胸の中が、こそばゆいというか、
心地良い締め付け感に襲われる。
みぞおちの少し上の辺り一帯の細胞を、
ストローで勢いよく吸われるような。
直後に、
目の下から鼻の奥ら辺りに、
内圧が上がるような違和感が続く。
そのうち、見えている景色の輪郭がぼやけ、
変に色鮮やかな、今までより強い色調の世界に変わっていく。
ここまで来ると私は、
ふと自分を落ち着けようと、深呼吸をし始める。
恰も、男がそれを人に見せてはならないように。
先日、仕事で東京まで行く用事があった。
毎度の事ながら「楽だし速いから新幹線で行こうか」とか、
「安いから高速バスにしようか」といろいろ考えるのだけど、
結局、練馬まで車で行き、そこから電車を使うのが通例だった。
日々、騒々しい子供達の中で暮らしているからか、
車で1人運転しながら思考を巡らすと
ほんの数時間だが、とても有意義で実のある時を得られるからだ。
何はともあれ、いつも
高速から練馬インターを降りて右手にある
西武線の石神井公園駅から電車に乗り、目的地に向かう。
ただ、向かう先は決まって池袋からの乗り換えが必要で、
私のような田舎者にとって、
池袋駅の複雑に入り組んだ構造は不便で仕方なかった。
だから今回は事前に、
もう少しいい経路は無いものかと探してみると、
都営大江戸線の“光が丘駅”というのが近くにあった。
そこで今回は別ルートを使ってみる事にした。
実際に、光が丘から乗ってみると
案の定、便利な事この上なく、
ただ乗っていれば目的地まで直行してくれる具合の良さだった。
「今度からはこの駅を使おう」と、
長いこと悶々としていた難しいパズルが解けたかのように
得意げに思う。
一通り用事を済ませて帰る頃には、すっかり日も暮れて、
電車は会社帰りのサラリーマンやOLで、きゅうきゅうにひしめき合っていた。
一心不乱に携帯を眺める人、
体をくの字に曲げながら本を読む人、
周りに押されながら知人と笑顔で会話する人など、
いやはや逞しいなと尊敬してしまう。
目のやり場に困って、
つり革広告を見ているのなんて私だけなんじゃないか。
顔のすぐ横に、見知らぬ人の呼吸を感じながら
こういった満員電車は何度経験しても慣れないなと愚痴をこぼしつつ、
車が停めてある光が丘の街に着いた。
車内の窮屈から解放されてほっとすると、
おもむろに空腹を感じ、そういえば昼頃食べたサンドイッチから
何も食べていなかったのを思い出した。
「駅の周りで何か食べていこうかな」
練馬インターはすぐだから
高速に乗ってサービスエリアで済ませても良かったのだけど、
それでは何か味気ないと思い、
どこにどんな店があるのかも全く分からずに
とりあえず、車の停めてある方向とは真逆に歩き始めた。
とはいえ、
こういう時ほど、入りたい食事処は見つからないものだ。
住宅地だから
ただでさえ食べ物屋が見つからないのに、
数十分歩いてやっと見つけた店も通り過ぎていく。
「ハンバーガー屋じゃなあ・・」
「このチェーン店、地元でもあるし」
そして、そのうち探すのが面倒になり、
30分くらい来たところで諦め、車へと引き返す事にした。
同じ道を戻るのはどこか癪に触るからと違う道を歩きながら
途中で見つけた自販機の前で立ち止まり、
コーンポタージュで空腹を紛らわせる。
空は月も無く、どんよりしている。
「俺ってこういう事多いよな」と自分にため息をついた。
それでも道すがら
知らない街の雰囲気を少しでも楽しむように、
ここに住む人たちを、半ば当然のように想像していた。
というのも、周りの街並を眺め歩きながら、
何百メートルにも渡って大規模な集合住宅が立ち並んでいる情景に
とかく光が丘の異質さを感じていたからだ。
コーンポタージュの残りを一気に頬張り、
謎を解く名探偵さながら、気持ち新たに歩き出す。
目の前には、
一棟に100世帯くらいは入るんじゃないかと思うような巨大な建物がいくつも建ち並び、
大きな公園や総合病院まで隣接している。
途中に見つけた住宅地図の立ち看板を見ると、
小学校や中学校が目と鼻の先ほどの間隔で
街の中に幾つも乱立していた。
「そうか、ここは計画都市ってやつか」
都会の暮らしと縁のなかった私にとって、
光が丘のような計画的に作られた、
加えて特大の街はかなり新鮮だった。
ちょうど街の中央には、地面より一段高く
幅30メートルほどのだだっ広い遊歩道がずっと続いており、
そこから公園や病院、集合住宅へと繋がっている。
そしてこの道はどうやら、
光が丘駅まで続いてるようだった。
「テーマパークみたい」
机の上で考えられた街だとしても
ここまで壮大なスケールに、ある種の感動すら覚える。
言っては失礼だが、
こんな蜂の巣みたいな環境に住む人ってどんなだろうと
異国へ来た旅人の如く、好奇心に駆られた。
遊歩道を進んでいくと、ふっと眼下に
高層住宅群の狭間で木々が茂るオアシスのような公園を目にする。
そこに目を向けると、
若者達がスケボーで飛び跳ねたり木陰のベンチで肩を寄せ合っている。
薄暗くて顔は見て取れないが、
仕草や声のトーンからして中高生くらいだろう。
それを見て急に、
寸刻まで浮世離れした空間をイメージしていた私は、
生々しい現実の世界に引き戻された。
「生活、してるんだよね」
その瞬間から妙な好奇心は消え、
より身近で肯定的な想像に身を委ねる。
もしかしたら、
まるで兄弟みたいに何年もずっと一緒に遊んでる友達とか、
「あいつ、今度引っ越すんだって」とか、
B12の○○君とD5の○○さんが付き合ってるとか、
「とうとう結婚だってよ」とか。
光が丘で営まれているかもしれない命のふれあいを、
勝手にもほどがある程
いくつもの人模様を頭に描く。
すぐ脇にあったベンチに座り、
夜のオアシスを眺めながら、自分の過去と重ねていた。
恥ずかしいかな、
気になっていた女の子を初めて映画館に誘い、
その夜の帰りに、公園のベンチで振られたこと。
酒に酔いながら走り回って馬鹿笑いし、
芝の上に倒れて夜風を感じたこと。
「よく親に叱られたもんな」
そこでハッと気付く。
あ、そうか、
自分の子供達もこうやって青春を謳歌するのか。
何事にも代え難い息子や娘の未来を想像するうち、
いい思い出と思っていた我が身にどこか気まずさを覚えて、
一刻も早く家に帰りたくなった。
そこからは脇見もせず自然と足早に歩いていた。
やっとのことで車まで辿り着き、
エンジンを掛けながら思う。
我が子を叱るこの頃の自分の姿に
滑稽さを感じずには居られなかったのだ。
伝えなきゃいけない事は、杓子定規な言葉じゃなくて、
そういう事だったよね。
最近、もうすぐ3歳の息子が、
私のあぐらの上にちょこんと座るのが愛おしくてたまらない。
恰もそこが自分の特等席のように。
30年以上も前の、私の朧げな記憶の中にも、
野球を見ながら酒を飲む親父の懐に入り込んでいた温もりが残っている。
印刷屋をしていた親父のインクの匂い。
「無事に帰ろう」
確かめるようにシートベルトに手を回した。