2010 001

文 / 納和也

 2011年の春、会社から別の時空へ放り込まれた。
 あまりに突然の事だった。
 それは2010年の夏、頭に血液が全て流れた時から手を付けられないほどコントロール出来ないほどの滅び方だった。こわれないように、こわれないように。そう思って必死に正気を保とうと立ち向かったがとても立ち向かえなかった。

 その頃東日本大震災が起きた。その日は比較的に調子もよく穏やかな暖かい日差しの中銀座へインドカレーを仲間と食べに行った。おまけに喫茶店でアイスコーヒーを洒落込みそのまま東京メトロ銀座線にのり六本木の社屋へ駅から緩やかな心でもどっていたら社屋の隣のホールの大ガラスが大きな物音を出して上を見たら電柱が揺れていた。高層ビルも揺れていた。何が起こったのか全く判らなかった。そのまま社屋の5階へ。皆が慌てている。何が何か解らないまま帰れと言われた。帰りたくても帰れないほどの事が起きたらしい。そのまま芋洗い坂にある赤ちょうちんという飲み屋へ仲間と向かった。店内のアナログテレビが遠く見えた。濁流の映像を見ても何が起きたのか判らなかった。赤ちょうちんの窓はみしみしおとをたてて、揺れていた。その日は心療内科の日だった。暗い闇に包まれた六本木を横断し乃木坂方面にある医者に向かった。緊急時だから空いてないのかと思ったが空いていた。「大丈夫でしたか」と僕は言った。そのまま壊れた僕の身体は時と土地に横たわっていた。
 医者をあとに社屋へ戻ると会社を辞めて行った女の子がいた。家にも帰れない、だから縋るようにここに来たのだろう。ほほえみを交わしながら停滞した時が流れた。この間張ったばかりの廊下の壁のクロスはひびが入っていた。会社はそれでもシェルターのように僕らを救ってくれた。この時空は終わるのではないかという思いが不安に同時であった。一週間たち二週間。まるでシェルターのような組織は唯一僕を救ってくれる機能だと祈りながらそう思っていた。だがここから放り出されるような気持ちがそのままそうなった。
 十年の荷物が片づけられなく涙が出た。荷物はさりげなく遠く離れた長野へ運ばれた。僕の隣の亡き父親の仕事部屋に。段ボールを開けるのが怖かった。それで時はあっという間に過ぎてゆく。段ボールの中を眺めると「終わった」「終わった」と思いひとつひとつ整理したり処分をしたり。気が付くともう何もなかった。日差しが床を照らす。シェルターから放り出されて。もう何もなかった。光ケーブルのルーターが光っている。 

つづく

納和也 Kazuya Osame クリエイター 1971年埼玉県熊谷市(旧妻沼町)生まれ
http://osamekazuya.com