文 / 町田哲也
光景がまずあるという身を踏まえるのか捉える軀から発生するものが景の前に用意されていると白を切るのかおそるおそるすり足で躊躇いつつせり出すように肩から首を突き出す猫背の腰つきで前方へとすすむ鷲掴みの格好の指先が地熱を受けるかに下に向けられたまま節々は所々凝り固まってひくついている。手首の指先のような足爪先であったならこうした辿りはねっとりとした耽美となるにちがいない。などと極北と極南を爪先から脳天へ置く観念の瞑想地味た四足歩行の邪気も生まれるままにかぁと喉から痰を糞尿ごとく放って、やはりすり足の白足袋はぐったりと濡れ汚れ踵から草をすり潰しては運ばれるがそれは自らの意志ではない動きであるとみつめ下ろす目玉の重たさの印象の滴りの音の震えは実はぜいぜいと細い呼気の歯茎からの漏れであった。傾きの軀にとって水平も垂直もいわばそれは虚位の観相と嫌悪へ避けられるかに幾度か瞼を強く閉じていた。故に沢の流れも溜りの気配も耳にだけ受けとってすり足の途切れた跨ぎを余儀なく踏み越える倒木の朽ちる根付きの崩壊の暗闇のような穴の豊穣さへ足袋を脱ぎ捨てて足首を差し入れ蠢くものらが裂けた皮膚に集るに任せることは意識とは離れた場所の姿勢が促した形態のぽきんと折れるような物理変異のひとつでしかなかったから群がりを掴んでは口に入れ奥歯で擂り潰し広がる強い酸味がそうかこれはヒトの血だ。解釈をすてて剣呑の痛みを置く。
戸惑ったのは展けた草野原となったからだが相変わらずの猫背鍵首の姿勢の移動は速度を持たない上下にも揺れない。これは浮遊とも考えられると雷同へ滑り懸命に支えた余計に力の入った太腿の肉の張りの内側で膝小僧という可愛らしさの横にその克明を贖罪の証のような血判を添えて筆記した感覚を太くする。倒木が重なる陰ばかりだった樹影の中を彷徨うほうがよかったと笑う貌を何処か遠くで棄ててきた息子のそれと重ねている。やがて野は切れて砂となるだろうか。刺のように垂直と上昇を示す肩で耳元を擦っては止まることはできないと嘆きの面を幾相かこれでもないあれでもないと捲る度に近親の者どもをぽっかりと浮かべてはぷつんと消えるに任せ、聴耳は貝殻のような大人しさで茸のような妖しさで乱風よりも俯く背骨に突き刺さる垂直落下の矢雨を待っている。
群青の湿地にからだを横たえ膨れた腹は時折ぶるぶると震え首には力がなかったので死ぬばかりだと眺められたが足の付け根にある傷から流れ出ていたものが止まり汚泥と吐き捨てていた溜りそのものが温かく感じはじめられたのはいつしか口元に伸びていた樹木の先端を齧って舐めていたからか。音がするので目玉だけ動かすと獣の蹄が弛緩した二の腕を突き刺すように踏みつけて滲み出る赤い水を啜っている。泥の中に熔けずに残った黒々とした瞳がふいに頬に押しつけられその濡れた曲面に首の曲がった折枝の肢体があり弱く湯気が立ちのぼっている。あれはと指差す自身のそもそもの軸がもとから乖離したまま纏わりは続ける離人の性癖をひどく懐かしいような目付きで獣の目玉の中にむかって鹿だか猪だか豚だか馬だかわからぬお前にはこの分離はわかるまいとだがシテにひれ伏すワキの心地で凝視している。
午後の斜光が白く反射して綺麗な一枚板に見えた机の縁にも表面にも刻まれた痕や黒々とした油の滲みがありことあるごとに丁寧に片付けられてはこの上で展開された何事かが傷つけ零したあれこれを拭き取って再び酷使されることを望むかの清楚さで傷や痕跡をあっさり晒したまま何も置かれていない。その酷使の残滓から無骨な男の拳に握られた金槌やら鋸やら鉋の音までを引き寄せて顎だけ動かして逆へ振り返るとこれもまた使い込まれた棚の上には繊細な手付きの小さな鉢植えがみっつ反射を受けるように並べられておりこれは女の手と伺えた。別段使い回すことなどないのに重ねられた本や道具箱やいつのものかわからない郵送物と新聞などが縁に積み重なって並んでいる風の見慣れた生活光景と違って、今此処に住まう人間のとにかく片付けるという集約と倹しいような簡略の生活をみつめつつ深い色彩だったが色は何かと振り返る断片的な夢の長さを不思議な心地で瞼の裏に浮かべると、目が覚めましたかと夢の中から問われるような声というより物音が届き痺れた鼓膜から水が流れ出るような気がした。電波塔の下で眠りこけていたけれど足許が随分汚れていたので山菜採りで迷って疲れ果てた老体とみて担いで介抱してくれた山深い山荘に住まう夫婦に対して滔々と呟くように語り始めると再び弱い眠気が降ってくる。
「ゆくゆくは草を刈り土を起こして盛り返し素足で踏み種を蒔くさと早朝の小便の後に霧が流れる濡れた庭にむかって縁側に立ち煙草の蒼煙を手首に巻き付けて浮かべ、同じことを幾度繰り返し想い浮かべる朝だろうかと季節ごとか年ごとかの反復自体が息災の証となる笑みさえ生まれ不足無く緩く膨らむのだったから、「ゆくゆくわぁ」と声に出すと、霧は小雨に変わっていきました。慌てた風の山鳥がほんの近くでふたつみっつきぃぎぃ鳴いたのを境に指先で根元に残った火を潰し、そのまま草履に足を引っかけて粉のような霧雨の草叢へ身をゆっくりと運び、風邪でもないのに咳き込むような齢に閉口したのはつい最近のような感覚だったけれど今はあの時の抵抗がぼんやり遠く感じます。あれはまだ盛りの最中にいる錯覚に酔っていたんでしょうか。めっきり酒の量も減り手首や臑の油が抜け落ちた皮膚にも近親の者のそれであるように愛着が離れ自分の目の執着が萎えてそれにいつのまにか慣れています。でも夜の昏さに物事が霞む目玉もこうした朝には瑞々しくぽったりと実にすっきり辺りが眺められるんです。感想は柔らかい。やたら早起きになってやめてなどいない喫煙をとうの昔に絶った清浄な喉の錯覚がふいに太く顕われて、気象が変わった気温の低下に、前倒しで乗っかった気持ちの逸りがそれを退け幾度となく頷くような素振りをまるで劇中の他人の空似の背中で戯けて、そんなこちらの背をむこうから眺めれば遊んでいる風情だったでしょう。意気地や気概よりも単に生存の足掻きが蔓延っているようであり、その卑しさが己らしいと思ったものです。座り込んで濡れた地面の雑草を根こそぎ掘り出すように毟って頭頂と肩を湿られるままに続ける。明日はと言葉にしてから予定のようなものが一切ないこの身が邪に犯されていたままの懦弱の底でそれでも何かを探すような目付きを弱く落として、まだ生きるのだな。とやはりまた草を毟るんです」
「実の子に身を啄まませ肉の延長として育む女と違って体感的には撫でる程度のことしかできない娘に対する情愛と比較して、娘が母を反復し産み落とした孫の距離感のほうが、私にとっては都合の取り付け易い抱き心地だと弛緩する表情も重ねられて齢の崩壊が加速したかと妙な自覚のようなものもあります。娘が出産するという段になり孫のことよりも手を離した筈の娘がふたたび陵辱の極みに晒されているかの憤怒すら生まれ息子と収まっていた若い夫にあたらしい嫌悪の表情を病室で隠さなかったかもしれません。滑稽に子供染みた醜い老いです。妻の時には気づかなかった出産の至福を湛える娘の輝きを眺めて自分は何も判っていないと小さく物陰に隠れる物腰は羞恥そのものでした。いずれにしろこの孫の生きる世界と自身の残された時間などは交錯することもないのだからという甘えのような放棄感が小さな頭に添える手首を殊更に柔らかいものにはします。そして「ただし」と孫の頭にしぶとい言葉を黒く落とし、このほぼ人生が入れ替わる孫はひたすら白く自分は黒々となるしかないまるで善悪の徴であると腑に落ちる夕食の席などで、石のような寡黙を堪えるでもないんです」
「存在の役割というものなど無いと知ったのは仕事から退いて気楽になった途端に、気楽とはつまり放棄された人格であり昼寝であり束縛からの解放だがそれが自身というものをあやういとらえどころの無いモノとすることに気づき、仕事を探したけれども人であればよい程度の他には気楽な仕事などありません。無意味と付き合ってこなかったツケが回ったとも浮かべました。なけなしを倹しく保って盆栽に取憑くか界隈の清掃をはじめるか迷った挙げ句を迷わせたまま絶句したまま早朝ただ草を毟りあるいは単に序破急を逆さまに辿るように歩くのです」
単調にまっすぐな道の両脇にはトンネルのように覆い被さる樹木が延々とあって歩く足には靴も足袋も草履もないという感触はある。そういえば酷い格好で歩んでいた。そういえば酷い老齢だった。陳ねた笑いを含ませて左手に握った枝先で路傍の草を音をだして払い切る。此の行方においてこそいにしえの速度の足付きを覚えるからカラダがそれに馴染むにはまだまだ時間がかかる。仰げば陽を隠した樹木と思われた影が頭上に穴をあけるかに散って鳥だったかと精神は頷いた。
町田哲也 Tetsuya Machida 1958年長野市生まれ
藝術と思想
ブランチング企画責任 クマサ計画主催
iam@machidatetsuya.com
枝間ノ闇
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