未来道標

namigoto13

文・写真 / ごとうなみ

 昨日は大地震が来ると予言された日だった。そして今日も平穏にいられる。
 昨年秋から続いた息子の不登校は、春になり、山深い森の根元の融雪の速度で解けようとしている。冬山が晴れれば澄んだ空気が光を拡散し少しずつ幹を温めてほぐすように、太陽は知らず固まった息子の緊張の心体に、焦燥の罪悪感と闘う昼の間いくつもの問いを投げかけたに違いない。その問いに自身で幾度となく答えを出してきた彼が、ふいに「春」というきっかけをつかみ、冬の身の冷たさに気付いたのだろう。春は彼に選択を促し、環境を自ら整えさせた。彼の側で寄り添うこともできずただ闘う事しかできなかった私も、その春に救われたと思う。瞳に光がある息子の顔を久しぶりにみた。

 私は幼少の頃からずっと闘ってきたのだとその女性と話すうちに気づいたのは、久しぶりの再会を過ごすお好み焼き屋でのことだった。画業を志して以来、高く精神の拠り所を求めて40年を過ごす彼女の話を、出会って幾度か聴いている。私よりも十も年上の彼女の生き様が私の未来の延長線上にあるような気がして、尚更彼女の過ごした瞬間やら感覚やらの話へ自分を疑似体験させていたところもある。全体像の見えない暗中模索する日々の詳細なできごとを私は俯瞰しながら聴き、彼女の選択によって浮かび上がる人生の軌跡をなぞった。翌朝、彼女もまた闘い続けているのだと朝食を囲みながら思う。闘うことで自身を支えて来たのかもしれない。現実の節々に滲む彼女の感情の起伏はきっと激しいことだろう。団塊世代のただ中に女手でひとつで子を育て上げた環境には、表沙汰にはされない醜悪な男尊女卑があったことは、私にも想像できる。けれどその都度自身の感情を丁寧に救い上げ、自分以外の誰も傷つかない方法で処理しようとしている彼女の幼気な清貧さを、私は見過ごすことができない。「傷ついた自分を修復する手段に絵画や虫達があるかもしれない」と彼女は言う。十数年前に信州青木村にある小さな昆虫館を任されて以来ほぼ一人で膨大な資料を整理し、虫達を観察し、観察会や講演会などの企画を入れながら運営してきた。鬱蒼とした森の中に本当にひっそりと建つそこへ、私もこども達を連れて一度行ったことがある。その日はコンサートも開かれていて、夏の避暑に最適な気温の中、ロビーから聞こえてくる音楽を背後に展示されている資料の数々を見て回った。別室には彼女の描くドローイングが詩人田中清光の言葉と共に展示されていた。そこには、たったひとりの自分自身で在り続けることから目をそらさない証のような敏感な線が、画家の抽象をかたちづくっていた。世界に身を投じる彼女そのものが額装でまとめられていたが、森に蠢く虫達の気配と共鳴したその絵は、動いているかに視えた。いったいどれほどの悲しみや憎しみや恨みや悔いや懺悔が、この中に含まれているのだろう。説明のしようなどない個人的な刹那が、只管線の塊となって生まれたての脆弱を纏いながら目前にさらされている。彼女のドローイングを前にわたしは身動きが取れなかった。

 「(前略)館内に設置された大型のガラスケースに、ギフチョウの羽化が見られるように展示してあり、蛹から出てくる蝶、出たばかりの蝶の様子を食入るように見ていた私が居ました。羽化の様子や、立てた枝を伝って登り、翅を乾かし拡げて飛び立つ様子など、ケースの中の一部始終を記憶に任せて真似た次第。蛹を掌に載せて「先生、これがね、」と指を指した瞬間、目の前で瞬時に羽化。白川先生の瞳は大きく見開かれ、すっかり昆虫少年そのもの。その時に放蝶したチョウたちは桜並木に舞い上がり、1週間ほどのちに戻って来てたくさん小さな卵を産みました。卵は幼虫となり葉を食べ尽くし、食草ウスバサイシンの茎の先端にしがみついてひもじさを訴えるので、山を這いつくばって探すもそうはなく、アオイ系のものを採ってきて植えてはみたものの口に合わぬと。ようやくウスバサイシンを植えたのですが、時遅しだったのかさほど食べぬうちに大半がいなくなり。どこかで無事に蛹になって、自然羽化してくれるよう祈るばかり。わずか保護した蛹は今も寒い館内で越冬中。はたして4月中旬以降にいつものように羽化してくれるかどうか。厳寒の森でじっと春を待つ蛹たちを想いながら山の麓で過ごす冬。(中略)真っ暗になるまで外で遊ぶしか居る場もなかったとも言える時代、こどもは五感も六感も働かせて遊び呆けていました。季節ごとに蝶は舞い、暮れゆく蒼い空が次第に茜色になり、紫になり、金色の雲が黒くなっていくのを恐ろしげに見ながら、私の内にも物語は沢山生まれました。その日々が、のちのちにどれ程自分の情けなさや苦境を慰め、勇気をわかせてくれたことかと想います。そんな幼少期を過ごした世代は幸いかもしれません。」(信州昆虫資料館報No.13昆虫資料館の窓辺にて より抜粋)

 雨上がりの湿った森に、苔むした岩陰に、人間世界から紛れるように存在する虫たち。そんな小さな一生を彼女は何年も見続けている。虫達に向けるまなざしの先に、宇宙や自分を投影する瞬間は沢山あるだろう。大きさではない自分と同じ命としての重み。自然界の仕組みもその手に触れて感じ取る。「このところ弱っている蝶の幼虫が持ち込まれたので家に連れ帰り、一緒に過ごしています。毎日新鮮な食草を求めて奔走していますが、ちゃんと大きくなれば蛹になって越冬。来春は蝶になります。問題の前で逃げずに座り続けるのは時に消化不良を起こしますが、自然界のさまざまに助けられながら、一日一日生き終えることでひらけていく道もあるかもしれません。先日、昆虫館のある山の頂上まで登ってきました。青空に映える紅葉をかいくぐり、汗だくになっての眺望。降りて来たら心身すっきり。代謝がよくなって思考回路も流れはじめたとすれば結構単純な生き物で、心身まさに繋がっているなあと。少し自分が好きになりました。ゆっくりやっていきます。お米沢山貰いましたので今度娘のところに持参する時になみちゃんにも持参します。走ったり転んだり這い上がったり、生きるってそういうことのようです。」時折交わす彼女とのメールには生を達観する文脈が息づいている。月明かりのような彼女の存在は、樹陰に宿る価値を照らし出す光だ。

 久しぶりに受けたテストが思いのほか悪くなかったと照れた顔で息子が報告する。見てみるとほんとだ0点ではない。たとえ0点だとしても私は驚くどころか怒りもしなかっただろうが。夕飯を食べながら話しを聞けば、授業を受けた箇所の問題は空白ではなく何かしら答えが書かれてあった。残りの分からない記号問題は山勘を試したと言い、その見事な外れ具合にふたりで笑った。「勘は鍛えておかないとね」と母としての教訓を伝授する。それを受けた彼の嬉々とした声の抑揚が喜ばしい。そんな息子との会話にふと、私は自分の体とは闘っていないことを覚った。私は体を信じている。思考より身体の反応を優先する傾向がある。体の反応や反射は意思や努力でどうするものでもないから、まったくそれに任せている。これが私がほどんど風邪もひかない秘訣だとすれば、もう私は、自分自身とさえ闘わなくていいんじゃないだろうか。

野原未知画集 http://www.plnagano-kurita.co.jp/3syashinsyu/nohara.html
信州昆虫資料館 http://www13.plala.or.jp/kontyu/

ごとうなみ 美術家
1969年生まれ長野市在住
http://nami-goto.jimdo.com