女性性あるいは中年についての考察・6「気だるい頬杖が命取りな新嘉坡の夜」

文 / 松下 幸

 女の年は、ひじに出る。
 そう気づいた時の衝撃といったらなかった。不惑に入った途端に顔の皮ふがたるんで下がりはじめ、慌ててドモホルンリンクルの無料お試しパックなど頼んで顔にテカテカに塗りこんだりして、アンチエイジングだなんだと励みはじめたある日、ショーウィンドウに映った自分のひじの致命的な変化が目に飛び込んできた。
 伸ばしたひじに、たるんだ皮ふがいくつもひだを作っていたのである。
 相当な打撃だった。そのショックは顔の老化の比ではない。人生最強の破壊力だったといってもいい。ひだはどうやっても元にもどらず、どころか全身の皮ふがおかしくなっていることにもやがて気づいた。足首には深い刻みが、ひざ上には細いシワが何本も、手の甲はつまんだ形のまま戻らず、なんなら首の皮ふすらそういう状態だ。全体的に、象のようなひだ具合なのだが、若い頃よりもだらしなくたるんだ分さらに薄く伸びた皮ふはひたすらグロテスクで、絶望感が半端ない。ショートパンツを履いて足をさらけ出した時なんてひたすら無残だ。一歩踏み出すと腿が揺れる。しゃがむと骨と肉がぱっくりわかれて、肉が押し合って横にはみ出てくるのだった。知らないうちに人生の角を曲がったどころか大分下ってしまっていた。全身の老いとなると、もう手のつけようがない。
 一見肌にすごく手をかけた美魔女風の女でもそうだ。ひじのたるみを見つけてからというもの他人のそれが気になって仕方がなく、目につくひじ全てをチェックしていると、新宿の伊勢丹本店あたりでマノロを手にとる真っ白な肌のセレブ奥様のひじも、萬田久子風にキメたモデルばりのスタイルを保つお姉さまのひじも、やっぱりひだが寄っている。普通ならば美しく見える人のあらを見つけると嬉しくなるのに、ひじに関してはさらに落ち込んだ。あれだけアンチエイジング勝ち組に見えてもひじの老いには勝てないということだから。きっと彼女らの全身もたるんでいるのだ。見た目はよくても触ってみたら、体中どこの肌も弾力のない、水気がないのにねっとりと指にからみつくような、気味の悪い皮ふになっているに違いない。
 全身くまなくSKIIを使いつづけた猛者がいたとしたら、顔のアンチエイジングができた程度には肌の老化を防げたかもしれない。もしくはバカ高いエステの全身コースを毎日生涯にわたって続けるとか。デトックスだオーガニックだ規則正しい食生活だとか色々言うけれど、結局のところ若さは金で買うものだ。しかも金持ちが金にものを言わせて宇宙旅行の権利を買ってはみたけど本当に行けるかどうかは分からないぐらいの賭けである。貧乏人が長生きしたけりゃしわしわの老後を長々と続けるしかないってことだ畜生。

 ところで、代わり映えのしないシンガポールでの生活に中規模の事件が起こった。いつも行く日系スーパーで福山雅治にそっくりのイケメン日本人を見つけたのである。身長推定180センチ、長い手足に驚くべき小顔、小動物を精悍にした感じの顔立ちもそっくり。日本人といえばミドルエイジが常識なシンガポールにおいて、見た目が本当にいけてる男を見つけるのは、イケメンのシンガポーリアンを見つけるよりも難しい。そして、もうこちらに住み始めて1年半が経過したのですっかり忘れていたけど「イケメンを見つけたら仲良くなってみる」というミッションがあったのを思い出した。こちらに引っ越す前後に自分自身と親しい友人の間に蝋梅の狂い咲きのように浮いた話が頻発したことがあって、それがこの一連の駄文を書き始めたきっかけだったのだが、外人は肉食だというから日本では考えられないくらいセクシーな何かが待っているのではと思ったけれど驚愕するほどにシンガポールにはそういう雰囲気がなかった。シンガポーリアンはどこか陰にこもった人たちなのでそういうことに興味が薄いように見える。常軌を逸したエリート主義であり、実力のない人間は野垂れ死ねと言わんばかりの厳しい国の国民でいるには強い忍耐力が必要で、そのかわりに感情的な反応が通常よりぐっと押さえられているのかもしれない。とにかくこの国には色気というものがなく、ここでの生活に慣れれば慣れるほど自分の中からも色恋に対する欲が消え果てていたのだった。
 とはいえごく最近、シンガポールにきて初めて、色欲の気配を感じる場所を発見した。娘を日系のスイミングスクールへ通わせはじめたのだが、そこのプールサイドがうっすらと熱いのである。
 そこは元オリンピック選手だという40がらみの男性が主宰を務めるスクールで、ホテルの小さな屋上プールの半分を使ってこじんまりとレッスンが行われるのだが、プールサイドに陣取るママ連の空気がどこか蒸れっぽい。理由はどうも、その元オリンピック選手であるらしい。プールの塩素で茶色に焼けた髪に、ほどよく焼けた肌、すらりとした背の高い体には中年特有の無駄な脂肪など皆無で、丘で見れば大して目も惹かないだろうけど水着姿となれば話は別だ。ラッシュガードをからたまにチラリと見える引き締まった腹、そしてその水着は何なんだ。頭のなかが空っぽそうな、妙にポップな柄のローライズのピタパンで、そのくせ本人は不思議に陰がある風なのが、やたら色っぽさが引き立つ。
 ママ連がその主宰を舐めるように眺めているというのではない。そんなことをしてるのは私ぐらいで、皆慎み深く彼を見ないようにしている、が、その割にみんなやたら綺麗な格好をしている。バカンス中かと思うぐらい露出の多いママもいる。一番まなめかしいのは、そんなママ達が誰も主宰と話さないということだ。おかしいじゃないか、相手は水泳教師で、そこにはメインインストラクターが二人にアシスタントのローカルが3人しかいないのに、どうして主宰とだけ誰もほとんど話をしないのか?まるでお互い牽制しあっているかのように。主宰のほうも何か余計な勘ぐりをされないよう細心の注意を払っているのか、ママ連にはあまりかかわってこない。
 その空気に居てもたってもいられず、娘が主宰にまとわりついたのをきっかけにして私は勇猛果敢に話しかけてみた。やはりこういうのはいい。久々にイケメンと会話したら何かこう体に血の気が戻ってきたみたいで急に具合がよくなった。イケメンは社会の財産だよな、皆で大事に分け合わなければ、なんてほんわかしていたら、5歳の娘が突然「お母さん、歯になんかついてるよ」と大声で言うのである。硬直して口をつぐんだ私に奴は「だから何かついてるって。みせてごらん」と畳み掛けてくる。無視しようとしたら娘が私の口をむりやりこじあけて「ほらここに赤いのが」と言うので強引に娘を引っ張ってトイレに逃げ、そこで無言でうがいをしたところ、口のなかから唐辛子のかけらが8つも出てきた。「ほら、きたないでしょ」としたり顔で唐辛子を数える娘に「いーしてごらん」と言われて、よし、きれいになってるよ、これからは気をつけてね、とたしなめられて、昼にキムチたっぷりにんにくそうめんを食べたのを思い出した。全く忘れていた。私の人生、ずっとこんな感じだったよな。スクールもうやめさせよっかなとぼんやり考えながら、あの浮かれ海パン暗イケメンは隠れ肉食ママに譲って自分は静かに引退しようと決めた。

 そんな程度のしょぼい色恋話しかないこの国で、目の前にいきなりフクヤマ級のイケメンが現れた時、中年女が取るべき行動の選択肢はいくつあるのか。友人たちと夜な夜な話し合った結果、無難な範囲はごく常識的な次の3つだろうということになった。
1)素通り
2)鑑賞
3)お近づきになれないかトライ
 今までの私であれば、間違いなく1メインでこっそり2を数度ぐらいが関の山だったが、40を超えて図々しくなった今は2もかなり長時間いける。そもそも「フクヤマかっこいい」と言えるようになったのもつい最近だ。30代までは、それを認めることは安直でダサいと意地を張っていたのだがある時急に、フクヤマをカッコイイといっても何も恐ろしいことはないと悟った。周りの友人も40を超えてから急にフクヤマフクヤマいうようになって、その名前を唱えると楽しい気分になるようにもなった。同じ現象には「キムタクドリーム」というのがあって、これはキムタクださっとか思ってるのに夢でいい仲になっちゃったりして、その日から急にキムタクを見ると胸がドキドキするようになるというもので、かなり若いうちから出てくるのだが年を取る頻度が上がる。私の20代は「貴花田ドリーム」で夢でまでキムタクを固辞していたが、今では夢でキムタクに会えるのを楽しみにしている。
 で、この駄文の主旨から言っても、恥や外聞にさよならした今、当然トライすべきは「お近づきになる」なわけだが。
 気づくと誰も、これをやったことがある人が周りにいなかった。モテる場合は明らかに成功すると分かってる場合しか男に近寄らないし、モテない場合はなおさらそういう危険を犯すことをためらう。勝算が見えない男にトライした事例は、私の記憶にある限りだと、高校時代に学年いちブスで痛いと陰で噂されていた可哀想な女子が、胸に白抜きでハートを編みこんだ真っ赤なセーターを大きな花束とともに先輩にプレゼントした痛々しい事件があるのみだ。それにしたって一応、同じ学校なので全く面識がないわけでもない。少女漫画みたいに全く知らない男を物陰で待ち伏せていきなり電話番号を渡すとか、そういうことをした人が見当たらないのだ。いやきっとどこかにいるんだろうけど相当なレアケースと予想される。
 その時、友達の一人のお姉さんというのが異様にモテるという話が舞い込んできた。その人は背が低く太めであり、顔も全く美人ではないと。しかし一人でカフェに入って出てくる時はイケメンと一緒的なことがそのお姉さんには現実に起こっているらしい。全く信じがたい話だが、さらにそのティップスが「ひたすら相手を見つめる」ことに尽きるという話を聞いてさらに驚愕した。単純化すると、ブスに見つめられてドキドキする男が世の中には一杯いるということで、しかし今度は周りの男友達に知らない女がやたらこっちを見てると声をかけようと思うか聞いてみたら、これも草食系ばかりだからか「怖くて逃げる」という反応が返ってきた。一体どっちが正しいのか?フクヤマはルックスはものすごくいいんだけどなんだか性格が悪そうな男であったので、草食系というわけではなかろう。ということは試してみる価値はある……のだが。実際やるとなると、ものすごく恐ろしい。その後もフクヤマとは何度もスーパーで出くわし、レジで前後になったことすらあるのに、もう緊張しちゃって振り向くことすらできない。
 そこで私の友人のなかで最も美人の、実際ものすごい美人でそれこそ知らない外人からカクテルをおごられる経験が普通にあるくらいスマートな夜遊びもする女に、イケメンとスーパーで前後になった場合や同じ商品棚で横並びになった場合どうすべきか聞いたら、相手の目を少しみてニコっと笑えと。この女は美人にあぐらをかいて私を上から見下ろしているのか?そんな常軌を逸したこと、できるわけなかろうもん。
 せめてできることと思って遠巻きに見つめてみたりしたのだが、そのうち私を見かけるとフクヤマの足が急に早くなってさっと視界から消えるようになった。多分、開き直りが足らなかったのだ。私は緊張のあまり相当挙動不審だったに違いない。見ていることを相手に分からせるためにちょっとおっかけてみたり、しかし恐ろしいのでこわばった顔で目があうなり慌てて下を向いたりして、きっと相当不気味なおばさんに見えたはずだ。
 私は長い足のリーチを活かしてあっという間に立ち去るようになったフクヤマを見ながら、連続殺人事件や愛人を使って夫を殺させて保険金をだまし取るような事件の犯人である女がドブスのおばさんだったりする場合が意外に多いことを思い出していた。それまでは野次馬心と事件の下品さをバカにするような気持ちでほくそ笑みながら友人と犯人について話したりしたものだが、今やそういう気持ちは吹き飛んでいた。湧き上がってきたのは容姿や年齢を顧みない彼女たちの無鉄砲さ、鉄の意思、意味不明な自信に対する尊敬の念だった。私は金に困っても夫を保険金目当てに殺すこともできないし、男に大金を貢がせた挙句に殺していく奇跡のブスにも絶対なれない。老いさらばえて美もなくなった今、男と何か起こるようなことすらきっと生涯起こらない。そう思うと、シンガポールリバーの河畔に座って水面に石を投げ続けたい気分になった。
 そんなある日、スーパーでフクヤマが女と子供を連れているのを見かけてしまった。女と子供ということは、当然「妻と子」ということなるのだが、見た瞬間、息を飲んだ。自分がその場に立っていることすら後悔した。妻が、モデルか女優かというような、完璧な美人だったのである。全身の隅々まで手入れが行き届いているような、視界に入るのも拒絶したいくらいの美人が、にこやかに歩いてくる。フクヤマと並んでいるともう、そこだけ芸能界。「二人とも死んでしまえばいいのに」と呪いの言葉が湧き上がるのを止められなかった。救いはフクヤマが胸にでっかい馬のマークのついたあのダサいポロシャツを着ていたことと、子供が何故か猛烈に不細工だったことだ。なんだ、あの女整形してんじゃないの!?とほくそ笑みたかったが、整形では小顔と長い足は手に入れられない。けなそうと思っても、隙がない。くそっ。

 この時当然私が取るべき行動はひとつだけだ。家に帰ってすぐさまパソコンを開き、グループチャットにこの話題を投げ込むことだ。で、あとは娘っ子のようにその女やダイエットや美容法や次回の帰国にあわせた女子会の場所やジャニーズのタレントについて延々と語り明かすのだ。やっぱガールズトークって楽しいよね!とか言いながら。胸の痛みを一切忘れてしまうまで。
 「ガールズトーク」「女子会」という言葉の持つ痛々しさが計り知れないことは、私達はちゃんと自覚している。実際ガールズが集まってご飯食べているのに「ガールズ」だの「女子会」だのという言葉は不要なのであって、つまりわざわざガールズトークと但し書きするのは自分達がおばさんであることの証明なのだ。それでもこれらをやめられないのは、いまやガールズでも女子でもなくなった悲しいおばちゃん達に唯一許された心の麻酔だからだ。癌のターミナルケアにおいて、医療用麻薬が使用されることはよく知られている。そしていよいよ安全量を使っても痛みが押さえられなくなった時に、麻薬を増やして朦朧とさせることで意識レベルを下げ、痛みを感じる機能をまともな精神ごと取り去ってしまうのだそうだ。こういう深刻な話と私達のくだらない自意識の話を一緒くたにするのはあれだが、でも「ガールズトーク」というのは女としての終末期にいる者とって「緩和ケア」なのだ。我々もガールズトークで逃げようのない悲しみから意識を逸し、前後不覚という幸せに浸る。その間にひじから始まって全身の皮ふがたるんでしまって取り返しがつかないことになるのをうっすら感じていながら。
 それでも女たちは日々ガールズトークのネタを探し続ける。どんな愚行も痛々しい現状も笑い飛ばしていくために。共に死へと向かっていく同胞との絆をより強くしていくために。

松下幸 Koh Matsushita
1972年生まれ
福岡県福岡市出身 / シンガポール在住
コピーライターのようなもの
大学中退➝フリーター➝主婦➝フリーター➝会社員➝フリーランス