《西のまちの話》《東のまちの話》

文 / 塚田辰樹

《西のまちの話》

 その団地は、昭和44年に建てられた、2階建てと1階建ての市営住宅で、壁面も錆びたりひびが入ったりと、リーズナブルな家賃に比例するかのような佇まいだった。
 団地には、周辺ではかなり有名な不良が住んでいた。小学生の時、鉄パイプをもった彼らに、テレカをカツアゲされそうになったことがある。本人たち、ましてや住居周辺には近づかないことが、友人同士の暗黙のルールであった。彼らの住居の軒先は、低木が茂り、派手なポスターが窓を覆い、数台の原付が止まっていた。そこに住む彼らを時折、興味本位に遠くから眺めた。爆音を立てながら原付を乗り回す様子を友人と眺め、誰某があいつの知り合いだの、誰某が捕まっただのと噂し合っていた。
 小学生の自分の視点ではその不良たちのせいで、その団地は柄の悪いイメージが強かった。しかし団地には不良こそ住んでいたが、小学校の友人も何人か住んでおり、頻繁に遊びに行くことがあった。団地というのは道や住居を画一的に整えており、時々自分がどこを歩いているのか迷うことがしばしばだったが、そんなときは、軒先の様子を記憶しておく。青いコテージを増築しているのが誰某の家。軒先の庭に黄色い手すりを拵え、菜園を作っているのが誰某の家。みんな軒先には特徴があったので、それを目指して遊びに出かけるのだった。
 現在、よくよく観察すればそんなに柄の悪い場所ではなく(そもそも勝手なイメージだったのだが)、近年の修繕工事も相まって、むしろ個性豊な軒先が多く、楽しい団地だと思うようになった。また、中国系の住人が多く移り住み、顔ぶれも豊かだ。
 生活者の個性が浮き彫りになる様子は様々だ。物置や物干し、テラスを増築する人。ただひたすらゴミを積み重ねる人、花壇をつくったり、彩り豊かに小さな菜園を作る人。巨大なパラボラアンテナを取り付ける人、家に似合わぬ高級車を横付けする人。中にはブドウを庭先で栽培する人までいる。
 団地というもの自体は平凡な間取りで、決して生活空間の豊かなつくりではないが、そのかわりにこの地域の大半の軒先には、実は多くの住人の「生活が見える」という特徴がある。もちろんカツアゲするような不良の生活ぶりなどは考慮に値しないが、それでも人間性が見え、人が生活している証拠を感じながら眺めることができる。

《東のまちの話》

 私の家の東側に、新興住宅街ができた。おしゃれでエコで機能的で、豊かな生活空間を演出できそうな、理想の家がたくさん建ち始めた。土地に利用価値を持たせるべく、高齢化で手付かずになるのを待つだけだった土地に、区画整理の手が入った。
 ただ、一軒一軒はとても個性的で美しくても、一歩離れるとまるで無個性で無機質な住宅街の姿だけが見える。分譲住宅は、隣に立つ家がほぼ同じような造りなので、何軒も画一的な道路整備、住居の建設を行えば、まるで団地である。そしてまち自体が、周辺の地域環境に馴染んでいる様には見えない。それは、分譲住宅というまちの仕組みに問題があるのだが、それ以上に、団地にあったような「生活が見える」という体験ができないからではないだろうか。軒先にはきれいに整えられた庭と子供の遊具、駐車場には磨かれた自動車が停めてあり、植物をイメージして造形された金属の表札は、どうやら流行っているようだ。いたって普通の家庭が想像できるが、押し並べてどの家も、これと同じような生活空間を整えているため、住人の人間性がみえてこない。
 分譲中の区画付近にはモデルルームがあり、その家の室内では演出のために、あえて遊具や家具を室内に揃えている。玄関前では旗がたなびき、メーカーの看板が設置されているものの、家の側面や裏手にまわってみても、モデルルームと実際の住居との区別がつかないことに驚いた。
 住人が意識的に求める住居への理想は、建設された住宅そのものが持つ個性で完結している。夢のマイホームである。だが私には、これほど閉塞感を覚える住宅街はない。

 私が見たいのは《西のまち》に見た、無意識に現れる住人の人間性なのだ。
せっかくの一軒家でありながら、ほぼ統一された敷地面積のなかに敷き詰められていては、隣り合う家々がどこか息苦しく、個々の住人の人間性が、まちの造りによって、個々の住居に埋没してしまっているのだ。
 本来、団地とは無機質で人間性の見えない住居。一軒家は家族全体の人間性の見え隠れするものという具合に、真逆になるはずである。《西のまち》が獲得したものは何だったのだろうか。
 一箇所に寄り集まってきた人間が、オリジナルな自分たちだけの空間と敷地を、一戸建てという形でそれぞれ手に入れること。それだけで、魅力的なまちづくりになるわけではないのだ。
 《西のまち》の団地の造りは無機質ながらもそれぞれの住人が、意図的でなく自然に軒先へ、人間性を表出してきたことが鍵だと思っている。この表出が、私は本当の意味での住居の個性となるものであると考える。新興住宅街が地域や景観に馴染むには、あるいは、おしゃれな一戸建ての集まる街として魅力的になってゆくには、多様な表出を認め合う雰囲気を作る必要がある。《西のまち》も、街の独特の生活環境を作るのに、しばらくの時間を要したかもしれない。
 《東のまち》にいつ表出が訪れるのか分からないが、その時が早く来るとよい。

塚田辰樹 tatsuki tsukada
1986年生まれ 長野県出身
印刷会社勤務(dtpオペレーター、dtpデザイナー)

2015 8/22~10/25 D15 @FFS_lounge gallery