泥の舟 死んだ水うさぎ

死んだ水うさぎ <極東>Far East SCULPTURE
carving / modeling / movement / Mass
素材:鉄 泥 水
場所:長野県松本市
2019年11月


文・写真 / 北澤一伯

 七月に入って私の生家の在る集落でふたつの葬儀があった。
葬儀の帰路、鬼籍に入った人の記憶とともに石原吉郎(1915〜1977)の詩「ゆうやけぐるみのうた」の後半を、私は思い出した。

おれ木の舟にのった
あいつ どろの舟にのった
ゆでだこのような夕日と
あいつ いっしょに
海にかくれた
おれ ばかをいっぴき
ゆうやけの海にしずめてきた
なぎさで おれ
なみだながしたともさ
ああ ああ
あいつ なんにも知らね
ゆうやけぐるみ
海へしずんだ

「ゆうやけぐるみのうた 石原吉郎詩集33p 現代詩文庫26 思潮社」

 石原芳郎が所属した詩の例会でこの詩を朗読した彼は、「おれ ばかをいっぴき/ゆうやけの海にしずめてきた」の部分で、右手の人さし指を軽く上げ、得意げな表情を見せたという新聞記事を読んだことがある。その場に居合わせた別の詩人は、どろの舟でしずんでいくもののイメージと詩人・石原芳郎の姿が重なったという。
 その時の詩人の顔面の内側を漠然と空想すると、私は激しい不合理な感情が脳天に突き上がってくる。この詩は発表した当初、「『かちかち山』から」と副題がつけられていた。
「なぎさで おれ/なみだながしたともさ/ああ ああ」とうたわれるのは、うさぎの姿をしていたのであろう。おそらく、うさぎは泣いて己の涙そのものになり、液体と化してしまった。私は、そのような世界に生きている。

 <極東>Far East SCULPTURE は、日の丸構図を使いながら、場所の特殊な場面をきりとる連作である。その行為を動かすのは、そのような場所から最も遠く、一度は私と親和した記憶が未解決のまま敵となる現実を、正視して残そうとする情動である。
 彼等。本心より悪意を発動して、おのれの黒さを隠微する彼等の言葉。
それは綺麗な言葉。本当は綺麗である事は無いのであるが、あまりにも多く、その言葉を語る、彼等の顔に生ずる表情の共通項。
 彼等のやがては乗るべき泥の舟が「ゆうやけぐるみ/海へしずんだ」光景を、私は幻視しているのである。


北澤一伯 Kazunori Kitazawa
1949年長野県伊那市生れ
発表歴
1974年〈台座を失った後、台座のかわりを、何が、何故するのか〉制作。
2016年「 段丘地 四徳 折草 平鈴」 アンフォルメル中川村美術館(中川村)
2017年「光の筏」FLATFILESLASH/ Warehouse GALLERY(長野市)
2018年「場所の仕事 刺客の巻貝圖」からこる坐(長野市)
 8月 <Beyond the Horizon>Nine Dragon Heads(韓国)の企画として第33回サンパウロ・ビエンナーレに参加。
2018年10月 <Acción ! MAD>(マドリッド スペイン)
2019年2019DMZ International Art Politics-Project Border Crossing ONSAEMIRO  Camp GREAVES  DMZ・板門店 韓国)
 TAMAVIVANTⅡ2019/ART・漂う場所として 多摩美術大学アートテークギャラリー 
(八王子市)
2020年3月The 25 th NIPAF’2020 セルジ・ペイ頌歌シリーズNo41 アーツ千代田3111(東京)
 現在、生家で体験した山林や土地の権利をめぐる問題を、「境(さかい)論」として把握し、
口伝と物質化を試みて、レコンキスタ(スペイン語:Reconquista 失地回復 「全てをなくしてしまった場所でもう一度大切な物を取り戻す・・」)プロジェクトを継続中。