電王戦とカール君

文 / 山貝征典

 「電王戦(でんおうせん)」という将棋の対局があります。プロ棋士とコンピュータの将棋ソフトが公式に対局するもので、形態を変えながらこれまでに2回行われています。第1回電王戦は、すでに当時現役を引退していた日本将棋連盟会長(当時)である、故・米長邦雄永世棋聖対コンピュータソフト「ボンクラーズ」の対局。米長会長は敗れました。後手となった会長の、練りに練った後手番初手「△6二玉」は、とても印象に残っています。この後手番初手△6二玉に関する論考は、米長永世棋聖の著書『われ敗れたり-コンピュータ棋戦のすべてを語る-』中央公論新社/2012、にくわしく書かれていますので、ぜひどうぞ。
 コンピュータ将棋といえば、ファミコンの「内藤将棋」で16手でコンピュータに勝てるというショボ裏技があったようにとても弱く、研究が進んでいたコンピュータチェスとは違い、将棋はやはり人間の独壇場だという時代がずっと続いてきました。しかし、近年すさまじい勢いで研究が進んで強くなってきたコンピュータ将棋。電王戦が始まる前数年間は、まさに日に日に強くなってゆくコンピュータが次々現れ、公式の場でプロ棋士が対局することに米長会長自身そして将棋連盟が制限をかけていました。対局の条件設定や判断基準が未確定で、なおかつ人間の将棋とコンピュータ将棋がそもそも別物である可能性を不明確なままに、不用意にプロが負けてお互いにマイナスになる情報が一人歩きしないように、という配慮もあったようです。
 そんな中、それでもコンピュータとの対局を公式に行うことになった2012年1月、米長会長は自身が実験台になり第1回の電王戦が開催されました。その際の対局に関する条件設定やかけひきで、さすが米長先生という事例が2つありました。1つ目は、そもそも当時会長はすでに引退していた「引退棋士」であったことがあげられます。もしコンピュータに敗れたとしても、まずはショックを和らげる1つの材料になります。2つ目がさらにクールなポイントで、第1回電王戦で米長会長は椅子に座っての対局を選び、なおかつスーツ姿でのぞみました。将棋のタイトル戦では、棋士はもちろん畳に正座、和服着用です。そもそも椅子での対局自体は一般棋戦でもありません。しかしこの特殊なはじめての実験の場では、和服で正座は「なんか違う」として、スーツで椅子に座っての対局の状況をつくりだすセンス!その対局後すぐに第2回を団体戦でやりますと宣言してくれた米長永世棋聖は、第2回電王戦開催前の2012年8月に永眠されました。
 さて、この米長vsボンクラーズを起点にスタートした電王戦は、2013年3月から4月にかけて行われた第2回大会では、コンピュータ対「ついに現役の」棋士5人による団体戦で行われました。結果は1勝3敗1持将棋(引き分け)で、団体戦としての結果ですが現役プロ棋士がコンピュータに公式に敗れる、というものでした。現役棋士がコンピュータとガチで勝負というフォーマットとなり、いよいよ本格的に始まった電王戦。報道では、プロの棋士とコンピュータの将棋ソフトどちらが勝つか?結局どっちが強いの?という一義的な勝ち負けの面はやはり強調されてしまいます(そして、いかにもなIT系研究者の顔つきで、いかにもな気持ち早口なしゃべりかたで、いかにもな含んだ笑いかたをするコンピュータ将棋開発者の勝者インタビューを見たら、うーやっぱり棋士に勝ってほしい!と思ってしまうところはあります)。第4局で副将・塚田泰明九段は、Puella αに対しての一方的な負け模様を泥沼の持将棋に持ち込みなんとか引き分け。すでに2敗しているプロチームは、ここで塚田九段が敗れると負け越しが決まってしまう対局でした。対局後のインタビューで「(もうほとんど負け将棋だったのだから)自分から投了する考えはありましたか」という問いに対して「団体戦だから…自分からは(言えない)…」と、こらえきれずに涙を拭う姿からは、電王戦って実はとんでもないものを始めてしまったのかもしれない、と思わざるをえませんでした。
 電王戦のルールで、そもそも生身の人間とコンピュータとの対局の条件設定をどうするのかという肝の部分は、さぐりさぐりで進められています。休憩時間、昼食のメニュー(コンピュータにとっては電圧や電気の種類?)、持ち時間、正座のしびれ、疲れ、PCのスペック、体調、賞金…という、到底公平にはできない人間とコンピュータの条件の差異を認めながら、マイナーチェンジを繰り返しながら、それでも人を寄せつけ注目を集める棋戦になっています。この棋戦自体が実験場であり、勝ち負けがクローズアップされることには違和感もあります。しかし始めた以上細かい条件を抜きにして「人間様が負けるわけないんだ!コンピュータなんてコテンパンにやっちまえ」という盛り上がりこそが、見る将棋ファン層の裾野を広げるということでもあるので、地味にストイックにやるばかりが正解ではないでしょう。走りながら考える将棋連盟の身軽さ、現会長の谷川浩司九段はじめ関係者のかたがたの、米長永世棋聖の意志を受け継ぐ力強さを感じます。2013年の第71期名人戦での羽生善治三冠対森内俊之名人の、七番勝負第5局初日で森内名人によって指された△3七銀という手は、電王戦で登場したコンピュータの指し手からの研究による新手であるともされており、やはり電王戦そしてコンピュータ将棋は、将棋の可能性をさらにひらくものかもしれません。
 80年代に「ビートたけしのスポーツ大将」というテレビ番組で活躍した「カール君」という陸上ロボット(?)がいました。レールの上をものすごい速さで滑走する人型の機械で、100m走を人間の一流陸上選手と並走し対決するというコーナーです。機械でシャーッとぶっちぎりで進んでいる相手に人が勝てるわけがないのに、みるたびに「いけるいける!もうちょい。あーダメだったー」と応援し、人間が負けるとなぜかくやしくなっていたものです。しかしよくよく考えれば人が勝つわけないし、機械に負けてもくやしいとかではない…はずだったのです。条件設定をスルーした茶番をわかっているつもりでも、熱くなり楽しめてしまい前向きに笑いが起きるカール君のすごさ。将棋の電王戦は、この構図とどこか近いところがあるのかもしれません(そしてなんと、ごくたまにカール君はレールから脱線して本当に負ける時もありました!)。
 2014年春には第3回の電王戦が行われます。A級在位中の屋敷伸之九段、実力者の森下卓九段、人気者の佐藤紳哉六段など、またもやすばらしいメンバーのエントリーとなりました。楽しみです。

山貝征典 Masanori Yamagai 
キュレーター 1977年新潟県生まれ、長野市在住
清泉女学院大学専任講師/有限責任事業組合OPEN組合員
公立の美術館勤務を経て2011年より長野にて活動、
専門はアート・マネジメント、現代美術のキュレーティング
http://www.seisen-jc.jp
http://open-gondo.com