雨の日のこと



文・写真 / 丸山玄太

 発車メロディの余韻を耳の奥で拾いながら階段を一段飛ばしで駆け下りた。駅員が気づいて少しばかり発車を遅らせてはくれないだろうかと期待したが定刻通りにドアは閉められ、窓越しにちらと向けられた哀れみを見送る。各駅停車しか停まらない駅のホームには下り方面の電車を待つ人も疎らで、ガタンゴトンと遠ざかる電車が行ってしまえば発車標を整備する業者が立てる工具の音が聞こえるだけだった。見上げた空は今にも雨が降り出しそうに重い。傘を持って出ようと思ったが、玄関に置いてあった傘は雨の日に部屋を出て行った彼女に持たせたままで、どこかのバッグに紛れ込んでいるはずの折りたたみ傘を探す時間も無く部屋を飛び出した。雨に濡れることは嫌いではない。寧ろ今すぐにでも降り出して欲しいと願いながら駅までの道を急いだ。雨の中ではとても速く走れる。子供の頃は母に持っていきなさいと言われた傘をわざわざ忘れて登校しては雨が降るのを待っていた。小降りよりも夕立のような強い雨の方が良い。水を含んで重くなった靴を両手に持って裸足で街を駆け抜ける。流れ出した小石や砂利を踏み抜こうが構いもせず雨粒を全て避けるつもりでただ前へ前へと進む。しかし駅に至るまでポツリとも降ることは無かった。
 目の前を通り過ぎる特急電車を何本も見送り、各駅停車も見送った。見るとも無く見ていた目の前の、看板広告の中で微笑む若い女優の口元が電車の合間に見え隠れするする度にパラパラ漫画のように動いて見える。昨日までは学習塾の看板ではなかったか、否、不動産会社のものだったか。何れにしても文字だけの簡素な広告だった。気づけばホームの際まで進み鉛色の景色の中に色づく見覚えのある口元へ腕を伸ばしていた。思惟とは別の明確な意思が腕を上げていた。緩慢だが躊躇いなく滑らかに上がる。ホームで特急電車を見送っていた駅員が胸元の笛を咥え足早に近づいてくる姿が目の端に入ったが、間に合わないだろうな、と他人事のように思いながら、上がった肘の先で初めて水に触れるように伸びていく指先を眺めた。

 鈍い頭痛とともに昼頃になってようやく瞼を上げれば浅い眠りの底で聞こえた雷はいつの間にか通り過ぎたようだが雨だけは相変わらず居座っていた。短時間での雨量が多いわけではないから昨年の台風による集中豪雨で河川が溢れた時とは異なる。とは思っていても、腰まで浸かった水の冷たさが身体に残っているのか勝手に備えて震える。泥を掻き出す日々の中でもじわじわと染みこみ骨の芯にまで届く冷たさだった。それが未だに滲み出るか。湿気た布団から抜け出し仕舞ったばかりのフリースを取り出して羽織りヤカンを火にかけた。
「美味しい?」
 そう聞いた彼女はコーヒーが飲めなかった。誕生日だったかクリスマスだったか、それとも他の記念日だったか、フレンチプレスと呼ばれるコーヒー器具と粗挽きにしたコーヒー豆をプレゼントしてくれた日のことだ。何と答えたのだろう。コーヒーの味になどそれまで興味がなかった。味覚も働かない熱い液体が舌を焼きながら喉を通り胃へと落ちていくその感覚だけで十分で、焼いたばかりの地を再び焼くような二口目は余分と思っていたから味わうということはなかった。しかし、茶や紅茶、味噌汁ではコーヒーの代わりにはならない。だがそれも視覚と嗅覚の問題だった。焦げた匂いの黒い液体。苦味と酸味を知るのはもっと後のことだ。そうだね、とでも曖昧に相槌でも打って濁したのだったか。あれから10年ほどになる。抽出時間を計るために買ったキッチンタイマーは直ぐに壊れてしまったが、壊れたら捨てよう、と雑に扱っていたコーヒー器具はまだ手元に残っている。人と道具にも相性というものはある。彼女は既にあの日には見抜いていたということではあるのだろう。
 コーヒーを啜りながら開いたニュースサイトでは、この長雨による各地の被害が伝えられていた。此方が復旧すれば彼方が崩壊する、という間もなく崩壊の中で崩壊する。備えも修復もままならない。自然災害だけではなく病も争いも同時に起きる。目に見える範囲のことならいざ知らず、地球の裏側から火星や太陽圏の報せ、見も知らぬ人のぼやきまで手元に届くとなれば平和な日などもう来はしない。知らぬ存ぜぬを突き通して引きこもっても、それすら他者に支えられている。知らぬ間にどこかへと繋がってしまう。手元の端末を閉じなければ目の前の平穏すら危ういが、その平穏も端末から担保する世にあってはなかなか難しい。
 規則的に響いていた雨の音が疎らになった。風が出てきたようだ。時折強く吹く風に煽られた雨粒が壁でバラバラと弾ける。身軽なもの程その音は軽い。永永一人旅だったのだろうか。それともどこかでくっつき離れることもあっただろうか。他者と交わったものたちは強風の中でも真っ直ぐ地面へ着地出来る、と考えるのは行き過ぎか。そうなれば、あまりの軽さに風に吹かれるまま空中を只管彷徨いどこに着くとも無く霧消する者もいるだろう。何かの拍子で消えずに霧と現れれば人を惑わす。消えても露となり葉を濡らす。濡れた葉は互いを反射して含み緑がより深く映える。

 あの時、伸ばした指先に雨が落ち、気づけば特急電車は通り過ぎていた。あの口元にどんな言葉を見たのだろう。雨が当たらなければあのまま触れられていたのだろうか。既にあの若い女優の微笑む看板は無く歯科医院の簡素なものになって久しい。

丸山玄太 1982年長野市生まれ 麻績在住 クリエイター
undergarden主催