは、人はなにものにもとらわれることのない、自由な心になって、はじめて空を飛ぶことができるのだからである。
 したがって、中島みゆきの歌のように、人が鳥になるのも自由でなければいけない。権力者の薄汚れた手で、美しい心の中をかき回されない自由だって、私たちにはある。それであってはじめて、人は空を飛べるのである。

 3.
 人は空を飛べるのか。
十五年、もっと前のことであるが、いまでも時々思い出す。慶州の春の日であった。桜の花がはらはらと切りもなく散るその下で、髪も髭もまっ白な爺さんが、どんぶりのような銀色の器に白い酒を並々とついだのを、向こう側をつまんで口に持っていった。寄りかかる桜の幹は、それほどに太いものではなかったけれど、つぎからつぎへと散る花びらは、一枚一枚が陽の光をのせて、透き通るまでに白かった。器の中の酒は、あれが紛れもないマッコルリで、悠久の時が流れてゆくのにも、なんの惜しいところがあろうかという、爺さんの柔和な顔だちが、その場の空気を支配しているように思われた。
 あの爺さんのように、降りしきる春の陽の下で、時のたつのも構わずに、お酒が飲みたい。それもマッコルリが飲みたい。とろとろとした酔いのまわってくる頭の中には、いろんな楽しいことが浮かんできて、それがまだ消えないうちに、つぎが出てきて、そうして、なんの脈絡もないのに、つながったりもつれたり、苦かった昔のことだって、そこでは甘いものに変わってしまう。
 亀鶴斉寿、亀鶴斉寿と三遍唱えて、仙人は空を飛ぶのだという。飛んでいる仙人の姿は見えず、ただ足に履いている絹の沓だけが人の目に映るから、まあきれいな燕だこと、と言って佳人が微笑みをこぼすのだそうだ。けれども、何回唱えてみても空を飛べないのは、呪文のほかに印を結ばねばならないからで、その印がどういう形なのかは、その本には書いてなかった(石川淳「張柏端」)。仙人ではないこの身は、地上をはいずるしかないのだとあきらめるよりほかにないのだろうか。
人は空を飛べないから、その代わりにお酒を飲んで、快い気持ちのうちに、心を思い思いに飛ばして遊ばせるのではないか。
 朝鮮王朝の十九世紀には七十二種ものお酒があって、家庭によって、その家の秘伝というのもあり、酒造りは自由だったのだという(鄭大聲「朝鮮半島の食と酒」中公新書)。だから、人はそれぞれに自分の空を飛ぶことができたのである。いまも秘伝のお酒が手に入るとすれば、美しい景色に時のたつのを忘れたり、過去に戻って忌まわしい出来事を消してしまったりもできる。
 その自由な酒造りが二十世紀になって衰え、朝鮮の酒と言えばマッコルリだけと思われるようになったのは、日本の植民地支配による酒税法が原因なのだという。なんということであるか。その忌々しい酒税法が、いまも私たちを縛って止まない。どぶろくや葡萄酒を自製すれば、たちまちに小役人がきて持っていくし、下手をすればこの身も持っていかれる。新しい酒を発明すれば、追っかけるように新しい税が作られる。これでは私たちはいつまでたっても空を飛べない。

 4.

 このように、人は空を飛ぶことができる。
 脳科学者で医師、福家千三郎の研究結果では、人は夢を見ているときに、これは夢なのだと認識することができる。そうして、それが悪夢だったとき、なんらかの方法で目をさましてしまうことも可能であるという。
 一番有効な方法は大声を出すことであるが、夢の中では咽喉がふさがったようになっていて、なかなか声が出ない。やっと振り絞って出した声は、しばしば山犬の鳴くような叫びになって、周囲の者を目ざめさせてしまうのである。
 だから、人は空を飛ぶ夢を見ているとき、自分から目をさますならば、現(うつつ)の世界にあっても夢の続き、つまり、空を飛び続けられる、と考えるのは安易な発想ではない。
 あるとき、それに気づいた一人の青年が飛んで見せて、政府が民衆に禁じて、ペンキ塗りのトタン板のようにしてしまった空に、勢いよく体当たりを試みた。青年はその衝撃によって死んだ。
 空を失ってもまだ大丈夫と、人のいい民衆が考えているうちに、政府は矢継ぎ早にたたみかけてきた。鋭敏な感覚を持つ一部のインテリゲンツィアだけが、身に迫る危機を感じていた。忌野清志郎の手紙のように「地震のあとには戦争がやってくる」のだろうか。
 ある日、安保憲二首相は、満面の笑みをたたえてテレビに出演した。正午からの各局が競って放送した特別番組で、同時に新聞は号外を出して街中を散らかした。
 低い投票率で当選した国会議員は、民意を反映していないと、彼はまず言った。そうして、国会の解散と憲法の無効を宣言し、おのれを議長とする日本安全安心委員会が全権を掌握したと伝えた。
 略称をあんあん委員会というこの組織は、第一に原発ゼロを、声も高らかに宣言した。そのうえで、国民にも痛みを分かち合ってもらうと、毎夜十時以降を停電としたのである。さらに、月も星もない闇夜は危険であるから、良家の子女を守る名目で、厳重な警察の監視下に、十時過ぎの外出を一切禁止した。原発が止ったかどうかは、誰も知ることができない。
 ついで、あんあん委員会は、言論、出版、集会等一切の自由を、日本国民に保障すると言った。しかし、フェイスブックやツイッターでの政権批判でさえ、書き込む端から消されており、本を自由に作ることはできても、取次会社で押さえられて、それから先へ流通することはなかった。いろんな集会場、公園や広場は、申請書を出しても行政が使用許可を出さなくなっている。学問の自由を象徴する大学は、教育の機会均等を主張する国防軍の兵士や機動隊の警官でいっぱいで、学生のいる余地はなくなった。
 民衆はすべてを与えられたが、しかし、彼らはなにも持っていないという状態であった。
 こうなる前に、民衆にもがまんの限界が見えていたけれど、それより早く支配者の側は、これまでのようなやり方では、支配が貫けなくなっているのを知っていたのである。
 かつて、ヒトラーも羨んだと言われた隣保組の、相互に監視しあう仕組みが、いつの間にか復活していた。このときとばかり、国家のお先棒を担いで、これ見よがしに跳ね上がる無能力者たちが、肩で風を切って歩いた。

はじめ孤立しているかに見えた、空に体当たりした青年の死ではあったが、彼が強いて目をさましたときの山犬の叫びと、死に直面したときの悲鳴とによって、多くの人びとの眠っていた心が、激しく揺り起こされていたのである。
 ──政府の禁圧するところにしたがって、じっと耐えていることは、人間の心を持つ人間のすることではない!
 こうして日本のあちこちで、いろんな階層の民衆が空に駆けのぼり、われとわが身をぶつけた。それは、自然発生的に見えたけれど、実はあちこちにいる者たちによって、組織されたものであった。
 あんなにも頑丈に見えた空の蓋であったが、相次ぐ人々の体当たりによって、ほころびができはじめたかに見えた。が、しかし、あんあん委員会を形成しているファシストたちは、人の思想を禁圧できるのだから──現に空を禁じて以来、そのようにしてきたのだが──夢を見るのを禁ずることもできると確信した。
 そうして、民衆に夢を見ることを禁ずるという、勅令第一号を発した。

備仲臣道 Binnaka Shigemichi 1941~
韓国忠清南道大田生まれ 著述業
甲府第一高等学校卒 山梨時事新聞記者 月刊新山梨編集発行人
2006年、第6回内田百閒文学賞優秀賞受賞
著書 『蘇る朝鮮文化』(明石書店)『高句麗残照』(批評社)『司馬遼太郎と朝鮮』(批評社)『ある在朝日本人の生涯』(社会批評社)『内田百閒文学散歩』(皓星社・2013年8月)ほか5冊。
kazenonagune@yahoo.co.jp