namigoto11

文・写真 / ごとうなみ

反映

若しくは憑以かもしれない。察する以上の自然さを持って成る同期。説明の余地のない同調が瞬間にシンクロして言動の表層を纏う。振動と波動の関係の輪が在り関わりを持つことで互いを際立たせている。同期する現象は関係性を時に崩しながらも救っていることに気付く者は少ない。去った後、もしくは逝った後の実感とともに過去を振り返り体内の理屈と合致するのかもしれない、まるで鏡だと。反射神経の無自覚さで同期する早さ むしろそれ以上。これは己の素質なのだからこの先もこの行為を繰り返し憑以し同期しそれによる己の身体の疲弊は性となって受け入れることを繰り返しながら都度新しい軀に成り代わりこれからも続くまで生きていくのだ。それぞれの性を抱きしめるか消し去るか手放すか或は諦めるかは些細な味と成り 生に春の彩りを加える。微細な違いこそ満面の笑みに付属する黒子の可愛さであり、その苦悩にとらわれる人間もまた広大な暗黒の中で黒子のような儚さを放っていく。現象を残す美しさを求めた意識はこういった憑以する己の性を受け入れる為の経緯なのだろうか。対峙する者の否応無い辛辣な感応にもその心底には救いが在ることを昇華する作品にたとえたいと、無意識にかたちにしているのかもしれない。性質を繰り返すのみの生には関わりを持つことで適応する力が派生していく。接すれば感じる。それが深ければ尚更に救う。役割の全うをもって互いの性も全うする。人物との関わりを終えるような節目に支流のような現象が表れ精霊流しのようなたゆたゆさで過ぎていくのを受け入れるように眺めていく。現象と行為の模索は、性差や巨小の相似や相反する性質の物が関わり合う様を静観する行為をもってひとつと成り得るのかもしれない。それをひとつとするまで繰り返される望みも現象に飲み込まれ、含まれる呼吸に生まれ変る愛の貌に。

帰結

だから私は頓挫し決着がつかないあなたの性にどこまでも反映するの。触れられることのできる体温を保っている間にできることは限られている。その味を尽くすのも限りのあるものだけ。関わりを科学的に説明をする必然が在るようにあなたの半ば手放そうとしている執着というロマンティックをその口で滔々と問う必要があるでしょ。日々日常の常々にまどろっこしい単位がつけられているのは 誰もがそれと認識できるようにするためだけであって、あなたが存在する理由を説明するためにはない。冬の柳は寒々しいと自転車にまたがった夜に見上げる。昨日の湯船に石けんを浮かべて白濁した底の見えない深淵に足を伸ばしたいと願う。隣近所が噂をしているあの子とあの子とあの子は尾ひれはひれがつきまくり頭の中で形相が凄まじい。そんな幻影を実しやかに連ねられた小さな可愛い世界をコロンとさいころのように転がしてみる。そんな器用な芸をわたしたちはなんなく日々やってのけている。日が暮れるころ幼子が夕泣きをすれば唄でもうたって紛らわす。こたつに入ったつま先がトントンと叩けば機転を利かせて仰け反ってみせる。ピエロみたいなまるでない自分が私を支えているのを知って納得するとまた明るい明日がやってくるものなのよ。そうして自転しながら少し傾いていることがやり過ごすコツだとわたしたちはどこかで分かっている。形は変化してその過程に悲しみの罠があるけれど月の満ち欠けとまるで変らない目の前の出来事を掬いとって別の水たまりをつくっていくと、粘菌が繁殖するような生命力で地球は回るのよ。そういう様々な極小な出来事が愛の貌に生まれ変わるのを何千年も手に触れながらわたしたちは実感して来たのだから。

適応

藝術が担う役割は時代に反映されている。地殻変動や自然災害が連続する昨今。地球が解毒する為に行う事象で、あらゆるものが自然淘汰されていく。そんな時代に私は生きている。いつどこでどんなことが起きようと生命のからくりから外れようは無いが、私という個体はいずれ消える。死を目の当たりにした時、生に執着する事は生命に与えられた義務だと思うが、その義務を都度行っていく事が現在に生きるものたちの役割なのだろうと、台所に立ちながら今朝観じた。解毒さるたび激震が走る地球の大地に対する適応力は、恐怖心の中には無い。恐怖心は個の執着から生まれるが個に執着しなければ私達はいつでも平穏を体現できるかもしれない。個でありながら個に固執しない方法を藝術が表す。何を、どう表すかは知れない。制作者はわからなくて良いのかもしれない。いちいちと日々を刻む瞬に楽しさを享受する手段を美術は示しており、制作から生まれる集中は平安と同義に在る。何を描くかなど儚い目標に過ぎない。何に突き動かされ何をしているのか分からないままでも居られるような、自分の不安を自覚し通過させ平安に焦点を当てていくことが、自分より以降次の生命の適応力を育む重要な要素であることに、私の確信は揺るぎない。だからまず自分がそうでありたい。巨大と微小を行き来する現象となり、すべての行為の裏腹にも生き続ける。私のこどもたちにも、これは身を以て伝えておきたい。

ごとうなみ 美術家
1969年生まれ長野市在住
http://nami-goto.jimdo.com

Nagano Art File 2014『ART FOR SALE展』2014年11月29日〜12月20日 FLATFILE
鬱間主観2014 2014年12月27日〜2015年1月 FLATFILESLASH