文・絵 / 徳永雅之
「沈みゆく女子高生たち」 1997年3月1日
大水が出てしまったので公園で野宿をした。
家に帰れなくなった人がぱらぱらと居た。
周りはもう暗い。僕は地下鉄の入口を広くしたようなところに入った。
中にはコンクリートで作られた四角い水槽のような池があり
水の中はまるで地下鉄のホームに向かう階段のようでそこはセーラー服の女子高生でいっぱいだった。まるでラッシュ時のように整列して、女子高生が次々と現れてはゆっくり順番に降りるように沈んでいく。底は深そうで青緑色の光が地下から漏れていた。
「陶片」 1991年8月30日
友人は天使の絵が入った陶片を拾い持っていたために絵が下手になってしまった。
「アンディ」 1990年3月29日
流れ星が見えた。 星が消える前に願い事をつぶやいてみた。小さなUFOが飛んできた。僕の周りを飛んでいる。こいつにも願い事をつぶやいてみた。
宇宙人が僕の前に居た。丸い顔に目、鼻、口、そして人間のような手。右手には丸い風船のような薄緑色のものが付いている。宇宙人と一緒に食事に行った。僕の家族も一緒だ。どこかの店のとても広いお座敷。周りの席にも人がたくさん居る。宇宙人と色々な話をした。「思っただけで物を動かせるのですか」家族が怪訝そうな顔をする。「片方の手が丸いのでそういう能力がないと色々不便かと思って」というと家族は彼を指さして「ちゃんと手はある」と言った。見るとその丸いものは取り外し可能な一種の装置だったのだ。
彼は落ち着いた声で「なにか動かしてみればいいのですね」と言った。
宇宙人は 自分の名前は「アンディ」であると言った。アメリカ人のような名前だなと思ったが、実は 「アンディ」の「ディ」の発音が独特で正しくは「アンドゥィイー」と発音するのだそうだ。
会食はおひらき。その場所を出ることになった。
実は今まで居た所は他人の結婚式の披露宴会場らしいことがわかった。
「クリームで和えた死体」 1994年7月21日
誰かの家に白いものにくるんだ死体を預けている。
撲殺された誰かの死体らしい。
甘そうなアイスクリームか白いクリームのようなもので和えてある。
廊下に少し黄色みを帯びたクリームがこぼれている。
くるんだものが臭ったり、中身が出てこなければいいと思う。
「大麻と芸能人」 1994年3月31日
目覚まし時計の音で 飛び起きた瞬間「芸能人に大麻はつきもの!」という言葉が頭に浮かび時計を止めた。その飛び起きたことも一瞬の夢だったかもしれない。
「箱」 1995年1月2日
<この日は前日より風邪で熱でうなされていた。夢と言っていいのかどうかわからないが目をつぶると何度も同じものが現れた>
目をつぶれば箱、箱のような形しか出てこない。平たいもの大きいもの。意味もストーリーも無く、暴力的に目の前でクローズアップになっていく 。何かの物語になってくれそうになるとそれは解体され溶けていき、また箱になる。自分の顔が、体が箱になりかかった時に目を開けることが出来るとかろうじて自分自身を確認できるのだが、それはひたすら繰り返される。
「宙に浮く硝子板」 2014年1月29日
これからみんなで昼食を取ろうと思っていたところ、部屋にある六角形のテーブルについている同じく六角形の透明な天板がフワフワと宙に浮きだした。 頭以上の高さになり部屋の隅に行こうとしていたものをそっと受け止め、元に戻した。表面に削った樹脂の粉が均等についており、もしかしてそれがこの板の飛行の原因ではないかと考える。友人は何やらロマンチックでファンタジックな領域の意見を。父は科学的な根拠を探っているようだった。女性の誰かが「さっき誰かが昼食をとる」って言ったから待ち遠しくて飛んじゃったのよ」と言った。そうだった。昼食を取ることを忘れていた。
「バレエ」2014年1月2日
バレエを踊っている女の子を見ている。
優雅な動き。彼女の体の動かし方や筋肉の感覚が僕には手に取るようにわかる。「彼女にとってこういう演技は簡単すぎて退屈なのよ」
やや年配の女性が僕に言った。あの女の子は訳あって今僕らが観ている以上の演技を人に見せられないのが苦痛なのだな。
「工芸家」2013年12月20日
友人の工芸家とその師匠の男性。
「僕はまだ若かったので商標登録してませんでした」
師匠は「若い時はそんなものだ」と言いたげに笑いながらうなづいている。前のテーブルには何か文様のような形をした四角い印鑑のようにも見える工芸品が幾つも並んでいる。僕はその二人に「商標登録と著作権ってどう違うのですか?」と質問する。
「青い石の目」 1992年12月頃
僕が持っている青い石と同じ目をした人物がついてくる。
男なのか女なのかはわからない。
その目を見続けると相手に魅入られてしまうという。
恐ろしくなって逃げた。
天気の良い午後。地中海の街のような白い石段。きれいな色。
「下調べの光」 1992年10月26日
僕は二人の女性と山の木々の間の道を歩いている。
どこからとも無く拡声器から「稲妻が出てきています。気をつけて下さい」という放送が流れた。
雷はまだ一度しか落ちていない。
稲光。そして「大気の中の電気が落ちるところを探している光」があちらこちらの背の高い木々を触っている。
雷は落ちる前に落ちるべき場所を探すため、その下調べの光を放つのだからその光が当った場所に気をつけてさえいれば絶対に事故は起こらないのだ。
天気が悪くまだ夜でもないのに暗い風景にぴかぴかと柔らかい光は薄紫色でとても綺麗だった。
「黒毛腕時計」 1998年5月20日
店で変わった腕時計を見つけた。
はめると手の甲に真っ黒い毛が生えているように見える時計。
毛の黒とメタル製の時計本体のコントラストが意外にいい。
薬指にかかるまばらな毛までつくってあり、その凝りように笑ってしまった。
「緑色の群れ」1992年3月7日
徳永雅之 Masayuki Tokunaga
1960 長崎県佐世保市生まれ 画家
1985 東京芸術大学 美術学部絵画科油画専攻 卒業
1987 東京芸術大学大学院美術研究科(修士課程)壁画専攻 修了
http://hotrats.sakura.ne.jp
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