サイダー

文・写真|カトウヤスシ

 
6月9日土曜日。休日出勤の私は正午きっかりに、ある原稿を書き上げた。よし。「後はよろちく」なんて、終わらせた爽快感が滲みでた言葉をデザイナーへ残し、気分よく編集室を後にした。今日のこれからの予定は未定。何したって構わないのだ。あたたかい日差しに足取りも軽く、なぜか懐かしい90年代の曲がアタマの中を流れてそれを口ずさむ。
「土曜日はかせきさいだぁ。いつも土曜日はかせきさいだぁ。ボクの時間旅行が始まるよ、さいだぁ。イェイ、カモン!さいだぁ!」もちろん、すれ違う人には聞こえないくらいの小さな声で。しかし「イェイ、カモン!」の部分では自然と指がパチリと鳴る。気分がいい。そよ風が優しく肌を撫でる。「街をさいだぁが浸して、ボクまで満たして、キミに向かって泳いでいく、ボクはイルカのようだよ」歌(ラップ)は止まらない。浮かれ過ぎもいいとこだ。もはや私は、広大なサイダーの海を気持ちよく泳いでいる。スィースィー。ああ、気持ちがいい。この気持、誰に伝えればいいんだろう。ふと思いつく。そうか、facebookにでも書き込んでみるか。「みんな! ボクは今、たっぷりのサイダーの中をクロールしてるんだぁ、ふふふ」いやいや、こんなくだらないこと、誰が読みたいんだ。「プッ。こいつ、アタマ炭酸」なんて思われるに違いない。あるいは「かなりポップねw」と冷笑されるかもしれない。はたまた「脳みそまで泡にならないで」なんて警鐘を鳴らす人まで現れるかもしれない。いや、なによりも「浮かれポンチ発見。シェアさせていただきます」とばかり、全国にシェアされちゃうんじゃないか……。そんな不安が表情に出てしまったのか、自転車で通りすぎる子どもが険しい顔で私を見据える。思わず目を逸らす。いや、どうしよう。そもそもこんなこと書き込んだとして、なんの得があるんだろう。こんな浮かれたヤローの書き込みはむしろ読む人の気分を害する可能性が高い。いたずらメールがひっきりなしに届いたりして。はたまた、嫌がらせの無言電話が鳴り止まなかったりして……。そんなことがアタマをよぎるが歌は続く。「かせきさいだぁを飲み干して、石段を登って、木漏れ日の中を進んで、ソバカスのキミを捜すよ」再びテンションが上がる。本気なのか、ふざけているのか、そんな90年代リリック。いや、いいんだ。この開放感こそ、土曜日なんだ。最高のこの時間を過ごしているって全世界に告知しよう。いいでしょう? ねぇみんな聞いて。断言します。ボクは今ハッピーです!! 歌に合わせたリズムで歩いていたのが気持ち悪かったのか、すれ違うカップルがあからさまに私から距離を離してくる。ふん、いいさ。だってボクは今、H・A・P・P・Y。そうだ、喉が渇いた。この先の角にある喫茶店でサイダーを飲もう。のんびり泡が昇っていくのを眺めて、それで携帯で写真を撮って……。思わずニヤけたその時「ピピッピーピッピッピッピッ」携帯にメールが来て足を止めた。先ほどのデザイナーからだった。「すいません。さっきもらったテキスト、本文しか入ってないよ、もう」ウソ……忘れてた。私の時間旅行は終わり、編集室へ全力で走ることになったのだった。

加藤靖司 Yasushi Kato
1977年生まれ。長野市出身。フリーペーパー「日和」編集長。新潟大学大学院修了後、新聞社にてデザイナーを経て転職、「新潟美少女図鑑」などを編集。現在、株式会社まちなみカントリープレス所属。