Ausgang

文 / 松田朕佳

ausgang-637

一睡もできなかった、と目覚めたのか、本当に一睡もしなかったのか。ベルリンに到着して3週間、太陽はまだ一度も顔を見せない。ぼんやりと歩き回る。なぜここにいるんだろう。あ、デジャブ。いや、前にも来たんだった。初めて会うのにずっと前から知っているような親しみを感じたり、何度も会ったことのある人に対して初めて会ったような感覚を抱いたり。昨日が前世のように遠く、今日はもう一度訪れている過去のよう。元素が覚えているから、と言った君の言葉をこの頭が忘れても、それでも元素は覚えているだろうか。何億年もの過去の蓄積された記憶の海に、その言葉は、元素は深く沈み、もう二度とすくいあげられなくなったとしても、どこかにあることを知っているということがあるだろうか。記憶喪失のように憶えている出来事。ヤドカリに宿を貸してしまって家を無くした私は、カメのように家をしょって歩く。バックパックが重く肩に食い込む。毛細血管は切れて吐き気と目眩。腕がちぎれても拾う腕はもう無い。カメの顔は老けるわけだ。

この国の地下鉄には改札というものが無い。2時間有効な切符を自販機で買い、もしかしたら確認に来るかもしれない駅員の為にポケットに入れておく。あちこちに貼られている監視カメラがあります、という目の標識。切符を持っていなかった時の罰金は40ユーロ。この3週間、一度も駅員に出くわさない。なんだか目の標識に見られながら切符を買うのがばかばかしく思えてきていた。しかし今日、ついに駅員が回ってきた。そんな日に限ってホームで有効時間の残っている切符を知らないおじさんから安く買っていた。どこから来たんだ?と訊くので、日本から、と答えた。おじさんは?と訊ねると、リトアニアからだ。フェリーで来た。バスもあるけどドイツの経営だから高いんだ。フェリーだと海が見えるしね!と教えてくれた。瞬間、私はリトアニアからのフェリーの甲板から青く晴れた海を眺めた。そしてまた薄暗いベルリンの地下鉄に戻り、そういえば時間は確認したけど日にちは見てないな、と不安がよぎる。駅員の目が私の切符から離れてほっと一息。胸を撫で下ろし、向かい席の人が捕まるのを眺めながらこの3週間の切符代を頭の中で計算してみる。罰金の方が高い。さすがドイツ人、と感心する。心理と統計を駆使したシステム。地下鉄経験を通してドイツ哲学に触れた気がする、などと考えながら電車から降りてホームから線路を見下ろす。灰色の石に混じってネズミが一匹ちょろちょろ走り回っているのが目に留まった。あ、もう一匹。あっちにも!見え始めると石だと思っていたのが全部ネズミでちょろちょろうじゃじゃうごめいている。気がつくと私はまたAusgangに来ていた。

地下鉄に乗るとよくAusgangという所にくる、というより、いつも近くにある。地下鉄の線がいつもここに吸い寄せられるようにどの線に乗っても必ず通る。またAusgangにきたね、と言うと、「出口」という意味だよ、と教えてくれた。ベルリンの大きなミステリーが解け、一つのAusgangを中心に何次元にも絡み合った地下鉄の線が一斉に散らばって平に広がった。世界が開けた瞬間だった。  
   
Ausgangから駅を出て歩く、ここはどこだろう。トルコ料理店、カフェ、パン屋の多い通り。おじさんが後ろからついてくる。つけられているな、と思って道を渡って方向転換、と思ったところで話しかけてきた。「ベトナム人か?」と。ドイツ語でしゃべり続けるが、私には一言も理解できない。コーヒーという単語とジェスチャーでカフェに行こうと言っているのだろうと予測できた。知らない人についていくと知らない所へ行ける、という法則に従い、ついていくことに。ドイツ語に全く馴染みがないため、口から出てくる音ということしか分からない。だから私はその音を真似して歌った。いくつか分かった地名や単語から、彼はフランクフルトにトルコケバブ屋をもっていて結婚しておらずお金はある、ということが分かった。お金は問題ない、たくさん持っているんだ、と何度も言う。私だってお金は持っているよ。米ドルと日本円も少し。ユーロの両替がなくなって銀行までの地下鉄代すらなくなってしまったけれど。それにしても、こんなにはっきりとお金を持っている、と何故言えるのだろう。貯金の無い私にはお金を持っている、という感覚はあまりない。たまにもらったお金が財布に入っていたり無くなったりするだけで、持っているんだ、と実感したことはないな。そうか、このおじさんはお金を持っているのか。フランクフルトまでついていって、内臓を売られた私は切り刻まれ、ラム肉に混じってケバブ屋台の回転グリルの上で炙られるのを想像して笑った。私の知らない言葉を話し続ける彼に「さようなら」と言って走ってその場を立ち去った。知らない道に来てしまったな、と思いながらうろうろ歩いていたら最寄りの駅の裏にでた。いつも駅の出口を出るとアパートに向かって歩くので駅の反対方向にも道が続いているのを忘れていた。いつだったか友人が、ブタは空を見上げることができないんだ、と言っていたのを思い出した。人は何を見ていないのだろう。

見てごらん、この冬の木を!この純白の雪を!真実を、完璧を唄っているだろう?喧騒から離れ、残存のために横たえるんだ!と、彼は歌うように近づいてきた。1フレーズ50セントから、全部だと500ユーロでいいよ、と手書きのメモ用紙を私に見せる。私の詩と交換っていうのはどう?と言うと、君はマスターなのか?完璧にアートを、芸術をマスターしたというのか?と訊いてくる。負けたくない。でも、その問いにYESと答えることができないのを自分が一番良く知っている。・・・たぶん。とだけ言った。彼は言う。この言葉は完璧なんだ、と。一滴でも欠けていてはいけないよ、それは浮気のようなものだからね。いつか完璧になったときに交換しよう。そして私は50セントを彼に渡した。囁きあおう!世界は静かすぎるから!と言う言葉を私の耳の中に残して彼は去っていった。

雪道。擦り減った靴底から水分がじわじわと染み入ってくる。ずいぶん長く歩いた。室内に入ると体に溜め込んでいた冷気が一気に発散され、靴が含んだ水分もゆっくりと床にしみ出していった。

松田朕佳 Matsuda Chika 1983年生まれ 美術家 
信濃町在住
ビデオ、立体造形を中心に制作。2010年にアメリカ合衆国アリゾナ大学大学院芸術科修了後、アーティストインレジデンスをしながら制作活動をしている。
www.chikamatsuda.com