死について

文 / 山本正人

真夏の汗ばむ夜、
子供達の歯磨きが終わり、
ベッドに横になったとき、徐に6歳の長女が言った。

「大きいおじいちゃん、なんで死んだの?」
その質問に私は少しドキッとした。

今年の春に他界した曾祖父の死が、
長女の莉子の心にずっと引っかかっていたようだ。

曾祖父はこれまで、大きな病気も無かったのだが、
ちょっとした小旅行から疲れが溜まったのか肺炎に掛かり、
そのまま逝ってしまった。
老衰に近いのかもしれない。
しかしながら、約一世紀近くの人生は、大往生だったのではないだろうか。

実をいうと私は、このような質問がいつか子供達から来るかもしれないと思っていた。
それは私が幼い頃、同じように悩んだときがあったから。
丁度、莉子くらいの歳頃だったと思う。

当時の幼い私の経験は、
あまり優しいものではなかった。
母に投げかけた“死”についての返答は重く、
その夜、泣き疲れるまで泣いて、すぐには寝付けなかった記憶がある。

私は、娘のこの疑問に
しっかりと向き合わなければいけないと、
隣に横になって話した。

「おじいちゃんはね、長〜く長〜く生きてきて、
莉子よりも、お父さんよりもずっとずーっと長く生きて、
天国に行く、その時が来たんだよ。
莉子、人はね、誰でもそういう時が来るんだよ。」

私は考えていた。
変に誤摩化して言うよりも、
出来るだけ正直に話そうと。
それは私が当時、幼心に人生について考えたことで
今この時があると感じていたからだ。

「莉子、死ぬのやだもん」

莉子は私の胸に顔を埋めた。
私は、そんな娘の頭を撫でながら出来る限り優しく言った。

「そうだね。でも、おじいちゃんは莉子の何倍も何十倍も何百倍も
ずっとず〜っと長〜く生きて、
楽しかったことも沢山あっただろうし、嬉しいこともたくさんあったろうし、
まあ、少しは悲しいこともあっただろうけど、
それ以上に楽しいこと沢山たくさん人生を十分に生きて、そして天国にいったんだ。
お父さんだってまだず〜っと先。
だからこれからも、莉子もお父さんもお母さんもみんな、ず〜っと一緒だよ。
莉子はまだまだ沢山た〜くさん楽しいこと嬉しいこといっぱいするんだよ。
ほら、明日お友達にお手紙渡すんでしょ?何ちゃんだっけ?」

夕飯の時に聞いていた、明日お友達と遊ぶことについて少し話した。
徐々に莉子の顔と声に喜びが戻ってきた。

私は言った。眠りにつけるように。
「莉子の遊んでるとこ、きっとおじいちゃんもお星様になって、笑って見ているよ。」

「おじいちゃん見てるの?」

「ああ、いつもお空から、みんなのこと見ているんだよ。」

「ふ〜ん。」

「だからほら、もう目を瞑って。
また明日たくさん楽しいことして遊ぶんだから。」

山本正人 Masato Yamamoto 1976~
群馬大学教育学部卒 長野市在住