41才の神童(1)「愛の残骸」

文 / 松下幸

 郷里の友人が、がんになった。
 血液のがんである「悪性リンパ腫」という病気で、「脊椎にがっつり転移しています」というのを、ある朝起きぬけにフェイスブックのメッセージで彼自身から知らされた。
 彼との出会いは小学1年の時に遡る。隣に住んでいた直くんのクラスメイトで、ある日弟と2人で留守番をしている時に直くんと一緒にやってきて、こたつの上で一人で踊って歌ってフリチンになって、気の弱い直くんにも脱衣を強要して、もうちょっと年が上ならば即逮捕というような蛮行を働いた後、母が帰宅する直前に帰っていった。
 その後も呼んでもいないのにやってきて、居間で昼寝している母にハキハキと挨拶すると、弟に絡んで遊ぶか、弟がいなければ本を読んでいる私の本をひっぺがして遊ぼうとする。何故友達が来ているのに一緒に遊ばないのかと、理解しがたいという顔で私を見る。それが多分、彼を友達として意識した最初の出来事だと思う。
 いつもピチピチの半ズボンの尻に手を突っ込んでパンツの位置を直している。私がある友達の悪口を言って絶対誰にも言うなと口止めすると、秘密を持っているのに耐え切れずよりによって本人にばらしてしまう。初めての夢精を病気と間違えて深刻な顔をして相談してくる。勉強は出来てるんだか出来てないんだか、落ち着きがなさすぎて分からない。怖い話をすると半泣きで擦り寄ってくる。その割に怖い話の会には必ずやってくる。
 おっぱいが大きくて脇毛がぼうぼうの早熟な女子に夢中になっていた、あのバカな小学生が、出会いから34年後の朝に死にかねない病気だとシンガポールまでメッセージを寄越してきたのだった。
 娘以外の人に死の危険が迫っても大きなショックは受けないだろうなんて想像していたのだが、まだ41才になったばかりの能天気な幼なじみのまさかの登場に、私は完全に動転してしまった。携帯を持つ手が震えて、彼になんとメッセージを返していいかも分からず、そのままトイレに行って下痢をした。で、やっと「びっくりした」とだけ書き送って、またトイレに戻った。
 戻ったら「一応知らせなければと思っただけで、シンガポールから見舞いに帰ってきたりはしないでくれ」と書いてあって、私は相変わらずなんて返していいか分からず「うろたえて即座に腹を壊した」「とりあえず、頑張って」と自分でもどうなんだかなメッセージを書いたら「頑張れと言われても、俺には何もしようがない」と短く返ってきたので私も「そうだね」と返して、それきり会話は途絶えてしまった。

 遅れて起きてきた夫と娘に彼のことを話しながら、膝で開いたノートパソコンで「悪性リンパ腫」「脊椎転移」と検索したら、「ステージ4」の文字が目に飛び込んできた。その時に、自分でも驚いたのだが、泣いてしまった。押さえられなかった。泣き叫んで布団に飛び込んでそれでもしばらく叫んでいた。そんな状態に自分がなったことに、すごく驚いてしまった。私が感じていたのは恐怖だった。住んでいた世界が一変してしまう恐怖だ。これは前に一度、人生で最愛の猫が遠からず死ぬと予告された時に経験したのと同じものだった。まさか、私の愛しい子とあのバカが同ランクの恐怖をもたらすなんて。震えを止められずにいる自分が信じられなかった。そんなに彼を「愛して」いたことに、今の今まで気が付かずに生きてきたのだった。
 一度だけ、彼を恋愛対象として好きになったことがある。小6の時だった。恋愛感情というよりも、独占欲だったかもしれない。私にはあまり友達がいなかったのだが、彼には私より仲のよい友人がわんさかいる事にある日突然気づいてしまった。私に対してだけ懐いているのではなく、誰に対してもそうなのだと気がついた時に、それが耐えられなかったのだと今になってみれば思う。その証拠に、中1になって急に自分にも「クラスの輪に入る」という事象が起こった時、その気持ちは雲散霧消してしまった。
 彼からも一度だけ、高3の時だったか、好かれたことがある。彼は男子校に進学していて、やたら惚れっぽいのに女子との交流があまりなかった。一方で私には当時、人生最高の「モテ期」が到来していて、彼もその一助となったわけだ。当時はよくつるんで遊んでいた、といっても子どもの頃と同じく近所の公園でしょうもない話をしたり、カラオケに行ったり、怖い話をしたり、一緒に塾に行ったりしていただけなのだが、うっすら告白されてでもそのうち彼は別の女子に入れあげ始め、以来ずっと友達だ。とはいえ彼のほうは自分の恋愛相談の時だけ私を必要としていて、ひととおり話が終わると私を鬱陶しそうに追い払うのだった。頭のなかが性欲で一杯だったので、オナニーや風俗通いの時間を食われるのが嫌だったのだろう。
 それでもお互いの恋愛話と近況についてだけは、包み隠さず話していた。それは私が上京して彼が地元で就職しても変わらなかった。特殊な友人であることは確かだったが、突如あらわになった、自分のなかにあったらしい彼に対する「愛」のようなものの重みに耐えられず、ひたすら持て余して、うろたえて、恐怖を感じた。死が自分の近くに突如降って湧いたことではなく、彼を失うことに恐怖を感じたことが恐怖だった。結局その日は食事がほとんど取れなかった。
 よく調べると、悪性リンパ腫というのはステージ4であっても治らないということはなく、逆にステージ1であっても死ぬこともあるという、普通のがんとは少し違う病気であり、つまり彼は死の宣告をされたわけではなかったのだが、私はすっかり「彼が死ぬ」と思い始めていた。なので、一刻も早く、会えるうちに会わなくてはと思ってすぐに飛行機のチケットを取った。知ったのが金曜の朝だったのだが、日曜の朝着の便で帰国して、月曜の朝発の便でシンガポールへ戻る弾丸お見舞いツアーを組んだ。

 土曜深夜のチャンギ空港は深夜なのにオンシーズン真っ盛りみたいに人で溢れかえっていた。シンガポールに来た頃は、空港に立つと緊張と興奮とで浮足立ったものだが、ここでは年に何度も国際便に乗るのが当たり前なので今や何の高揚感もない。それどころか、タクシーで車酔いして具合が悪くなってしまった。うつろな気分で搭乗ゲートに向かっていたら、インドネシア人のビジネスマンが日本経済についてよく分からない質問をしてきて、あまりにも変わらない日常に心が静まり返ってしまう。瀕死の友人に会いに帰るなんて時にも、いつも通り呑気に珍道中なのだった。少しでもシリアスになりたいと思って、トイレで吐いた。
 日曜の早朝に郷里の福岡へついて、喫茶店でしばらく時間を潰して、急に気後れして彼にではなく奥さん用に大きなダリアの花束を買って持っていった。
 最初に私が彼の病室についた時、まだ奥さんはやってきていなかった。現れた私を見た彼は顔色ひとつ変えず、喜ぶでも驚くでもなかった。不思議なテンションだった。あまり見たことがない感じだ。当然いつものような陽気さはないけれど、激しく落ち込んでいる風にも見えない。想定の範囲外の反応を見て、私も自分が予想していたのとまるで違う傍観者的な態度に終始した。静かにしか喜怒哀楽を表さない奥さんだけが唯一、静かの向こう側に溢れんばかりの喜びを讃えて、見舞いの後2人で飲みに行った時も、主のいない家に一泊した時も、翌朝空港まで送ってきてくれた時も「ありがとう」の顔を崩さなかった。
 3年ほど前、彼に一方的に呼び出された私はとあるバーに連れて行かれた。一目惚れしたそのバーの店長である美人を私に見せるためだった。彼は私に彼女をどうにか出来そうか聞きたかったようなのだが、まあまず無理だろうと思って適当に流してそのまま私は忘れてしまっていた。それから1年ほど経った年の瀬の夜、激しく舞い上がった声で彼から電話がかかってきた。実家で親と同居していたばあちゃんが死んで、今日は通夜だと。両親が斎場でばあちゃんに付き添っているから、自分は今実家で犬と留守番中だと。クリスマスにあの彼女と入籍すると。途中でこらえ切れない高笑いをはさみながら、彼は一方的に話し続けた。もう、何が何だか分からなかった。
 彼が言うには、実は彼女のほうも彼に一目惚れしており、ある日唐突に「結婚を前提にお付き合いしてください」と無茶なお願いをしたら「よろしくおねがいします」とありえない返事が帰ってきて、ちょうどその時から1か月後に入籍することにしたという話だったが何かこの男は壮大な詐欺にあっているのではないかと本気で心配になった。昔からそうなのだ。まれに女子から思いを寄せられても見向きもせず、キャバ嬢とか風俗嬢とか、男を振り向かせるのが商売みたいな相手にまんまとハマってしまう。向こうが本気で自分を好きかもと勝手に勘違いして入れあげてしまう。そんなこんなで40才を迎えようとしていた彼のことを私は本気で心配していたし、見た目もお世辞にもイケメンとは言いがたいその男が高嶺の花を射落として一ヶ月後にスピード入籍なんて、到底信じられない話だった。
 けれど、いまだに現実味のない話なのだけど、彼女の彼に対する愛は本物だった。この深い愛はどこから来るのだろうと感心してしまうほどに、彼女は自分の不安を押し殺し、彼や彼の周囲の人にごく自然に、暖かく接する。接客業をしていたからというだけでは捉えられない、上辺だけではない本物の気遣いがあり、もっと彼女と一緒にいてみたいと私ですら思うくらいだった。そんな彼女が全身で彼と、彼のご両親を思いやっていることが伝わってきた。
 「彼の実家へ行って家族でお酒を飲むと、パパが『息子は神童だったんだ』とそればかり言うようになるんですよ。でもどこらへんが神童だったかって話は全然出てこないんです」
 彼女は息をするように笑った。その穏やかさは、奇跡的だった。

 私は見舞いには無作法なほど長い間病室にいることになったのだが、その間絶え間なくやってくる見舞客の多さは驚くべきものだった。広告業界で働いていたので人脈は広くて当然だろうけど、日曜日にわざわざやってくる人は彼のことをこよなく愛する人ばかりだろう。私はその人達と何でもない世間話をしたりして過ごした。なかでも一番の親友だという10才以上年上の男性は、彼の子どもの頃の話を聞きたがり、私はとめどなくバカ話を披露して、皆で涙を流して笑った。
 「こいつが退院したら、『41歳の神童』って名前で闘病記を出そうって言ってるんだ。どの辺が神童なのか、その時にはっきりさせてやろうってね」
 じゃあその時は私に書かせてくださいなんて乗り良く言ってその場は和やかに盛り上がった。でも、やましさのようなものが胸にひっかかった。
 本人は脊椎を骨折しているはずだったがコルセットをしている以外に特に不健康な様子も見えず、元気な時と同様に喫煙して、見舞客と普通に歓談している。彼だけを見ていたら、かなり進行した悪性リンパ腫だなんて話が嘘のようで、うまくすれば2ヶ月ぐらいの入院で復活するようにも思えた。でも一方で、「なんだか三回忌の席みたいだな。皆で彼の思い出話をして、懐かしく笑ったりして」なんて風にもぼんやり思っていて、やっぱりやましいのだった。
 やがて見舞客が帰って、奥さんが用足しに外に出てしまうと、私と彼はまた2人に戻った。何も話すことがない。見舞いで貰った沢山のマンガやDVDについて、どれが面白いか話すぐらいで、すぐに会話に詰まってしまう。彼は疲れて痛みも出てきているようだったから、マンガを抱えて談話室へ移動して奥さんが帰ってくるのを待っていたが、私の心に広がっていたのはなんとも言えない気まずさだった。
 会ってみてから思ったのは、彼は本当に私には会いたくなかったのだろうということだ。知らせたのに一向に来ないというのはそれはそれで気に障るだろうが、私は彼にとって弱みを見せるでも、腹を割るでもない、まことに中途半端な存在なのかもしれない。そして私の方も、彼に掛ける言葉がない。一言も思いつかない。「ふーん」以外の何も言えないのだった。長い付き合いなのだから、会えば空気が分かるはずと思ったのに、全然分からない。
 自分はその友人の、人生で最も長い付き合いであるはずの友人の心が全く分からずにいた。そう思った時に、はたと気づいた。私は彼の心なんてものを一度でも理解したことがあっただろうか?
 彼は一度私についてのコメントをどこかに載せる時に、「きみについて述べることは何もない。ひたすら私を褒めるためだけに生きていきなさい」というようなことを冗談めかして書いたことがある。あれは冗談ではなく、私達の関係の本質だったと今になって気づいた。
 私は彼の気分が良くなるようなことを察して言い、それで彼が喜ぶという、それだけの関係で今まで続いてきて、彼に喜ぶべきことが何もない今になると、お互いにどう付き合っていいかも分からない。昔はもっと付き合いが濃かったのだろうけど、気づくとその頃から20年以上経ってしまった。私には、彼が根を張っている場所の今を知るよしもない。大事なことは知っているような気がしていたけど、実はもう、彼がいま大事にしている世界を、私はほとんど知らないのだ。ひっきりなしにやってくる彼の見舞客を見ながら、「これは小学生の時にこいつを好きになった時と同じ状況だなあ」と私は思った。違うのは、だからといって独占欲も寂しさも出てこないことだ。
 だから、彼がもう死んでしまうのだと思っても、残された時間が少ないのだと確信していても、何もできることがない。したいことすらない。葬式に出た時に、奥さんに掛ける言葉のほうがずっと思いつくというものだ。暮れの帰省のときにまた来るからと言い置いて帰路についたのだけど、果たしてその時に会って何をしたらいいのだろうかと私は思っていた。深刻な状況になっていれば、奥さんもその姿を私に見せたがらないだろう。私の方も、彼の周りの親しい人のように彼に寄り添うことはできそうにない。
 最初に病気のことを知らされた時のあの大きな恐怖は、自分にあったはずの彼に対する「愛情」がすでに変質してしまったことに気づく恐怖だったのかもしれない。それは彼が死ぬより先に、自分が彼を手放してしまったのと同じだから。
 シンガポールに帰ってきてちょうど一週間後に確定診断が出て、彼の病気は悪性リンパ腫ではなく正真正銘の癌だったと知らされた。私が見舞った数日後に足が麻痺して二度と立てなくなったことも。ここからは、余命を生きていくということだ。
 41才の神童が、突然死の淵に立たされている。
 どうやらもうすぐ背中を押されてしまう。
 私が共感できたのは、その恐怖が計り知れないことだけだった。

(つづく)

松下幸 Koh Matsushita
1972年生まれ
福岡県福岡市出身 / シンガポール在住
コピーライターのようなもの
大学中退➝フリーター➝主婦➝フリーター➝会社員➝フリーランス