何も変わらない

4Q0C4686
文 / 納和也 (写真 / 町田哲也)

物が壊れた、物の機能がなくなり捨てるのか?物そのものは何も変わらない。こちらが変わっただけなのが大きな原因だと。人は裏切られるが物は裏切らない。そんな事を云う人がいる。どちらかと言えば物に裏切られる事が多いはずだ。今自分が居る此処は単なる幻想、時系列に話してもそれは物の大きな裏切りを受け止めて怯えている自分。他の人が見たらその物は必要だからと。中古品屋へ持ち込む物。こちらの期待を裏切ってやたら高値の場合もある。その反対にこちらが大きな価値を持って泣く泣く売るとただ同然。過去の記憶に縛られているのが人間なのだろう。単に物を見つめて見えなくなったりもする。それが消えても実は何も変わっていない。今君の顔を見つめる。ただそれだけ。それが何かの過去に依って見させられている。またかと嘆く。何にも変わっていない世界。そう思ったことは特殊な視点ではない。それが解れば映画も小説も要らないだろうか?映画は映画として何も変わっていない。小説も何も変わっていない。過度にそれらに期待するこちらはもろくもろく。何か別なベクトルに繋がっているのか?時は何も解決しないのだなと眠気がやって来る。今色々あるデバイスはそれぞれ何かの役割を担ってはいないかな。物が壊れる事に過度に怯えてもそれは軽く消えてゆく。この世界へ。この世界ってなんだろう?全く解らないのだ。経験談という事は石碑のように石に刻まれて苔が生えて雨塗れになればいい!歩行者は誰もその石碑に気付かずただただ見過ごされて時だけ過ぎてゆく。世界の有用性とは世界に過度に期待しすぎる証である。有用性など、こちら側の勝手な思い込み、それだけである。結果を見据える事が人生の指針という意識は根深い。そもそも見据える必要があるのか?悩むから音楽を聴く。縋るように本を読む。何かを得ようとしているのかい?そもそも人は、自分はそんなことを意識の中央に置く必要があるの?コンピュータゲームがある。映画がある。文がある。それぞれが今自分はとても遠い場所に居るような気がする。自分は何かを期待しているのか?期待している。でも全てが無いように世界を感じているから眠くなる。物が壊れた。物の機能がなくなり捨てるのか?物そのものは何も変わらない。自分が誰かの話をする。ふと耳に火が燃える音が聴こえる。ふと真っ白な白目が停滞したエゴを産み出している。どうにもならないエゴはお布団に入り眠りとともにどこか遠くへエゴは勝手に向かって居なくなってしまった。そしたら不安も震えもなくずっとそこにあるままの陽だまりがある場所を求め裏切られる。何も変わらない。何も変わらない。何も変わらない。

納和也 Kazuya Osame クリエイター 1971年埼玉県熊谷市(旧妻沼町)生まれ
http://osamekazuya.com