文 / 町田哲也
雪融けだったか梅雨の後先だったか泥濘の所々に水溜りがありそればかりを好んで股を広げ飛び跳ねては踵で踏み込み、深く削られた轍の泥穴に長靴を残したまま足首だけがすっぽり抜けると背後でげらげらと笑いが立った。路傍の繁みから毟り千切った枝の軸だけ残し余計を払い、気に入らなければぽいと棄てて繰り返し撓る鞭をこしらえ手に振ってひゅうひゅう唸らせ足元の空を切り歩む道草には、汚い野良犬が彷徨き運動靴で奴らの糞を踏んでしまうと終日指を差され陰口がたわいもなく表に開き泣く子供も珍しくない。蓋し泣いた子は翌日には洗い流された靴の裏を見せてあっさりと笑っている。帰り道の土路には盛り上がった馬糞があり、温かいうちに素足で踏めば馬のように速く走ることができる。夕焼けの向こうにまだ荷を轢いた馬尻の見える垂らしたばかりの湯気のあがるモノに、白い鼻水を垂らした年上が、物知りの表情でこちらを促しながら裸足になり、鼻をつまんで神妙な餅搗きの音をぺたぺたさせて足踏みをし糞を捏ねると、臭みが広がり目玉にしみる。土路脇の細い用水路で馬に染まった足首を洗い流す年上は効果はつづくと教える。犬より馬のほうが神々しいから幾度か繊維質な糞に近寄ったが素足で餅搗きをした記憶はない。子供らは等しく草臥れ汚れた服装をして年上は年下を労った。山寺の園に通う石段をのぼる記憶は鮮明だが下り降りる景色は失せている。土地に新参不慣れなまだ若いふた親は共稼ぎだったから、此処で産まれ育つ息子は独りで土尻という川の脇の借家の庭に、親たちが気味悪がるほど延々と小さな泥穴を幾つも掘り、縁側にカエルの卵を持ち帰れば怒鳴られて棄てられ、部屋の中では厭きもせず積み木をしていた。趣味なのか気まぐれなのか、おそらく十五歳の差がある父親代わりの長兄の影響もあったかもしれない時代の流れに逆らわない父親が、撮影して遺した当時の白黒写真にはその様子が鮮明に写されていて、子は成長の過程、その絵によって幾度も記憶の硬化を促されている。およそ二十年後記憶を確かめる為に、取ったばかりの免許の車でこの辺りだと辿ってみると、当時の借家はまだ残されていた。全てがスケールダウンしている。腰を落とし幼子の視線の高さでようやく符合する景色が幾つかあったが、小さな瞼には水平に広がっていた場所のパースペクティブが、本来は寧ろ谷の垂直が視野に迫る形であると判り以降予想した以上に閉塞した場所となって認識は上書きされた。
留守と子供の世話を任された家政婦は、彼女にとっても慣れない仕事だったのだろう、責任を大きく抱え過ぎた厳しさと緊張の幼子を見張る目付きで、あの時代の土地にしてみれば不相応な給金で勤め、幼子が初老になるまで記憶の中では時折疎まれる仇となった。物心を展く幼子にしてみればあれは駄目これも駄目と、子供に何かあったら申し訳が立たない家政婦は否定を繰り返し、叱りの反復を共有せざるを得ない、行動を制限される時間ばかりが三つ子の魂に擦り込まれ、不信が深く幼子には根を張った。けれども子供は臆することもなく家を抜け出し年上に誘われて橇で雪坂を転げ落ち森に入り川に挟まって流れない馬の死骸に石を投げていた。家の外は過保護という高度成長が届く以前の世界だったことで精神の病にまでは至らなかったようだ。山村としては珍しい映画館があり休日には父親が子供を連れて西部劇ばかりを観た。成長期の核家族の稼ぎは目に見えて豊かになり、おそらく村の運動会に普段は着ることなどない綺麗なお出掛けの格好で独り校庭に踞っている写真があり、他の子供は二人組になった踊りの途中とみえる。クスクス皆に笑われていたが本人は憮然とその理由がわからない。若い女性教師が飛び入りして子供の相手となった。あの時の妙に馴れ馴れしく近寄り過ぎた女性教師の貌と違和感とわだかまりはなぜかくっきりと憶いだすことができる。村に一軒だけあったおもちゃ屋に置かれた眩しいような金属の塊を幾度か強請ったが、ふた親は息子に買い与えることをしなかった。玄関に立った物乞いに家政婦が何かを与えて追い払う様子を襖の脇からみつめていると、振り返った家政婦は乞食に向けたものと同じ表情をこちらへ投げてなにかを叱りつける。幼子は黙して静かに積み木に戻り家政婦にとっては乞食と自分は同じモノなのだと思ったものだ。風呂の蛇口を銜えて奥歯が挟まり抜けなくなって呻き泣く、歩きはじめた程の下の娘を助ける為に、蚊帳の中ぷうとピースの煙を吐いてプロレス中継を観ていた父親は風呂場に走り込み、強引に娘の口を捻ると生えたばかりの奥歯が容易く捥げた。独り残された五歳の息子は村医者に走ったままなかなか戻らないふた親とだらだら口から血を流した妹を、眠らず何もせずに深夜迄暗闇の蚊帳の中で座り込み、ただ只管にじっと待っていた。
懐かしさなど無いのに随分と長いあいだ喪失していた響きのある「木通を」という呟きを瞑った目玉の奥で、その音なのか不確かな形象からなのか、唐突に放った声主の性別と齢を計り兼ねて、確かに聴こえたのかむしろ文字を浮かべたのか、そういえば項垂れたまま怠い眠りの中にいることに気づくというより憶いだすかの不自然さで、重なったイメージの影の文脈から響きの再生を試みるがまだまだ睡いので瞼は重い。
ノヴェンヴァステップ ・ ・ サウザンドステップ ・ ・ ・ コールドステップ と「音もなく」叫ぶ鞭のような四肢だが表情は隠された三人の女が踊るラジオ体操を間近で膝を抱えて座りぽかんと顎を落とし茫然と眺めている無邪気の継続と、誰とも何ともわからない事々に追いつめられては無闇に逃走する他者の軀と、ヒステリックな喚きの直中ひっそりと半透明の影のように密やかに歩む老成の体感が、短くナラティブに完結しつつ縦に寄り合って繰り返された既視感が泡となって膨れる。それぞれの感覚を裂いて宙に浮いた自身の行方の訝しさに対し、聴こえたものが見えず聴こえないものが浮かぶ白い夢の混濁から躍り出る矯正の軸をシフトしてまでその生暖かい泥炭を洗い流し探求する、あるいは遊ぶような気持ちなどは萎えている。幾度となく繰り返した物語と感じ取りながら、頓挫と不履行の経験のトートロジーの変容とも思える。軀の輪郭を体感として取り戻す前に再びステップスの残響景へ反復へ沈み込んで仕舞いたい。思念を他人の腹に飲み込ませるかに放り投げたつもりの内で、指先や腰まわりや爪先や膝などが体温を測るように呻きはじめ股間にも重怠く面倒くさい血が集まる。鈍重にゆっくりとしずかにとまたものを数えるかに顳顬にいらぬ余計とおもわれる光が「じっと待っていた」かのように集まり子供の頃の体感が不思議なリアルティーを保って巡ることがある。夢は記憶と混じり合うことはないが記憶の些細な部分を撫でるようにして今に細く繋がる意識の系を剥き出しにして顕すのかもしれない。睡りの痺れが失せると夢の輪郭はやがて融けていく。同時に過去があの時の血流の反復脈動をはじめるようだった。
前夜の酒の席で秘密などは何処にも無いと声にしてから自らが産まれ落ちてからの意識の濁流に実存の核があり、それは些末などこにでも転がっている出来事の集積であって、癖のような固有ゆえのバイアスもある、但しそれだけが死の床まで継続するわけのわからない秘密めいた流れそのものであり、繰り返し辿る度にニュアンスの変位や強弱と解釈の揺らぎに呆れるしかないと判っている。潰れ融けた酒まみれの頭のどこかで、つまらないことから逃げられないと呟いていた。
自らを制御できない燥ぎの力がぷつんと途絶え、宛らバッテリーが切れ、崩れたままの姿態で発熱しながら深い眠りの、病のような静止に囚われた娘たちをつくづく野生の命のかたちだ。羨ましく長々とみつめてから横たわり、闇に逆らうつもりもないが目付きを尖らせては起き上がり台所の下に残された料理酒を漁って煽っていた。まだ父親に成りきれない四十手前だった。それでも日々に追われ翌日が切迫していることが辛うじて取り繕う程度の睡りを呼んだ。辿り着けない癖に一度光を失えば昏々と半日以上眠り続けることもあった。不規則不眠を病と思わずに刻んだ短い眠りに意識も軀も預けたつもりはない。時折不摂生の反動の、代謝も失せた深い眠りには光が届く筈が無く夢など運ばれない。目覚める間際の瞑った目玉が痙攣する、モノを見る以前の瞬きの放電の短さで明滅する出鱈目な光景のほとんどは、蓄積されて捏造される黙示などにはならず、意識が軀にリセットされた途端に喪失する類いであったから取り憑くことも縛られることもない。併し十年二十年と時を越えて繰り返される明滅にはふいに象徴が示され、時に繰り返される固有名となり時に何者かによってそれが囁かれた。仄かな声が残る目覚め時に、眠っているところを正に「寝首を掻かれる」こともあるだろう。根拠無く浮かんだりもした。魂を軀から開く方法ではなく、置き方によって魂は現れるのだとレセプターの仕立てを楽観する個人的な思索の時期に、おそらく代謝と健やかな眠りで消尽する筈のものが燃え残って燻り未消化が菌糸となって巣食い神経かなにかに繁茂した。「ただじっと待っていた」子の父親と同じ世代の時を、子供の体感と老いの眺めが見上げつつ見下ろす不具合でみつめると、世代や親や子や立場や頓着や誤解や迷い、景なども元々の在り何処から乖離しランダムに入れ替わって癒着する。すると妙なことに、ああようやく、草叢に寝転んでこのまま逝ってしまっていいと思えるような微睡みを得て、今度こそ深く眠りたいと願うのだった。
川縁でゴム動力で動く舟を並べて座り尻を濡らし短い距離をそれでも尖った木片が流れに逆らって進むのを夕陽の反射の中みつめ。膝小僧に擂り潰された草色を指で撫でるとズボンの中の瘡蓋が剥がれた。大雨の下流域では氾濫して浸水被害もあり幼子も流されたが普段は何気ない遊び場にすぎない小さな川の縁に沿って上流へのぼり、雷に焼かれて枯れた樹の空洞で遊び、転がり落ちれば危なかった崖などを伝い歩いてまた川縁に戻っていた。
植生の変位を辿るかの旅程窓に厭きもせず額を傾け吐息の曇りを拭っては暗闇でも風雨でも眺めつづけ腹も減らなかった。二、三時間に一度ほどの頻度のサービスエリアでの休憩で気象や大気の変化を確認するように胸で大きく呼吸して、他の乗客より先に自分の席へ戻り同じ姿勢に戻ってはうつらうつらと眠気に誘われるに任せる。気づけば瞼が開いて意識より先立ってゆっくり過ぎて行く景色をみつめていた弱い徒労感が目元にある。東へ進んでから北へ乗り換え荷もないような気楽な格好で無計画にどこか北の山か森でも歩こうとだけ決めていた。
最早記憶でもなく夢の中というよりあの世とも云える。
町田哲也 Tetsuya Machida 1958年長野市生まれ
藝術と思想
ブランチング企画責任 クマサ計画主催
iam@machidatetsuya.com
枝間ノ闇
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Nagano Art File 2014『ART FOR SALE展』2014年11月29日〜12月20日 FLATFILE
鬱間主観2014 2014年12月27日〜2015年1月 FLATFILESLASH
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