文・スケッチドローイング / 徳永雅之
「モネの画集」 2017 9/1
骨董屋の中。中は雑然としているが、そう狭くはない。店主が留守の時に、痩せた男が本を売りに店にやって来た。その多くは画集だ。僕は、モネが当時の交通事故を油絵で描いた画集を開いてみている。それはパラパラ漫画のようにページをめくれば、自動車同士が正面衝突する瞬間が動いて見えるようになっているのだ。モネは油絵の連作でアニメーションを予言するかのような作品を描いていたのだ。残念ながら、その本は大判の画集で、パラパラ漫画のようにめくるのは困難だ。その渋い緑色の布の表紙の画集は、どうやら図書館の放出品のようで250円という札がついていた。美大の教授をやっている友人が「これをいくらで買っていくらで売ると…」というような話をし始めた。
「同級生」2017/9/3
デッキを歩いていたら、男二人が声をかけてきた。僕の高校時代の同級生のようだ。同じクラスにはなったことがなく、話もしたことがない彼らに近づきながら、一応、「おお」と言い、手を上げた。二人ともスマホを取り出し、なんとなく僕の写真を撮りたそうにしているものの、特に親しいわけではない気後れからか、僕が撮影用のポーズをするのを待っているのがわかった。それでも足を止めず、そのままずんずんと歩いて行ったら、彼らはそっとスマホをしまい、作り笑いをして「じゃあな、また」と言ってデッキの階段を降りていった。彼らは、人がレンズに向かって、なにかポーズを取らないとシャッターが押せないタイプの人なのだろう。
「老婆と少女」2017/9/4
小用を足したくなった。品のいい椅子やソファのある、広い部屋。床には落ち着いた色合いで、植物をあしらった模様の絨毯、ヨーロッパの古いホテルのロビーのような風情だ。「便器」はその部屋の中にあった。壁や衝立はない。便器の後ろには6〜7歳位の少女、左側の椅子には90近いと思われる老婆が座っていて、ふたりとも西洋人のような顔立ちをしている。僕が用を足しに来たことをわかっていながら、二人は普通に話しかけてくる。僕はかなり切羽詰っていたので、仕方なく二人の言葉に相槌を打ちながら、用を足すしか無かった。便器の両側には肘掛けが付いていて、椅子の座面が便座になっているような形だ。小便が出始めてから、便座に座る形で用を足せばよかった、と一瞬後悔したが、便器と彼女たちの位置関係上、その体勢では話しかけてくれている彼らに背中を向けることになるから、立って用を足したのは間違いではなかったと思うことにした。普通に立った姿勢では周りに飛沫が飛ぶかもしれないと、僕は不自然に体を前傾させ、出来るだけ便器との距離を縮めようとしている。ズボンから出した僕の性器は遮るものがなく丸見えなのだが、彼女らは全く意に介さず、親しげに話しかけてくるし、僕も小便をしながらそれに応えている。話に夢中になり、大きく相槌を打ってしまったのか、うっかり尿の飛沫を椅子の肘掛けに散らしてしまった。それでもまだ尿は止まらない。「ああっ!すみません!飛ばしちゃって!」それでも二人はその言葉にかぶせるように僕に話しかけてくる。かといって僕が粗相をしたことはちゃんとわかっていて、話の合間に 「ああ、とんじゃったね」などと、あまりその事を気にしていない様子だ。ようやく用を足し終えて、椅子の肘掛けに飛び散った尿を拭き取る。よく見ると、何種類かの液体がこぼれたか、ぶちまけたような跡があり、それぞれ微妙に色が違っている。それらは、まるで掃除の行き届いていないレンジにこびりついた 、時間の経った食べ物の脂汁のように固まっている。ついでなのでそれも拭き取ろうとするが、しっかりとこびりついていてなかなか取れない。少し焦っている僕をよそに、二人はずっと和やかな空気のままだ。僕はとまどいつつも、ここの居心地の良さに安心を覚え始めている。
「カレー」2017/9/6
子供の頃に住んでいた街を歩いていたら、小学校時代の友人が現れた。「よかったらこのカレー食べて」と、僕に差し出す。そこは車道に面した歩道のようでもあり、自宅の玄関のようでもある。カレーはちょっと変わった材料で作られ、量もご飯は半分しか入っていないのを彼は少し気にしている。ありがたく受け取り、店で食べる。
「守られた旗」2017/9/6
正面にステージのようなものがある、少し広い部屋に通された。天井から、1mほどの壁が降りていて、その裏側には何かが仕込んであるようだ。6、7人の男達が見守る中、ゆっくりと金網で覆われた台湾の国旗が降ろされる。台湾の国旗は、大韓民国のそれを少し細かくカラフルにしたようなデザインだ。「この金網は台湾を(銃弾から)守る」という意味なんだろうか?」僕はステージ袖から裏側を見ていたので、網目が表でなく、裏にあるのが気になった。すかさず、「この網は国旗の裏側にあるので、台湾を守っていることにならないと思います」と意見した。特に反応はなかった。他の人々が座っている正面に回ってみたら、金網はちゃんと前にもついていた。今度は国旗のデザインの下側が、中途半端に空いてしまっているレイアウトがとても気になり、それを指摘した。そこに居た友人と「まあ、こういうのはしょうがないよねー」などと話す。この国旗のアイデアを採用してもいいかどうか、決を採る事になった。広い部屋に中途半端な位置に置かれた、少し大きめのテーブルには、バスの停車ボタンを平置きにしたようなオレンジ色のボタンが取り付けてある。僕はそれを押した。全員一致でその案は採用になった。 しばらく経って、誰もいないその部屋で、職人がその旗の無様に空いた下の空間に、砂浜のようにも見える、ペッタリとした陸地をニュートラルグレーで描き足していた。「ニュートラルグレーか……」とりあえず、国旗の下の無様な空白は「とりあえず」埋まった形になった。
「これがすべてだ」2017/9/9
「ピンポン」とチャイムが鳴り、寝起きで朦朧とした頭で「はい」と応える。(映像:写真をコピーした紙を持つ手 )訪ねてきたのは高校時代の後輩だった。ミュージシャンをやっている僕の友人に会いたいと、直接本人に連絡したらしいのだが。彼が手に掲げているその紙には、コピー機に乱雑に置かれて出力されたと思しき数枚の写真。ぶれてたり、何かの部分のような写真はどれも謎めいていてそれが一体何なのかわからない。一枚はつげ義春調のタッチで描かれた、女の子の足から先が画面から左に切れたイラストだ。女の子の周りの背景は、荒いアミ点で波打ち際の砂浜の写真を加工したようなもので「ではさようなら」という 吹き出しがある。彼は友人に連絡してみたものの、面会を断られたのではないか。その紙の一番上に、手書きで小さく「これがすべてだ」と書いてあった。
「黒光りの山」2017/9/13
天気の良いのどかな日、なだらかな坂道の先に、変わった山があるのが見えた。とても低い山だが、手前に遮るものがない所なので目立っている。まるで磨き上げたように黒光りし、金属的な地層がところどころ大きく膨らみ盛り上がっている。周りの木々は紅葉していて、山全体が模様のようで美しい。
「通話履歴」2017/9/16
古い建物の階段で、妻が僕の父の最期の通話履歴がわかったと知らせてくれた。 NTTに問い合わせた所、通常は 死後30日だか3ヶ月以内までのサービスで、本来ならば期限切れなのだが、特別に教えてもらったという。父が最後に電話をした相手は、彫刻家である僕の友人だった。
「水音のするモール」2017/9/16
かなり幅の広い川を船で移動している。さっきは坂になっているこの川を登った。上から折り返し、今は川の坂を下っていて、大きなカーブにさしかかるところだ。ハウステンボスからオランダの雰囲気を抜いたような感じのモールが左側にある。川の流れは急で、水の流れる音はそれなりに大きいが、モールの近くに差し掛かると小さい水の渦がいくつも重なったような音が聞こえてくる。コロコロ…チョロチョロ…その一つ一つがとても美しく、クリアに聞こえ、建物の片隅の池で、小さな渦を見ている映像が頭に浮かんできた。
「写真を撮り合う」2017/9/16
車で移動して運送会社か建築現場の裏手のようなところに着いた。川に面した夜の歩道、水銀灯の光。小学校時代に遊んだ友達と一緒で、今は音信不通のN君などもいる。みんなカメラを持っていて、子供のようにはしゃぎながら写真を撮りあったりしている。N君はポラロイドカメラを手に、撮った写真がなかなか出てこないと少しじれったそうにしている。少し時間が経ってジーッと写真が出てきた。僕はカメラを持ってなかった。
「畑」2017/9/18
几帳面な道路工事のように右半分が四角く掘られた道 。道の左側との境界には赤いパイロンが置かれている。掘られた地層には意外な作物が埋まっているのだそうだ。
徳永雅之 Masayuki Tokunaga
1960年 長崎県佐世保市生まれ 埼玉県桶川市在住
画家
http://www.tokunagamasayuki.com/
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