2010 002

文 / 納和也

つづき
 白くざらざらとした六本木の街を歩き日比谷線に乗った。震災による帰宅難民も居なくしらけた眺めだった。昨晩に行った医者のアロマの香りが心を震わせる。2010年に発症した時に阪口さんの家に泊めてもらった。気圧の関係で山には戻れなかった。阪口さんの家は湘南である。太平洋。泳げないけど砂浜で。そんな前の年の夏を思い出しながら不眠に塗れて東京駅に向かった。駅にはものすごい数の人がホームに居た。アナウンスが流れる。「只今長野新幹線は軽井沢をでたところです。もう少々お待ちください」2時間近くホームに居た。今ではその時の記憶も途切れている。その翌週仕事に出かけるが会社は計画停電で3時間もしたら帰宅命令が出た。つけ麺を食べて途方に暮れながら長野への遠い距離が恐怖へと変わる。テレビを見ればJCのコマーシャルと震災の報道ばかり。身体も変調を来して夜は不眠に悩まされている。普段、残業の時は漫画喫茶で寝ているのに慣れている身体は涙も出ない。人生ってなんだろう?こんなにも寂しいもの。同時に発症している同僚と刹那に同朋意識に浸っている。なんだか僕の人生振り回され過ぎて自我なども持つことを許されず時が十年分のしかかっている。震災は物理的にも大きな被害があったが日本、東京における歪んだ被害は何なのだろう?余震に揺らされながら会議室で眠れなかったあの夜。真新しいビルに走った罅。時はそのまま何も変わらないでここまで。夜、芋洗坂にある赤ちょうちん、大勢のサラリーマン。陽が昇り朝の東京すべてがブラウン管のように実体のない昨晩の幻と思い、喧騒は真っ白な砂の雪が降っている。地面は凍てついている。震災の翌日。薬のせいか甘いものを食べたい。何もなければ穏やかな午後だったのに。心と身体はとっくに悲鳴をあげていた。それを見て見ぬふりをしていたから未知の感覚が日々を覆っている。もう何も出来ない。生きるだけで疲れる。
つづく

納和也 Kazuya Osame クリエイター 1971年埼玉県熊谷市(旧妻沼町)生まれ
http://osamekazuya.com