身振り/七歩詩/限界

身体行為:「ポエトリーアクションvol.」 「七歩詩  曹植」の暗唱した後、詩の紙片を燃す。 制作年:2012年11月11日 素材:ガスバーナー 詩の紙片 場所:Cafe FLYING TEAPOT東京都練馬区栄町

身体行為:「ポエトリーアクションvol.」
「七歩詩  曹植」の暗唱した後、詩の紙片を燃す。
制作年:2012年11月11日
素材:ガスバーナー 詩の紙片
場所:Cafe FLYING TEAPOT東京都練馬区栄町

文・写真 / 北澤一伯

 私は、作品制作と連動して身体表現もしてきた。それはパフォーマンスと括られてしまう事が多いけれども、厳密にいえば、「インスタレーション (installation) 」と英訳されてしまいやすい語意としての「布置」について、彫刻的見解を表示しようとする試みだと考えている。
 1980年代後半の頃、行為をする前に繰返し読む書物は「評伝 辻潤」(玉川信明 三一書房)だった。数年後、廃屋の内部を心の内部に見立てる制作を始めてからは、しばらく身体で表現することはなかった。しかし制作現場の廃屋で暮らすという日常は、ダダイスト辻潤の生き方と意志として響きあわせる毎日だっただけでなく、言葉と身振りについて考える体験だったと思う。
 それは同じ時期、義兄との土地係争がかなり深刻に進行中だったことと関係していた。ある時、詩吟を習っていた母から漢詩「七歩詩 曹植」のことを知らされた。母の一周忌を済ませた後、考えてみると、おそらく母は義兄と私との諍いを憂い、私にこの漢詩を教えたのだった。

七歩詩 曹植

煮豆持作羹  豆を煮て以て羹と作し 
漉支以爲汁  支を漉して以て汁と爲す
稘在釜下燃  稘(まめがら)は釜の下に在りて燃え
豆在釜中泣  豆は釜の中に在りて泣く
本是同根生  本と是れ根を同じくして生じたるに
相煎何太急  相煎ること何ぞ太(はなは)だ急なる

(訳)
 豆を煮て羹(あつもの)を作り、納豆をこして汁にする。豆柄は釜の下で燃やされて豆を煮、豆は釜の中で茹でられて泣く。豆も豆柄ももともと同じ根から育った同類同士でありながら、豆を煮るために同類の豆柄を燃やし、互いに煮たり煮られたりすることを、どうしてせねばならないのか。

 作者の曹植(そうしょく:192~232)は、中国後漢の武将曹操(そうそう:155~220)の庶子で曹丕(そうひ:187~226)の実弟である。少年時代から父に従って戦闘に従事し、また詩歌にも非凡な才能を示した。曹操が死に曹丕が後継者としての地位を確立すると、曹丕によって迫害され、失意のうちに41歳で死んだ。
 七歩詩は、或る時兄の曹丕から、七歩進むうちに詩を作らねば殺すぞと脅かされて作った詩だとされる。豆柄を燃やして豆を煮ると歌うこの詩は、兄弟でありながら互いにせめぎあうことのむなしさを歌ったもので、曹丕と曹植との間の悲しい関係を嘆いた内容だといわれている。非常に有名だが、曹植本人の詩ではないとする説もある。
 義兄との係争は、義兄の会社の倒産という形で中断し白黒の決着がつかない休戦の状態にある。当時をふりかえると、曹植本人の作品ではないといわれながら、その漢詩から多くの教唆を私は受けていると思う。そのひとつは、七歩進むうちに詩を作らねば殺すぞと脅かされた男の限界状況にありながら詩を創り、困難な場面を切り開く表現者としての現状突破力である。七歩を歩む。その間に創作する。短時間で創造に関わり窮地を脱出し己の命を救済して生き延びていく。ダダ的即興を連想させる詩作の物語には、美術という芸術特有の威力が中核で光っているような気がする。
 「自分の今いる日常的な状況そのものから、芸術の創造がなされなくてはならない」とは限界芸術を論じた鶴見俊輔の言葉だ。限界芸術には限界の意味が他の意味と重なる要素が多いと思われるのだが、限界集落となった山裾の地域で起きた土地係争中に知った漢詩から、言葉と身振りの限界の表現について、私は長いこと考えさせられてきたのだった。

北澤一伯 Kazunori KITAZAWA
1949年長野県伊那市生れ。
 
発表歴:
1971年から作品発表。74年〈台座を失なった後、台座のかわりを、何が、するのか〉彫刻制作。80年より農村地形と〈場所〉論をテーマにインスタレーション「囲繞地(いにょうち)」制作。94年以後、廃屋と旧家の内部を「こころの内部」に見立てて美術空間に変える『「丘」をめぐって』連作を現場制作。その他、彫刻制作の手法と理論による「脱構築」連作。2008年12月、約14年間長野県安曇市穂高にある民家に住みながら、その家の内部を「こころ内部」の動きに従って改修することで、「こころの闇」をトランスフォームする『「丘」をめぐって』連作「残侠の家」の制作を終了した。韓国、スペイン、ドイツ、スウェ-デン、ポーランド、アメリカ、で開催された展覧会企画に参加。
また、生家で体験した山林の境界や土地の権利をめぐる問題を、「境(さかい)論」として把握し、口伝と物質化を試みて、レコンキスタ(失地奪還/全てを失った場所で、もう一度たいせつなものをとりもどす)プロジェクトを持続しつつ、95年NIPAF’95に参加したセルジ.ペイ(仏)のパフォーマンスから受けた印象を展開し、03年より「セルジ.ペイ頌歌シリーズ 」を発表している。その他「いばるな物語」連作、戦後の農村行政をモチーフにした「植林空間」がある。