持病昔話

文 / 船橋小夜子

物心ついたときから、布団に入ってから5時間くらいは寝付けなかった。朝は目覚ましの音も、隣で寝ていた家族が起きる音も、何もかも全く聞こえない。起きられないのが怖くて、また、眠れない。
まさしく、睡眠のコントロールができない筋金入りの睡眠障害だった。

幼い頃の眠れない5時間は、当然暇である。
テレビは確か20時か21時までと決められていて、眠くなくても布団に入れられていた。
父の転勤で青森県内を何箇所かまわったが、どの社宅も居間と寝室が襖1枚だったので、布団に入っている間も頭上でテレビの音がガヤガヤと聞こえてくる。気になるのと、眠れないのにテレビも見られないことに腹が立つのとで、余計に眠れない。まあ、テレビを見たところで眠れたかどうかは分からないが。
襖を気付かれない程度に開けて見ようとしたが、気付かれてしまい、ちょうどその場所に座椅子を置かれてしまった。
いつもの手法で襖を少しだけ開け、耳をそば立てて聞いていても、映像は座椅子の生地のアップに取って替えられた。これでは肝心な情報が抜けた虫食いラジオである。ので、諦めた。

そのうち、テレビに替わるいくつかのエンターテイメントを自分に与えるようになった
それは日替わりランチのように選べるシステムで、今日は○○コース、となどと呼んでいた。

その一つが、泣き泣きコース(ネーミングが単純すぎて可愛らしいじゃないですか)。
泣くと疲れて眠るのではと考え、女優のように悲しいことを思い出し、泣いた。例えば誰かが亡くなったなど。今思うと凄い才能だなと思うのだが、少しずつ涙を出そうと頑張ると、そのうち何だか物凄く悲しくなってボロボロ泣けた。
コースのうちの一つに入るくらいなのだから、多分それで何回も眠れたのだろう。

別のコースは、名前は忘れたが、毛布やタオルケットにプリントされた模様の中に空想で入り込み、遊ぶコース。たぶんこれがメインで使われていたようだ。
知っている人がどのぐらいいるか分からないが、NHKのテレビ番組「みんなの歌」で放送されていた『メトロポリタンミュージアム』の歌中にある、<大好きな絵の中に閉じ込められた>という末恐ろしい歌詞に感化されたと思われる。
私に充てがわれていた薄ピンク色の毛布には、可愛らしいタッチの動物がペールトーンで描かれていた。マンションのようにそれぞれの部屋があり、思い思いの暮らしをしている人間風の服を着た豚などの異なる種類の動物が計4匹いて、各部屋に遊びに行くというもの。つまり、毛布の中に自分が入り込むということである。
動物たちと何を話したのかは覚えていない。そして何故か4匹のうち豚しか覚えていない。

また、コース外になるが、たまに身体に変な感覚が訪れるときがあって、それが金縛りのように(未経験ですが)不快なので、それを解除するのに時間を使った。
気持ち的には爆弾処理班のそれである。かなりの神経を要する。
変な感覚、とは、指を曲げたり伸ばしたりすると、皮膚の感覚がなくなって、骨だけになっている、というもの。
指を擦り合わせると、冷たくて筋が張ったような、金属でできた骨がむくんでいるようだった。
解除と言っても、指と感覚を極度に刺激しないように、絶妙なバランスを保ち、過ぎ去るのを待つだけなのだが。

高校生の時分には、私は“バスを追いかける人”として知られていた。理由は勿論、起きられずバスの時刻に間に合わないからである。
家から坂を下った両左右の道沿いにバス停があり、それぞれ歩いて5分もない距離だったので、どちらも使っていた。
時刻ギリギリに家を出るので、その坂を下ったところが勝負だ。バスの姿を確認し、どちらのバス停へ行くか瞬時に判断を下す。この決断がすべての鍵(遅刻を免れる)を握っている。
向かって左側のバス停を振り返り、絶対に逃してはならないバスの姿を確認すると、向かって右側の次のバス停まで、全力で走る。暫しバスと人間とのスピード勝負だ。間一髪でバスへ乗り込む。私は陸上部だったので、自主的な朝練だ。
同じバスに乗っていた弟の友人が見ていたとのことで、恥ずかしいから止めろと弟にいつも咎められていた。

働き出してからは、たまに一睡もしないまま、一人オールでハイテンション(心の中でだけ)で仕事をこなしたことも幾度となくある。
当日は18時あたりからキツイものの、テンションで乗り切れるのだが、次の日が尋常じゃなく辛い。身体も頭も重く、機能しないまま働く羽目になる。
副作用のあるあたりが違法ドラッグのようだ(もちろん未経験です)。薬をやろうとする人がいたら、こちらのほうが無料でできるのでオススメすることにする。

様々な工夫をして睡眠障害と仲良くしてきた私も、今は大分快方に向かっている。が、油断は禁物だ。
気を抜くと、また遊ぼうとやってくるのだ、あの面倒な友達は。

船橋小夜子 Sayoko Funabashi
クリエイター
1984 青森県八戸市生まれ
2009 桑沢デザイン研究所 卒業
モバイルサイトデザインを経て呉服店勤務を経てフリーター
funabashi335@gmail.com