雨ニモマケズ、カミソリニハマケル

文 / 今井あみ

 覚えたのは小学校1年生の頃、私の学校では全校生徒が宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を暗記し校長室へ発表しに行き、クリアすると紙切れ(どんなものか覚えていないけど)がもらえた。その紙切れの内容は通うごとに違うものに変わっていく。それを楽しみに、習っていない漢字にはふりがなをふって読み、言葉の意味も分からずとも、夢中で暗記しては校長室へ発表しに行った。「でくのぼうと呼ばれ・・」の、でくのぼうってなんだ?大きくて白くて3mくらいあるパンパンに太ったトロールみたいな妖怪っぽいのを想像していた。10年以上経った今でも全て暗記できているのには自分でもびっくりする。未だに詩の意味を掴めたわけではないけれど、掴もうと試みたわけでもないけれど、多分私はこの詩を一生覚えているんだと思う。

 なぜ、色んな事柄を記憶する必要があるのか。
学校のテストは、持ち込み禁止だし、カンニングペーパーだってもちろんダメ。
テストは、そういうルールがあるから色んな事柄を覚えていかないと、武器がない状態で戦うことになる。
そういうルールがあるとき以外は、百科事典でも持ち歩けば無理に記憶しなくたっていいじゃないか。

 人の脳のデータ容量は、メモリーカードで例えると何メガバイトなのだろう。果たしてどのくらいの情報を覚えることができるのだろうか。弁護士さんは、六法全書をほとんど覚えていると聞いた事があるけど、あんなに分厚い本の内容をほとんど覚えたら、耳の穴から情報がこぼれ落ちちゃうんじゃないかと心配になる。
 機械関係に疎い私はメガバイトとは、どの位のデータ容量なのか分かっていないのだけど、データ容量対決、人間の脳VSメモリーカードだと、どちらが勝つのだろうか。保存機能以外にも焦点を当てたら、人間の脳の方がメモリーカードよりも出来る事が山ほどあると思う。なので、総合的な勝利は人間の脳だと思うんだけど、情報の記憶に関してのみならば、メモリーカードの方が優秀なんじゃないか。という疑念を抱いていても学生だった私は持ち込み禁止のルールの中で生きていたので、色んな事柄を覚えた。私は、”覚える意味はこう!だから、メモリーカードじゃなくて自分の頭で覚えるんだ”という腑に落ちる理由がないと、ムズムズする人種だったので、脳に記憶する意味を自分なりに見いだしていった。
 例えば38人がおんなじ国語の授業を受けたとしても、一人一人まるっきしおんなじデータで頭に保存している訳ではないだろう。それぞれオリジナルに取捨選択して記憶していく。それと一緒にそのときの感情とか想いも記憶されていく。それは、持ち歩くのに重たくない「自分オリジナルの辞書」みたいに。いつなんどきにも持ち歩いたり、莫大な量の記憶から、スッと目的のデータにたどりつく。あのときに似た感情になったとき、あのときと同じにおいなどで、情報を思い出す事もできる。脳は自分の中にあるから荷物にならない。「自分オリジナルの辞書」ってことで、ようやく腑に落ちた私でした。
  補足  この「自分オリジナルの辞書」、削除するのは苦手みたい。書き換えたり、新たに付け加えることは出来るのだが、必要ないと思って削除しようと思う項目を消そうとすればするほど、余計に削除できない風にできていた。

 仕事ができる!とは、何だろうか。
仕事だから割り切るだとか、仕事なんだからで果たしてどれ程のことが許されるのだろうか。
極端な架空の話として、それが仕事ならば100人が泣くはめになっても、1人を救うってことがありえるのだろう。仕事の内容によってもずいぶん変わるんだろうけど。

 では仮に、仕事の内容が同じだった場合、行う事柄は同じでも、一人一人が自分の「ポリシー」の元に動いているだろう。その「ポリシー」は、みんなが同じ方向を向いているのであるならばぶつからないのかもしれないけど、同じじゃないからぶつかる。でも、同じだったらなんかヤバそう。なんかヤバそうっていうのは、なんとなくロボット的で怖いという気持ちと、説明しきれない気持ち悪い感じがする。
 壊しては積み、また破壊してきた自分のポリシーがあるように、相手にもきっと、壊しては積み、また破壊してきたポリシーがある。それを感じるだけで少し腑に落ちる。

 カミソリで膝小僧をやってしまったから、バンソーコーを貼って学校へ行った。
「あみ、カミソリ負け?」と、好きな子に聞かれる。
嬉しいやら、恥ずかしいやら。
だって、カミソリで膝小僧をやっちゃったのは、毛の処理をしたから。
制服のスカートから出る膝小僧くらいはつるつるでいたいじゃない。
毛の処理をしてるってことが、ばれた・・?ってことは、膝小僧に毛があるってこともばれた?
恥ずかしい。恥ずかしいよ。

でも・・・気づかれないよりも、ずっと嬉しい。

 大人になって、久しぶりに膝小僧をカミソリでやってしまった朝、そんなことを思い出して、別にもう血は止まっているのにバンソーコーを貼ってみた。

今井あみ Ami IMAI
1990年長野市生まれ
表現する人/社会人
2013 長野商工会議所だより 表紙担当
2014 N−ART展2014 ガレリア表参道
2014 Nagano Art File 2014『ART FOR SALE展』 FLATFILE(予定)
2014 小布施しんきんギャラリー展示 小布施(予定)
imaiami1990@gmail.com