アートと思考③ ~シャロン・ワートハイマー、私は私を歓待する

文 / 服部洋介

“Écrits”  Sharon Risa-Risa Wertheimer, 2010

“Écrits”  Sharon Risa-Risa Wertheimer, 2010


 東京大学が、デュシャン「大ガラス」のレプリカを蔵することは、前稿『裸にされた花嫁としての松田朕佳、さえも』に書いた。2001年、東京大学総合研究博物館は、『真贋のはざま――デュシャンから遺伝子まで』(*1)と題するカタログ的な論集を刊行している。総論の見出しは「揺れ動く「真」と「贋」」、第3部「複製美術論」では、デュシャンのレディ・メイドが取り上げられ、その意義を回顧する内容となっている。
 現代思想において、「真」と「贋」、「オリジナル」と「コピー」の関係は、機械的「反覆」と、再現前化することのない「反復」、つまり「反復と差異」の問題として展開されてきた。従来、贋は真を模倣するものであり、模像としてのシミュラクルに対し、オリジナルは、前者に対する優位と、自己の特権的地位とを主張し続けてきた。オリジナルは、それ自体が既得権なのだ。しかし、ダ・ヴィンチは、本当に一番達者なモナ・リザ作者なのだろうか? あるいは、新薬とジェネリック医薬品の関係はどうか。医薬品の開発が真に人類益のために行われるならば、オリジナルが単一である必要はないだろう(*2)。オープンサイエンス化して、世界同時に開発を進めればよい。良くも悪くも、オリジナルとは、それ自体が利権である。それを歴史的正統性と言い換えることもできよう。いわば、一種の記念としての意味しかもたぬ「考古学的」事実に、あらゆる権益が付随する仕組みが存在しているのだ。著作権もその例外ではない。
 一方、デリダらにしてみれば、「本物」なる立場は、現に「偽物」が存在しうるという可能性のうちにおいて成り立つものである。換言すれば、「真のオリジナル」――より正しくは、コピーが存在しえないがために、オリジナルでもコピーでもない「もの」――は、およそ思考しうる何事かではありえまい。それは、あらゆる主意的な視点、立場の拒絶である。男女が平等である、という理念を果たして言葉にできるだろうか? 両者の関係は「男-女」なのか「女-男」なのか、なぜ男(女)が、女(男)に優先するのか? しからば、男も女も含まない別の単語によって「男-女」を表現するのはどうか。しかし、かかる語を辞書でどう解説すればよいというのか。再び、男-女の先後関係が議論の俎上にのぼることは免れ得まい。男女平等という名の「薬」は、同時に和解不可能な「毒」をも含んでいる。それが、デリダのパルマコンである。現実は、イデアを多様な形で反復する。だが、決して、イデアに辿り着くことはできない。なぜなら、男女の差異という現実こそが、男女平等という形而上学的理念を遡及的に要請するからだ。理念なるものは、もとからどこにも存在しない、正統でも非正統でもない「必要上の要請」なのだ。理念が事物の起源として求められるとしたら、それはある種の加上説である。未だ実現されざるものが、歴史の開始点に呼び出されるのだから。
 もし、現実において事物の解釈がただ一通りしか許されないならば、それは、疑似イデアの機械的反覆、その強制である。それは、イデア的なものの前にあらゆる差延が抑圧され、利権と独占の構造が制度化された――男-女を決して女-男と書くことができないような――状況を意味しよう。アートも同様である。「これがアートである/これはアートではない」といったアートの本質論、「オリジナルのアート」なる理念はどうだろうか? アートではないと宣告されたものは、即座に退去を命じられる。デュシャンの哀れな「便器」のように。彼が一時期、サント=ジュヌヴィエーヴ図書館の司書職についたのは、パリのアンデパンダン展で反対派に『階段を降りる裸体』を撤去され、芸術家なる人種と話すのさえ不愉快になったからだ。
 くりかえしになるが、真贋の二項対立は、一般に、真を贋の上に置こうとする階層的二項対立である。真なるものが求められるのは、贋なるものが問題となる限りにおいてであるとすれば、このヒエラルキーは解体されなくてはならない。贋を欠いた真が現実に存在しないからこそ、真贋という関係が成立するのであって、真なる実体が単立して存在するというありえない前提に発する全ての思考は「現前の形而上学」である。真が真としての立場を主張するのは、贋によって真の利権が脅かされるためである。ゆえに真はにわかに特権化され、自己同一性を主張し始める。もともとどこにもなかったはずの真という概念が、贋を抑圧するために担ぎ出されるのだ。モナ・リザは確かにダ・ヴィンチによって描かれた。だが、それはダ・ヴィンチがそれを描いたという史料にすぎない。従って、それは、あらゆるモナ・リザの唯一の完成形ではない。それを世界最高の名画と評すること自体が、エクリチュールから引き出された差延的解釈の一つであって、他の見方に対し、何ら特権を有するものではない。現に存在するものは、歴史史料にすぎず、ダ・ヴィンチにしても、数あるモナ・リザの最初の一枚を描いたにすぎない。モナ・リザを描こうとする全ての者が抱く「最高のモナ・リザとはこうしたもの」なるイデアは、どこにも現前することのない不定のものなのだ。こうも言えるだろう。現に残されたものは、まさにそのゆえに「遺産継承」的に反復されえるのだと。しかし、二枚目のモナ・リザが許されるのは、せいぜい現代美術とコミケくらいなものだろう。だが、これにしても、やりすぎると当然、怒られる(*3)。 
 一方で、絶対的オリジナルをめぐる争いは、時に利害を超えたところにある「固有なものの固有性」を擁護しようとする奇妙な心性を垣間見せる。オリジナルの同一性を脅かす挑戦に対する激しい抵抗は、現実の利害すら希薄化したところで純粋に自己主張を始める。子どもの心理を見てみよう。お気に入りの消しゴムと同じものを、誰か他の同級生がもっていたとする。子どもは「僕の真似をするな!」と友人にくってかかることだろう。大事なのは、誰が最初にオリジナルを独占するかである。それが現前しない時は、自分でこしらえて現前化してしまうことすらある。2000年に発覚した宮城県・上高森遺跡の旧石器捏造事件は、架空のオリジナルが、「自己=権力」画定の方便として求められた一例といえよう。
 オリジナル、すなわちイデア的形而上学について、論証の観点から考えてみよう。すなわち、オリジナルにふさわしい、唯一かつ単独の本質、起源を明晰に求めうるか否か。その特権的起源――例えば、作品における作者の意図、結果における原因のようなもの――について解釈し、論証を試みた瞬間、それは不完全なものとならざるを得ない。それはドゥルーズが機械的「反覆」に例えた科学法則も例外ではない。物理法則が常に確実性をもって反復されるという確証を、われわれはもちえない。それは、ヴィトゲンシュタインによる論理における因果律の否定であり(*4)、ヒュームを専攻したドゥルーズにおいても了解されていたことであろう。一方、中村八束博士は、論証の不完全性を「ドミノ倒し」から説明する。最初のドミノを倒せば、連鎖的に最後のドミノが倒れる――この一見自明な因果関係は、論証としては不完全なものだという。「最初のドミノを倒したから最後のドミノが倒れたという論証には、途中で誰かがドミノ倒しの邪魔をしないという前提が含まれている。地震が起きる、隕石が落ちる、人が手を出すというような無数の前提については、考えられていない。起きたことだけを論証しても、起きなかったことの理由を説明できなければ、それは何も言っていないことになる」(*5)(この論法でいくと、世界のあらゆる論証に隕石が登場しなくてはならないことになるだろう、笑)。これはいわゆる「前後即因果の誤謬」の視点である。「真の原因」なるものが、実際には「現前の形而上学」であり、現に「結果」が存するがゆえに、「結果」から遡及的に求められ、その不定性(差延)を無視して恣意的に単一化されたもの、すなわち、後件肯定の一種である。というわけで、現代科学は実体論を捨て「真の原因でなくとも、事象の予測と制御が可能なら、まあよし」として、構造主義的に思考する(関係論)。最初のドミノの転倒も、結果に対してあながち無関係ではない。現象的には、一つのパッケージとして把捉されるからだ。
 前稿で紹介したデュシャンの言葉はこうだ。「一種の意識形式の中に無意識を誘導するように試みること。(…)そしてこの無意識から出てくるものを定義するために言葉を課さないで、そうすること」(*6)。一言でも断定的な説明を加えたならば、論証は不完全なものとならざるを得ない。芸術家が何らかの意図、すなわちオリジナルなアイディアから作品という模像を引き出すというイデア的な説明自体も、不完全な論証である。その作品が現に存在するという事実――その起源を明らかにすることはもちろん、作品を作者に従属させることも正当ではない。それは事実のごく一部にすぎないからだ。デュシャンはこう言った。「芸術家は自分が何を制作するのか何もわからないし、自分が何を制作するか何ひとつ理解していないのです。(…)芸術家は一番最後になって、自分がつくるものを判断できるのです。ですから、あなたがすべての芸術家にそれを尋ねたら、彼らはこう言うでしょう。私はばかです、私は何も分かりませんと」(*7)。芸術を作るのが芸術家なのではない。議論は既に、芸術家の作るものが芸術なのだという解釈学的循環に陥っている。デリダは言う。「芸術作品は、芸術家に由来する、と言われる。しかし、芸術家とは何であるのか。芸術作品を産出する者である。芸術家の起源は芸術であり、芸術の根源は芸術家であり、「そのいずれも他方なしではありえない」」(*8)。「何によって芸術作品はそれと認められるのか。これは法的で抽象的な問いではない」とデリダは指摘する。デュシャンにとっても、芸術について語ることは(ヴィトゲンシュタイン的な意味において)、意味(真理値)のある命題ではなかった。芸術なる実体的概念から演繹されるものは何もない。むしろ、芸術家が存するがために、芸術なる利権的形而上学が求められ、その画定もまた可能になるのである。デュシャンは透明なガラスを用いて、移り変わる世界そのものを作品の背景に取り込んだ。あるいは既製品を用い、芸術家一人が作品の作者ではないことを示してみせた。作品が存する根拠は、根拠律においては語られない。「作品を真に完成させるのは後世の鑑賞者である」とする彼の言葉は、単に芸術作品の美的耐久性を意味しない。作者の特権的地位、そしてオリジナルという「言い出しっぺの既得権」の放棄が表明されているのだ。
 もっとも、芸術を非芸術から区別する構造を支配してきたのは、必ずしも芸術家ばかりとは限らない。村上隆は、世界標準としての西欧型ARTの構造を、「資本主義経済を徹底させることで」成功したアートと位置づける。ARTは戦勝国たるアングロ・サクソンの発明品なのだ。そのルールを知らない日本人は「自由」という名の野良犬」であり、ルールという首輪でつながれない限り、世界のアートシーンで「自由に」戦うことはできない、と指摘する(*9)。日本人は、そもそもARTをしていない。英米主導のルールを解析し、それに則って制作されたものだけがARTだからだ。そこに台頭著しい中国が割って入り、自国の芸術家の地位を押し上げようとしている。アジアン・コンテンポラリー・アート・オークションの隆盛もその一側面だろう。
 一方で、村上はもう一つの見解を披歴する。「芸術というか、芸術家というのは歴史の中に残っている人のことです。例えば、ぼくとあなたが共通して知っている芸術家が五〇人だとしたら、二〇〇〇年くらいの人類の歴史の中で芸術家はたったの五〇人しかいないということです」「それくらいの確率でしか出ない天才というか、運のいい人のことを、ぼくらは芸術家といっている」(*10)。この場合の「芸術」とは、およそ純粋に美術の語彙によって自律的に定義づけられるものではなく、多くの社会的・政治的要因と撞着し、結果、歴史に残る強度をもった作品だけが「芸術」と呼ばれうるという、いわば、事後の結果から、遡及的にこれを定義せざるを得ない特異性に基礎づけられている。その個別で具体的な「芸術」を普遍主義によって独占しようとするのが、米英の文化装置たるARTなのだ。(*11)
 一方、デュシャンの言い分は、こうだ。「あらゆる時代にすばらしいやり方で表現すべき無意識を持つ個々人がいても、彼らは個人的健康が理由にせよ、運がないことが理由にせよ、運勢に欠けることが理由にせよ、決して「抜け出して」これなかったのです。(…)偉大な芸術家は、一般的にたいへん運がいいのです。おまけにね。偉大な芸術家は、「世に出る」ときは、社会的条件によって「世に出る」のを助けられて「世に出る」のです。分かりますか、それでもそれは運なのです」「復権された人々とは別に、人生(そのもの)のゆえにさえ、そうされずに壊れてしまった人々、生み出せなかった人々がいます。残念に思うのは、そうした人たちが現にいないことです。(…)それに反してわれわれには、残った人々、しばしば運によっても残った人々、某国王殿に大いに愛され、ルーヴルやヴェルサイユに作品を残すことになった人々、自分の上を通過しえた悪い時代にもかかわらず残った人がいる」(*12)。デュシャンがルーヴルの価値観に同意していなかったことは、前稿でも述べた。「ルーブル美術館、プラド美術館、ナショナル・ギャラリーと呼ばれるものは、凡庸のたまり場なのです。(…)ですから、これらの時代のまったく傑出したものの中に自分がいるなんて思うべきではありません。失われた多くのものがありますし、残ったものより失われたものの方がはるかに多いかもしれません」(*13)。つまり、デュシャンはこう考えたのだろう。「歴史に残った芸術が偉大とされるのは、もっと偉大な芸術が世に出なかったからである」と。隕石について言及されないからこそ、最初のドミノは起源としての特権を独占することができる。ARTという閉域を解き放ってしまえば、歴史主義は失効する。私たちは、単に残されたものだけが全てと思い込んでいるにすぎない。したがって、いつまで待っても、真のアートなるものの全貌が現前することはない。ゆえにデュシャンは、NULLを返すような問いは、問いではないと考えた。一方で、村上はARTとは何かに明快に答える。それは目下、英米美術であり、歴史(つまりはメディア)に刻まれたものだけがARTなのだ、と。ARTにおけるこの植民地的コンテクストについては、次稿以降で取り上げることとなるだろう。

 さて、しめくくりに、今回掲載した組写真『Écrits』の作者、S.RR.ワートハイマーを紹介しよう。着目すべきは、そのステートメントだ。

 1 「私」は「私の」作品の作者ではない。
 2 「私の」作品の作者が「私」である。
 3 「私」という語の意義は、「私の」作品という語の意義から導かれる。
 4 「私」は「私の」作品から定義される。
 5 「私」は「私の」作品の同一性を証明しない。
 6 「私の」署名が、私の唯一の証明である。
   なぜなら、「私」は決して現前することがないから。
 7 「私」は数知れない「私」を歓待する。
   ゆえに、これより先、贋作者と呼ばれる者はいなくなるだろう。
 8 「私の」作品のプライマリーは常に0ユーロでなくてはならない。(*14)

 「署名」「歓待」はデリダのキーワードである。ワートハイマーは現前しない。作品のあるところに、作家が存するのである。従って、署名さえすれば、誰もがワートハイマーになれるという寸法である。だが、いくらワートハイマー名義の作品を作っても、作者も画廊も全く儲からない。プライマリー価格が0ユーロと定められているからだ。従って、作者たる地位と、それに付随する単独の特権を全て放棄せずには、作品の対価が得られない仕組みとなっているのである。また、誰が描いてもワートハイマーの作品ということになれば、テレビに出演している人だけが有名人で、本を出版している人だけが権威というような図式は、ここでは成立しない(*15)。一人の卓越したワートハイマーがあらわれたなら、他のしょうもないワートハイマーをも無視することはできない。現実は所与のものではない。自身の目で直に確かめるべきものなのだ。この作者の意図が、デリダ的「歓待」にあることは、言を俟たないだろう。「無条件の歓待」の結果として、作者自身が侵犯されることを、ワートハイマーは拒まない。そのためには、生身の作者は、消滅しなくてはならない。いわば、天使のごとく生きるために。
 今や、独占によってアートの価値を高める時代は終焉を迎えようとしている。ARTの非武装化、そして解体へと、トレンドは変化しつつあるように思える。それは、ARTの側に独占されたデュシャンの遺産を奪還し、不当な署名によって遺産継承する野心的な試みでもある。デュシャンが挑んだもの――それこそが、今やARTの核心ともいえる近代マネーそのものだ。その起源は実に17世紀にさかのぼる。現代美術の祖としてのデュシャンの怠惰は、まさにマネー・システムそのものへの造反だった。対する現代ARTの旗手・村上隆は、勤勉と努力をもって、マネーの支配する世界を一旦は受け入れる。ここに、アート版「東西文明対抗史観」ともいえる『芸術闘争論』の置かれた植民地的状況が際立ってくるのである。

    (*1)東京大学コレクションXII『真贋のはざま――デュシャンから遺伝子まで』西野嘉章編,東京大学総合研究博物館,2001
    (*2)現状ではCiRAの知財戦略が現実的だろう。「特許というのは一般的には、技術を独占する民間企業であったりが技術を独占して、自分たちだけで研究を進め、開発を進めるためのものなんですが、私たち京都大学は、逆に、独占させないために、京都大学が特許を取ることが重要であると考えています。公的機関である京大が特許を取ることによって、いろんな企業であったり、研究者が自由にリーズナブルな条件でこの技術を使える、そのために頑張って特許の取得に力を入れています」(山中伸弥,NHK『クローズアップ現代』「ノーベル賞 山中教授に聞く」2012年10月10日放送)
    (*3)村上隆は積極的に自作にコピーライト表記を導入(『芸術闘争論』村上隆,株式会社幻冬舎,2010,p.102-103)。なお、2012年に全英チャートを制覇したMumford & Sonsのアルバム『Babel』のコピー表記中に、当該CDの貸出を禁ずる一文が掲載され、その法的有効性に疑義が呈されたのは記憶に新しい。なお、JRはそのアート・プロジェクトの中で、自作を使わずに、マン・レイ、ヘレン・レヴィット、ジャコメリらの写真を使用している。「今日では自分の写真かどうかは関係ありません。その写真を使って何をするかが大切なのです」(JR’s TEDPrize wish: Use art to turn the world inside out / Translated into Japanese by hiroko nakatani, 2011)。
    (*4)『論理哲学論考』を見よ。例えば5.1361,面白いのは6.36311など。
    (*5)筆者との対話より。2012年4月24日,11月20日
    (*6) (*7) (*12) (*13)『デュシャンとの対話』Georges Charbonnier 1961 / 北山研二訳,みすず書房,1997,p.28-29,p.19,p.38,p.105
    (*8)叢書ウニベルシタス590『絵画における真理 上』Jacques Derrida / 高橋允昭,阿部宏慈 訳,法政大学出版局,1997,p.45,46
    (*9)村上,前掲書p.31-32,38,67-68
    (*10)村上,前掲書,p.278
    (*11)服部『越ちひろ展 強く儚き優しい絵』パンフレット所収「越ちひろ ART、マネー、そして野良犬」参照。2013
    (*14)Sharon Risa-Risa Wertheimer『Definition of “my” work and “me”.』,web,筆者訳
    (*15)中村八束『書評 今を生きるための哲学的思考』も参照せよ。web,2012

服部洋介 Yousuke Hattori
1976年 愛知県生まれ 長野市在住
文学学士(歴史学)
yhattori@helen.ocn.ne.jp
http://www.facebook.com/yousuke.hattori.14