反1969論 ロックの反復 其の二

文 / 納和也

祭典の日( 奇跡のライヴ 2007) レッド・ツェッペリン DVD(2012) より

 1969年に起きたロック、ジャズ、現代音楽の奇跡は前回にも書いたが僕がとても興味深い部分としてそれ以後の実務としての音楽の反復である。ジャズはマイルスデイビスでのエレクトリックを取り入れた新たな音への探求、ジョンコルトレーンにおけるアフリカへの回帰、それに伴うフリージャズへの移行、オーネットコールマンに於けるフリージャズの提唱によってある意味アカデミックな方向性としてジャンルを超えたようでもジャズに帰結する音楽の進化、現代音楽はいかにその実験性によってファインアートとの関係を維持し交流を繰り返し、音の扱い方、聴き手の意識改革へ。

 ではロックはどうか?それは前回に続いてレッドツェペリンを題材にしてみる。レッドツェペリンは1969年にそれらのムーブメントを様式美化しファーストアルバムを制作した。ブレーンもピーターグラントという5人目のメンバーといって差し支えのない巨漢のマフィアのボスのような男と共に一つの1970年代のビジョンを確立し、それによって以後のロックは芸術ではなく一つの労働形態、多大な収益を隠さないで反復する事によって他の音楽形態とは異なる形で実践しそれが音楽そのものの進化とは無縁の形で生き延びて来た。まず大きく他の音楽形態と異なる点として重要なのは極限まで電気によって増幅された音によってミキシングの細かい設定も確立をしていなかったその時代、もちろんメンバーもモニタリングもなしで大音量の音の中でジャズのようにインプロビゼーションを行うのではなくその公演場所の設備の違いによって意図的ではなく出来る事の限界の中で演奏を毎晩のように労務していた。前の日の演奏と本日の演奏の違いは分析出来るとしたらその公演会場の設備を洗い出す事しか出来ない。

 演奏の発展、新しい音楽への追及はぜずに同じ曲を悪条件の中繰り返して演奏していた。演奏の進化はまるでなく只々演奏し大音響の中で演奏者、聴衆は前後不覚になりその繰り返しが毎晩続き、メンバーはそこで得られた利益でクスリ、酒を飲みよりライブでのコントロール不能の大音響での演奏に臨みその臨界点、そこから進化もしない音楽、それがロックの特性ではないか?大音響の中で音は日によってその条件によって演奏ミスをインプロビゼーションと捉えてロックの進化というのはナンセンスであった。ロバートプラント、ジョンポールジョーンズ以外のジミーペイジ、ジョンボーナムはそのそれ以上発展の余地もない押し寄せる快楽と労務の厳しさによって崩壊してゆく。ジミーペイジはジョンボーナムの死の後偏執狂とも云える執念でレッドツェッペリン消滅後もレッドツェッペリンに執着していた。

 ジミーペイジは自分の演奏のコレクターに変貌して行き世界的に有名なブートレグの殿堂、西新宿を徘徊しレッドツェッペリン、ファーム、ソロのブートレグを回収して回り西新宿の各店舗から恐れられる存在となる。自分の演奏をブートレグによって研究している。これは噂レベルの話だが自分で所蔵している音源をブートレグ用に裏でブートレグメーカーに納品しているといった話もある。実際去年私、西新宿に行ったところサウンドボードで再発されたブートレグが多数販売されていた。とても怪しい事である。公式に2003年に発売されたLED ZEPPELIN DVDには一部ブートレグが使われている。あとこれは余談だがジミーペイジの顔は日本人にとてもよく似ている。だから西新宿を徘徊しても誰も気付かないかもしれない。その後満を持して2007年についにレッドツェッペリンは再始動を始める。問題のドラムスであるがジョンボーナムの息子であるジェイソンボーナムが担当、ボーカルのロバートプラントもソロボーカリストとして多様な成長をしている中での再結成は微妙であっただろう。再びジミーペイジの操り人形になる恐怖は相当なものと予測される。ベースのジョンポールジョーンズ、そしてジミーペイジは調子が良く往年期よりもギターが上手くなっている。動きも見た目の変貌(見れば分かる)とは裏腹に当時と変わらずイキイキしている。そのままツアーをやろうとジミーペイジは考えていたらしいがボーカルのロバートプラントが難色を示しツアーは実行出来なかった。そこでケチで利益重視のジミーペイジはDVDと音源のCDとリハーサルDVD(もちろんBluelayも選べる)セットにて2012年の11月20日に公式発売された。基本的にジミーペイジ自身が一番のマニアであるためこのようなマニアックな形態、またお金が欲しいのかセットでしか買えないようになっている。中身は繰り返すがジミーペイジのギターが上達している(これはある意味笑える)。ただこの世に存在しないジョンボーナムの圧倒的なドラムスの地場がある種の限界を示している。しかし1968年から1977年のライブはジョンボーナムのドラムが凄すぎるのでジミーペイジも自分の演奏ではなくこの地場に身を任せすぎたのではないかと多数の自分の演奏のブートレグを聴いて遅すぎるが本人が気づいたのではないかと予想出来る。同じ事しか出来ないが正確に演奏する事によってギターとベースがバンドの音を先導しドラムとボーカルは後を追いかけている様な音である。これは往年のブートレグを聴かないと気付かないかもしれないがバンドの形態は再結成にて変貌している点か。曲自体もレコードとあまり変わらない演奏である。シラフのジミーペイジはケチで金の魅力に取りつかれた大いなるナルシストであるジミーリフを正確に再現できればもう云う事なしであろう。

 最後に忘れてならない事はジミーペイジにとってロックとは労働でありいくら儲かるかが重要なのである。往年期の黒魔術も2007年には無かったことのように健康的である。もっとも芸術性が高いメンバーはもうこの世に居ないジョンボーナムである。それを誰よりも良く分かっているのはブートレグをコレクトしているマニア、あとはもちろんジミーペイジである。

納和也 Kazuya Osame クリエイター 1971年埼玉県熊谷市(旧妻沼町)生まれ